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投稿者: PTAって必要ですか? (ID:jUggLc7HhiQ) 投稿日時:2010年 02月 21日 15:33
2月11日、横浜市で開かれたシンポジウム「これからのPTAのあり方」で、「入退会は自由と周知すべきかどうか」が議論された。 (2月21日朝日新聞朝刊より)
この記事によると「入退会は自由」を知らない保護者は文科省のアンケートで半数を占めたそうです。
私も知りませんでしたし、そもそもあらゆる会に入会するとき、説明もせずに入会させて、会費をほぼ強制的にとる組織って、他に知らないんですけど・・・。
周知の是非を議論するほうがおかしい、と感じるのは私だけでしょうか?
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【1727856】 投稿者: 考え方や活動の形は自由 (ID:E/SiiZeR7J6) 投稿日時:2010年 05月 14日 15:23
PTAに関する考え方は、其々自由だと思います。
楽しみながら一生懸命やるのも良し、めんどくさいなとやらないのもそれはそれでありだと思います。
まためんどくさいけど子供の為にやるという方等、人其々でいいのではないでしょうか。
その考え方を絶対こうでなければならないなど勝手にきめつけたり、人に押し付けたりが良くないような気がします。
またこのスレを読むまでPTAは完全なボランティアだと思っておりました。
ですのでPTAの上層部が会社組織のようになっており、そこにはお給料をもらって働く方々がいて
そして教育委員会や文科省の方々の天下り先になったいると知って本当に驚きました。
また自治会や議員の方々との関係も良くわかりました。
不勉強で、何も知らなくてお恥ずかしい限りですが、このスレで沢山の事を学ぶことができて感謝しています。
またこのようなPTAの在り方が良いか悪いかは私は良くわかりません。
末端の会員はこの様な事はあまり深く考えずに(もちろんわかっている方も多いと思いますが)
ほとんどの方が真面目に一生懸命ただ子供の為学校の為と頑張っていると思います。
会員の状況でやりたい人が多い時は学校によって活動が華やかなところもあれば、
やりたい人が少ない時は地味なところもあってそれはそれでどちらがどうという事はないと思います。
また活動に対して疑問を持ったり懐疑的であったり、また反対にやる気があったり賛同したりするのはどちらも極普通の感覚だと思います。
活動の仕方も学校に合わせて会員に合わせて本当に自由でいいのではないでしょうか。
もし学校でPTAの組織がなくても、どなたかもおっしゃっていましたが後かたずけ等もその都度ボランティアを募ればよいと思います。
PTAの上層部の組織の事に関してはかなり複雑なようですので良くわかりませんが
学校内の事だけでしたらどのような形でも大丈夫だと思います。 -
【1728371】 投稿者: 元副会長 (ID:BIRGFqQzwn.) 投稿日時:2010年 05月 14日 22:00
いろいろなPTAの在り方があっていいと私も思います。
このスレを通して私も色々なことを改めて考えさせられました。
そもそものテーマ、「任意加入」の周知徹底をするということは、当然の前提ですから何の異議もありません。
その上でおもうのですが
メンドクサイのにいやいややる、という人がいる理由は、
「強制加入」だからというよりも、
みんながやっていることだから、自分だけやらないとは言えないというのが
大きいのではないでしょうか。
たとえ任意加入と知っていても、みんなが参加しているものを自分だけやらないと言えないというのが本当のところではないでしょうか。
じつのところ参加に関して「強制だからやらなければ」「任意だからやらなくていい」という人がそんなにいるのでしょうか。
自分がその仕事をできるのかできないのか、するのかしないのか、
それを自分で考えられなければ、人の決断も尊重することができないし、
「任意加入」を周知しても、状況は変わらないと思います。
参加するのもしないのも、役を引き受けるのも引き受けないのも、
それを判断する自分の状況は自分しかわかりません。
それをそれぞれが良く考えることがどういう状況であっても一番重要だとおもいます。 -
【1728506】 投稿者: 任意と廃止は別 (ID:SU5RgWhfbtI) 投稿日時:2010年 05月 14日 23:37
>みんながやっていることだから、自分だけやらないとは言えないというのが
>大きいのではないでしょうか。
大きいというより、この同調圧力に逆らうのがめんどくさい方が、多いのではないでしょうか。
私もその一人です。現状ではPTAに加入しない決断をするのは極めてめんどくさいし、リスク
も大きい。入学式の後に保護者だけ体育館に残されて、加入の意志を確かめられもせずに、いき
なり、初対面の他の小学校区の保護者もいる中でクラス役員の選出が始まる。挙げればキリがあ
りませんが、こうした自動加入を前提とした手続きや活動のあり方も変えないと、任意加入とは
口先ばかりになります。
仕事を出来るか出来ないかは大して重要ではありません。辛口ですが、半数以上の方が能力的
に「出来ない」部類に入ります。役員と呼ばれる方々の尻拭いをしてきた経験から断言できます。
委任状の扱いや効力を知らない執行部、バランスシートを作れない会計係。用途不明の領収証を
チェックしない監査。遵法精神には縁がなく、人権について何の配慮もしないPTA会長。誤字
脱字程度なら大目に見ますが、看過出来ない致命的な論理破綻の文章を看破できない広報委員。
PTAの活動に賛同してそれに加わりたいか否か、PTAのメンバーになりたいか否かが最も
重要で、必要十分条件なのです。社会教育関連団体ですから、PTAの中で学ぶ姿勢がを持てる
か否かが判断の材料です。「出来るか出来ないか」は二の次です。
加入意思の「否」の方にチェックを入れても、理由を求められたり、叱られたり、説得された
りしない自由が欲しいですね。 -
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【1728595】 投稿者: まるお (ID:VxdRNPrAkXo) 投稿日時:2010年 05月 15日 01:08
>その上でおもうのですが
>メンドクサイのにいやいややる、という人がいる理由は、
>「強制加入」だからというよりも、
>みんながやっていることだから、自分だけやらないとは言えないというのが
>大きいのではないでしょうか。
なぜ、「みんながやっている」が前提になるのでしょう?
現状において「みんながやっている」ことの背景には、
自動加入・強制加入体制が大きく影響していると思います。
入退会自由が周知【徹底】されたら、「みんながやる」ということは、
なくなる可能性が大いにあると思われます。
みんながやらなくなれば、その時、一人一人がフリーハンドで考えられるようになるはずです。 -
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【1728717】 投稿者: 元副会長 (ID:naHIdbvVYZc) 投稿日時:2010年 05月 15日 08:03
「任意加入と廃止は別」様;
同調圧力に逆らうのがメンドクサイというお気持ちは理解できます。
でもたとえそうであっても、任意であることを知った上で最終的に「加入」を決めたのはご自分の「判断」でしょう。
そして活動なさったとしたら、それは「できた」からだと思います。
誤解していただきたくないのですが、
わたしが「できるかできないか自分で決めて」と言っている場合の
「できる」とは能力のことではありませんよ。
以下引用ですが:
「半数以上の方が能力的
に「出来ない」部類に入ります。役員と呼ばれる方々の尻拭いをしてきた経験から断言できます。
委任状の扱いや効力を知らない執行部、バランスシートを作れない会計係。用途不明の領収証を
チェックしない監査。遵法精神には縁がなく、人権について何の配慮もしないPTA会長。誤字
脱字程度なら大目に見ますが、看過出来ない致命的な論理破綻の文章を看破できない広報委員。」
(引用終わり)
上に書いてらっしゃるようなことを本当に期待し、
こういう能力がない人が加わったら迷惑という風に思っているとしたら
それは私の考え方とまったく違います。
私は、「今できます」と手を挙げること、そのこと自体に一番の価値があると思っています。
もっともモラル的なものは常識としていつでも大切な要素ですが、
それは、有能な方がいれば、他の人のためでもあり、ありがたいのは山々ですが、
PTAの仕事なんて、そんなに本格的で大層なものではないですよ。
やろうという意識のあるかたが手を挙げていれば、それで回っていくものです。
あるいはそういうものにすればいいのです。
たいていの場合、人格的にも優れた、忙しくても有能な人と言うのがいますので、
そういう人が少数でもいれば御の字です。
「任意加入と廃止は別」様は、ほかの方のやり方を見て、
無能で見てられない、と思われたのでしたら、
関心もおありでしょうし、能力も自負されているようですので、
その力をほんの少し発揮なさったら、ほかの方はずいぶん助かると思いますよ。
「しりぬぐい」などとおっしゃらずにお願いします。
理由はどうあれ、「そんなこと私はできない」「そんな人たちとできない」とおもうのならしなければいいだけのこと。
任意加入をご存知なら加入しないこともできるのですから。
その判断は自分がすればいいのです。 -
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【1728830】 投稿者: 元f副会長 (ID:naHIdbvVYZc) 投稿日時:2010年 05月 15日 10:00
まるお様;
以下引用:
「>その上でおもうのですが
>メンドクサイのにいやいややる、という人がいる理由は、
>「強制加入」だからというよりも、
>みんながやっていることだから、自分だけやらないとは言えないというのが
>大きいのではないでしょうか。
なぜ、「みんながやっている」が前提になるのでしょう?
現状において「みんながやっている」ことの背景には、
自動加入・強制加入体制が大きく影響していると思います。
入退会自由が周知【徹底】されたら、「みんながやる」ということは、
なくなる可能性が大いにあると思われます。
みんながやらなくなれば、その時、一人一人がフリーハンドで考えられるようになるはずです。」
「みんながやっている」が前提なのではありません。
しいていうなら、「みんながやっている」と思わされているという事は言えると思いますが。
「みんなと同じじゃなくちゃ」と思う人が多い限り変わんないでしょうという事です。
まるお様もご指摘の通り、
「みんながやらなくなったら」はじめて自分で加入の是非について考えられるようになるのかもしれませんね。
「えーと、わたしはどうしよう」と。
でもそれって、そうならないと考えられない人の問題じゃないんでしょうか、と思ったわけです。
そして「任意」=「しなくていい」「する人は物好きな人」」という考え方が多数派になると、
今度はその考え方への同調圧力から非加入者が増えるということもおこるかもなあ、と思ったりします。
ですから、
問題は、「任意性の周知の欠如」ではなく、「主体性の欠如」なのではないかという事です。 -
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【1728904】 投稿者: まぼろしのPTA会長 (ID:dxsHkH5TpRk) 投稿日時:2010年 05月 15日 10:57
元副会長様。まるお様ご指摘のとおり、『みんながやっている』という前提のように感じます。
組織が任意加入の徹底周知をすれば、その前提は崩れ、みんながやってるから入るのではなくて、やりたいから入る人の集まりになっていくとおもいますよ。
元会長様は任意加入の徹底周知は必要だとおっしゃりながら、頭のなかでは強制加入であることが抜けていないのではないかとさえ感じます。
任意と廃止は別様。私も中学校の入学式のときそれをやられました。よっぽど全部ぶち壊してやろうかと憤慨しましたが、やり方として大人げないかなと思いましてやめました。
但し、会員にはなりません。そんな失礼なことをする組織なんて信用できませんです。
それから、ご指摘の有能な人材ですが、私も感じますね。そのとおりだと思います。しかし、PTAは無報酬のボランティアですから、たまたま有能な方はいらっしゃいますが、必ず集まるのは不可能ですね。
でも最低限人権を侵害するとかまで考えなくも、人の迷惑になってないかなとか失礼じゃないかなとかの判別がつく方にやって頂きたいものです(泣)。 -
【1728933】 投稿者: ↑ (ID:3CwKo8ljiC6) 投稿日時:2010年 05月 15日 11:17
毎年、年度末か年度初めに、加入するか否かを決めるといいですね。
賛同者が多ければ、PTA活動は活発になるでしょう。
全員参加が前提では、執行部が何をやっても許されてしまいますから。