今回取り上げた著書:「開成・灘・麻布・東大寺・武蔵は転ばせて伸ばす」
祥伝社新書
グローバル化、ネット社会、スマホ依存、人工知能、男女共同参画社会…と、子どもたちを取り囲む環境は激変しています。そんな中で、男の子をどう育てたらいいのでしょうか。特色ある教育で知られる名門校の先生方の話をまとめた本書には、21世紀に生きる男の子の教育のヒントが詰まっています!
自分軸で表現できることが「本当の自由」
インターエデュ: 男子校で「女の子の目がない」ことについてもう少し詳しくお聞かせください。
おおたとしまささん: 男子校だと、女の子がいたら恥ずかしくてできないようなことでも、そこで失敗するリスクがないのでできてしまう。素の自分を出して、ひんしゅくを買ったとしても、そこは、単なる男同士のいがみ合いだけで、仲直りですんでしまいます。
もしこれが共学校だったら、女の子から「あいつってこういう男なんだ」っていうレッテルを貼られてしまうかもしれない。でも男子校にはそのリスクがない。逆に女の子の目を気にして、ちょいワルぶる必要もないんです。
インターエデュ: 本心で行動ができるのは、自由な感じがしますね。
おおたとしまささん: 異性の目を気にしないで、本当の自分は何をしているときが楽しいのか、何が好きなのか、そういう自分自身の素直な欲求を知ることができる。これは人生の中ですごく重要なことだと思います。
人からどう見られているのかを気にすることに、自分自身が囚われているとしたら、とても不自由で、人生を貧しくしているんじゃないかと思うんです。何をしているときが幸せなのかを分からない人ってたくさんいますから。
他人の視点ではなく、自分が何を欲しているのか、常に自分の軸で表現できることが本当の自由かと思います。 どう感じるのかを自分が常に問われている状態が自由で、「自由とは、問いの集合体である」と私は思っているんです。逆説的に言えば、問いから開放されない状態を「自由」と定義することもできます。
私が麻布で学んだことはそれなんだろうなと思います。
インターエデュ: なるほど! 「自由とは何か」を言葉にするのは難しいですが、これなら子どもにも伝えやすいですね。さて、ご出身の麻布の話がでてきたところで、おおたさんが思う麻布らしさとは何でしょうか?
おおたとしまささん: 麻布は、明治維新での負け組であった江原素六が創立した学校です。戊辰戦争で負け組となり、薩長に追われ沼津に避難して、水野泡三郎という偽名を名乗って潜伏しました。名前が「水の泡」っていうダジャレなんです。自分は貧乏な幕臣から成り上がってきたんだけど、世の中ひっくり返って、その努力が報われず水の泡になってしまった。そこでどうやって生きていこうかって考え、学校を作った。その生き様そのものが麻布の真骨頂だと私は思っているんです。
そういう意味では、例えば東大や一流企業といったエリート街道をつき進んでいるうちはまだ、麻布でもらった種は開花しにくい。自分の肩書きや身分を失って水の泡になったときにはじめて麻布で学んだことの真価が発揮されるんじゃないかと思っています。
私がフリーランスになったときに、はじめて麻布であることをいきいきと実感できたんです。自分を保証してくれるものはないぞと、自分の実力だけで生きていこうと思った時に根拠のない自信が湧いてきたんですよね。それを私は、「麻布という病」と呼んでいて、長所は「根拠のない自信」、特技は「屁理屈」、チャームポイントは「詰めの甘さ」と表現してるんです。
インターエデュ: 面白いですね! 麻布らしさが伝わります。