「わが子に合った学校選び」にこだわりすぎない
インターエデュ(以下、エデュ):わが子に合った学校選びをどうやっていけばよいか…と悩む親御さんの声をよく聞きます。
矢野耕平さん(以下、矢野さん):「わが子に合った学校ってどういうところですか?」と私もよく保護者に聞かれます。しかし、わが子に合っているかどうかという判断を、親御さんだけで決めて欲しくないなと思っています。子どもたちは、家庭での顔、学校や塾での顔をそれぞれ使い分けています。親御さんは家で見せる子どもの顔からその性格を判断し、学校を決めるようなところがあります。だからこそ、自分たちが考えているわが子って、果たして本当のわが子の姿なのかと、一回立ち止まって考えてみて欲しいと思います。
以前、「うちの子すごくおとなしくて、意見できないタイプなんです。そういう子に向いている学校はありますか?」と聞かれたことがありました。そういう学校は実際あるのですが、その学校に入れると余計マイナス面が強くなってしまう。だったら少々明るい学校に入れて、プレゼンテーション等の場で鍛え上げてくれる学校をあえてチョイスしてみる。たとえば、こんな選択の仕方も大事だと思います。
なので、そもそも「わが子に合っている」という考えは少々危険なのではないかと。そのことを、学校選びの前提として、頭に置いていただければと思います。
学校の種類から校風・特色から絞り込む
エデュ:数ある学校の中から選ぶのには、どう考えたらよいでしょうか?
矢野さん:学校は相当絞り込むことができるものです。一つは男女別学か共学、もう一つは進学校か付属校。たとえば、わが子には男子校の進学校がいいなと思ったら、それだけで結構学校が限定されてきます。
男女別学・共学の違い
まず、男女別学と共学ですが、共学は男子女子でわいわいと盛り上がれる良さがある一方で、異性に気を遣う雰囲気があると思います。一方、男女別学はお互いに異性の目を気にしなくてもよく、たとえば男子校では、鉄道が大好きでマニアックだと「お前凄いな」とまわりから認められますが、共学だと女子から「キモい」というような目で見られて、自制してしまうところがあります。女子校も同様に、異性の目を気にすることがありません。そうですね、たとえば女子学院の卒業生は「性別が消滅する」という表現をしていました。遠慮せずにスバズバ言い合うことができるので、人間同士として触れ合えます。
つまり、一人の人間対一人の人間として付き合えるのが別学の良さ。どんな子にもいいところがあって、そこを十分に輝かせられる環境が別学にはあると思います。
そのような環境で、人間対人間で付き合い、異性の目を気にしないで過ごした6年間の友だちというのは一生の友だちになります。40歳くらいになっても休日に中高の友だちと飲み会ばかり……というのは男女別学出身の方が多いですね。
大学付属校のメリット・デメリット
大学付属校については、中学、高校、大学と繋がっているので、その学校の持つ教育理念に基づいた息の長い教育が受けられるという良さがあります。また、高校の時から大学の授業を見せてもらえたり、大学の教授の出張講義が受けられたりする機会が多くあるというのもメリットですね。
それと、大学付属校はキャンパスが広々としているところが多いし、場合によっては大学の図書館が使えるなんてこともあります。全体的に施設・設備の点で充実しているところばかりです。加えて、受験勉強に追われないのでゆったり学問に打ち込めることもメリットですね。
一方で、小学6年生の時点で大学を決めることはないとも思っています。学校に入ってから医者になりたいと思い始めても、その先には医学部への道がないとなると非常に不利です。なので、付属校を選ぶ際は学部のことまで考えたほうがいいというような話は保護者にはしますが、正直小6のときに文系・理系の判断はできないとも思っています。文系だと思っていた子が大学受験の際には実は理系を選択するなんてことも多いので、文系・理系の判断を小6の時点で下して、付属校を選んでほしくないなという思いはあります。
宗教系の学校は安心
宗教系の学校においては、その宗教に対して敬虔でなければならないとか、そんなイメージがあるかもしれませんが、信者であることはほとんど問われません。
宗教が学校の考え方の軸になっているので、その軸をもって自分たちがやっていることが正しいのかどうかという判断をしていて、ちょっとやそっとでは変わらないし、ブレない。なので、宗教系の学校は安心感があると思います。
最近は、やれアクティブラーニングだとか、ICT教育、グローバル教育、STEM教育とか流行に乗っている学校が多くありますが、宗教をバックボーンにしている学校というのは泰然自若としていてあまりブレないという気はしています。
私は、教育を流行り廃りで語ってはいけないと思っています。人が人を教えるというのは変わるものではないと考えています。ICTもただの道具、グローバルも昔から言われていることですよね。今に始まったことではない。