次第に回復していく中で考えた、これからの生き方
1月24日(月)熱:37.7℃
熱は上がったり、下がったりの繰り返し。痰が絡んで寝苦しい。寝ている時に痰で呼吸が止まってしまうのではと恐怖にかられ、喉が落ちないように寝る体制を変えた。とにかくだるい。
子ども達の検査結果は陰性でホッと一安心。油断しないようさらに気を引き締める。
保健所からはパルスオキシメーターがレターパックで届いた。
1月25日(火):熱:36℃
ようやく倦怠感が抜ける。なんか声も少し出しやすくなっているが咳・痰あり。HER-SYSからは毎朝9:40時頃定期的にショートメールが届く。
熱は上がったり、下がったりを繰り返すので、身体の倦怠感も戻ってしまい、横になったかと思うと眠ってしまう。
1月26日(水)熱:36.8℃
さらに体調回復を肌で感じる。体が動けるうちに身の回りの整理をしようという思いも生まれ、ノートに人生やり残しリストを書いた。その一つが『断捨離』。
洋服を整理し、気づいたらゴミ袋がすごいことに(10袋くらい?)。
それと、過去の自分の頑張った仕事の遺産、子どもたちの受験教材や過去問、作品、夫の遺品、子どものランドセルも手放すことがなかなかできなくて溜め込んでいた。
まずは溜まっていた書類の精査と不要な本をダンボールにつめ古本屋さんへ。ランドセルは寄付団体に。今回のことで一念発起、手放すことができた。
今さらながら、病気をすると健康であるありがたみを心から痛感する。人の優しさに心から感謝し、自分も誰かの役に立てる人でありたいと思う。
そしてやりたかったこと、終活についても考えさせられる。
人生100年時代というけれど、100歳になっても大切な人の隣を自分の足で歩き続けるために、『行きたい人生を生きる』『なりたい自分になる』ということを。
お見舞いでいただいたパステルのプリンをいただきながら、自分の周りを整えていくことを誓ったコロナ経験だった。