反抗期によくある光景
子どもが学校から帰宅するなり、不機嫌でほとんど何も喋らない。親の言葉に、「はあ??」「何、それ?」「うざい」などと言う。場合によっては、声を荒げたり、物にあたったりする。
これらは、今回の連載のテーマである、反抗期に見られる子どもの様子です。もちろん、自室から出てこない、全く会話をしない、親を避ける、暴力を振るう、ゲームやSNSに依存する、リストカットをする、など、もっと深刻な場合もあるかもしれません。
こうした反抗期の子どもについて、「寂しいからだ」とか「甘えている」、「我慢する力がない」などと考えることが多いのですが、実はここに大きな問題があります。どんなことか、おわかりでしょうか。
問題は『こころ』の状態を指摘していること
それは、こうした「反抗期についての分析」のほとんどが、子どもの『こころ』の状態についての指摘になっているということです。
え? 子どもの『こころ』を考えるって、大切なことでしょ?
そう思う方が多いと思いますが、考えてみてください。『こころ』は外から見えません。客観的に明らかにすることもできません。とするならば、そうした分析をしたとしても、それが正しいかどうか、誰にも分からない、ということになります。
つまり意味のない議論になってしまうんです。
もちろん、その分析が当たっている、と思うことはあるでしょう。しかし「寂しい」など、その心の状態は、思春期に限りません。「甘えている」のは、反抗的行動を起こしていない子どもにもあることです。よって、彼らの『こころ』の状態と、反抗期を結びつけたとしても、そこにどれだけの意味があるのか、わかりません。要はエビデンスが足りないのです。