「男の子だから仕方がない」が「有害な男らしさ」を増長する
どう考えても悪い結果が待っているのに、自信満々でおバカなことを実行してしまったり、わざとではないものの、粗暴な行動で周囲の人々を困惑させてしまったり…。
自分が子どもだった頃とはまったく違う男の子の振る舞いに毎日振り回されていると、「男の子だし、仕方がないか」と開き直りたくなることもあるでしょう。
しかし、太田さんは、「仕方がない」で済ませていると、暴力や性差別的な言動などの「有害な男らしさ」を増長してしまう可能性があると警鐘を鳴らしています。
太田さんは、本書の第1章において、「有害な男らしさ」のインストールにつながりかねない「三大問題」として、以下の3つを取り上げています。
・ 「男子ってバカだよね」問題
・ 「カンチョー放置」問題
・ 「意地悪は好意の裏返し」問題
男の子の困った言動を「男の子はバカだから」の一言で放っていたら…
カンチョーは男の子が好きな悪ふざけのうちの1つに過ぎないと考えていたら…
好きな子に意地悪をする男の子をほほえましいと思っていたら…
太田さんは、これらの小さな問題を「男の子だから」と許容することで引き起こされてしまう大問題を丁寧に解説し、細心の注意を払うように促しています。
「有害な男らしさ」は男の子自身をも苦しめる
「有害な男らしさ」は、他人にとって有害なものだけではありません。
「男であるからには社会的成功をおさめなければならない」という強迫観念に駆られたり、「男のくせにめそめそ泣くなんてありえない」とネガティブな感情を黙殺し、ついには自殺に至ってしまったり…。
このように、「男だから」という考えのもと、自分自身をも苦しめ、追い詰めてしまうことも、「有害な男らしさ」であると言えます。
しかし、なぜ、男の子は「自分は男だからかくあるべし」と考えるようになってしまうのでしょうか。
本書の第3章末に収録されている太田さんと小学校教師である星野俊樹さんの対話の中では、家庭内で「男はかくあるべき」といったジェンダーバイアスが強化されていると指摘されています。
たとえば、男の子であるわが子が道端で転んだとき、「男の子だもんね、痛くないよね!」と励ましたことはありませんか?
悲しいことがあって泣き出したわが子に「男の子でしょ!泣くんじゃない!」と声をかけたことはありませんか?
太田さんと星野さんの対話からは、感情を言語化すること、弱さを認めることも強さであることなど、ジェンダーバイアスから男の子を解放するための示唆を得ることができます。