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投稿者: 60半ば (ID:zmYq95xPnnQ) 投稿日時:2024年 08月 09日 09:58
子育ても介護も終わり、夫はまだ働き、老後資金は用意できてる。
夫婦仲は良く旅行やランチに頻繁に行ってるし、私はジム通い。
この上なく恵まれている。
幸せだ。
なのに…少し満たされない気持ちも。
その理由は、愛する息子達が遠くに住み今後も地元に戻ってくることはないからかな。
孫達は、同じく遠くに住む嫁親の方が、お気に入り。それは仕方ない。
思った事をズケズケ言う姉に言われた。
そんなに旦那に依存して1人になったらどうするの?って。
そうなったら次男家族が住む土地に移住すると言ったら
「アンタみたいに いつも私に優しくして~もっと私を心配して~、なんて思ってる母親(姑)が近くに来たら迷惑やで!アハハ」だと。
次男夫婦は二人とも優しいのに。
(長男嫁には距離を置かれてるからムリ)
それにアンタの旦那、ちょっと吐き気が止まらないだけで救急車呼ぼうとしたり大袈裟で迷惑やで!
と夫の悪口まで言う姉。
それでも 優しい旦那が毎日、朝早くからバスと電車乗って働きに行ってくれる事に感謝しなさいよ、って。
やっぱり私は幸せなんだな。
60代の皆さんも黄金の10年を幸せに過ごしていますか?
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【7526871】 投稿者: 57歳 (ID:LDY3wlEvvGA) 投稿日時:2024年 08月 28日 08:55
自分は男女雇用機会均等法以降の世代で
大企業の一般職は狙わずに(狙えずに)
かなりランクを落として技術職でしたが
例えばマスコミや公務員なら自宅外四年制大学卒でも
試験さえ突破すれば採用されていたようですが
一般企業での就職は難しかったです、バブル世代でも。
自宅生でも100社以上回った女性がいます。
Uターン就職でも色眼鏡で見られたり(かなり男尊女卑が酷い時代でした)
ただ、Uターン就職なら自宅通勤になるので有名企業に採用されていました。
妊娠しても、まず、保育園が見つからず、
保育園が見つかってもきっちり5時までで延長保育は皆無だったので
職場の方は時短にしなければならない、
自分の就職先は時短制度はありましたが、当時はその制度があった企業は少なかったです。
衝撃的と言われようがなんだろうが
大企業に就職したければ、一般職で短大卒で自宅生が必須
雇用機会均等法を使って総合職に就職した超優秀な女性でも
男性と同じ残業と転勤ありで
それ以上に色眼鏡で見られ続けて育てようという感じでは無かったようで
続くかたは少なかったような・・・伝聞ですが
そういう年代が60代ですよ
四年制大学であったために、どれだけ短大のかたたちから上から目線で見られ続けたか
修士に行こうものなら「就職出来ない」と言われていましたし
修士に行く人はだいたい大学に残りたいかたたちで一般企業には就職しませんでした
自分の就職先は技術職で女性でも四年制大学卒で一人暮らしだったり所謂、国公立大早慶(のかたもいましたが、修士卒のかたも)でなくても採用していた自由な会社だったので、就職先では同じような一癖ある四年制大卒女性が多くて肩身が狭い思いはしませんでしたが、それが一般社会に出ると、どうして、一人暮らしして四年制大学?と言われ続け、何もやましいことは無いのに色眼鏡で見られ続け、所謂高偏差値短大の人々からは上から目線で見られ続け
その後の再就職も、派遣やパートでなければ、なかなか難しかったです。
子供がいると(急な病気などがありがちなので)採用お断りされることが多かった。
60代前後の就業事情は、今の若い人とは全く違いましたよ、そもそもの大学進学からして違っていました。都内の良いところのお嬢様は短大だったようです。 -
【7526875】 投稿者: 自宅通勤 (ID:32YQKFP4vFo) 投稿日時:2024年 08月 28日 09:03
詳しく教えてくださってありがとうございます。読むほどに現実の壁に押し潰されそうになります。
その時代を切り拓いて、現在の形にしてくださった先達の働きに感謝です。 -
【7526881】 投稿者: へび年 (ID:WJmLoGiv8hU) 投稿日時:2024年 08月 28日 09:18
上智大学卒ですが、同級生皆名の通った企業(外資含む)に採用されていましたよ。勿論就活は簡単ではなかったようですが。男女雇用機会均等法の施行二年目くらいなので皆総合職だったような。
短大卒の方が有利、という話は当時聞いていませんでした。
高校も都内トップ校の一つですが、短大に進学したのは0に近く、浪人した人でも四大に進学し、その後の就職も一流企業ばかり。女子の話です。
私自身は卒業してすぐ結構したので就活もしていませんが。
バブル直前の話です。
でも多くの人が出産で仕事辞めていましたね。やはり当時は両立は難しかったのでしょう。 -
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【7526883】 投稿者: オリンピック生まれ (ID:fq4Hc46tTjY) 投稿日時:2024年 08月 28日 09:20
再就職先はJapanTimesで見つけましたがOL(死語?)時代の貯金で留学したり資格を取ったりして再就職してきた女性が数名いました。
ところで、誤解のないよう言及したいのですが、別に寿退社や専業主婦をあれこれいうつもりはありません。家庭を守り育児をしっかりやることもとても価値のあることだと思うから。 私も三児の母です。
ただその当時は疑問も持たずその流れに乗ってきたのに、今になって今の若い女性は仕事ができる環境でいいわね、うらやましい、というのはなんだか言い訳がましいなあと感じるのです。 -
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【7526896】 投稿者: 過渡期 (ID:yyo4kwasA0k) 投稿日時:2024年 08月 28日 09:40
>大企業に就職したければ、一般職で短大卒で自宅生が必須
50代は過渡期ですが40代は氷河期でもっと悲惨でしたね。
バブル入社は「短卒」「自宅」が必須ではありませんでしたよ。
求人難なので。
57歳さんが就職に苦労したのは「技術職」だからと思います。57歳の女性で大学院卒はとても少ない時代でしたので、どこの企業も女性技術職はほとんど募集してなかったと思います(大企業は、その世代の男性でも技術職は大学院卒が当たり前) -
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【7526923】 投稿者: まわり (ID:PyKl6AN4b8Q) 投稿日時:2024年 08月 28日 10:02
祖父母や親が大卒家系の友人たちは、大学に進学するのがあたりまえな感じでしたが、親が高卒以下の友人は、大学にも合格したけど、女だから大学でなく短大だと言われて、大学に行かせてもらえなかった友人が少なくないです。
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【7526928】 投稿者: 五十代後半 (ID:M6Q89F7FQD.) 投稿日時:2024年 08月 28日 10:07
均等法施行前と施行後で、見える景色が違うのかもしれません。私は施行後世代ですが、60代の早慶卒の友人によると、男子学生にはダンボール一箱分の就職情報誌?求人誌?が送られてきたのに、女子学生には来なかったと。彼女は男子にも付ける名前だった為、男子と間違われて送られてきたが、応募して女子と分かると門前払いだったそうです。彼女はIT関連に就職しましたが、商社金融などの花形有名企業へ女性が就職するには、自宅通勤の短大卒が条件だったのでしょう。
私自身はへび年さんと同じような環境で、高校の同級生は殆ど四年制大学へ進学し、都銀や損保などに就職した人もいましたが、やはり結婚を機に退職する人が多数派でした。それでも夫の収入だけで何とか生活できたし、給料も右肩上がりだったので不安はなかった。
今は女性も働きやすくなりましたが、逆に専業主婦になるのが難しい。自分が育ってきたレベルを維持するには殆どの会社員は共働き必須で、その点は親世代より厳しいと感じます。 -
【7526939】 投稿者: 親世代 (ID:T5d0MK.wnDI) 投稿日時:2024年 08月 28日 10:22
同じ大企業に就職といっても職種はピンキリですから、大学や大学院を卒業して、やりがいのある仕事に採用されていたら結婚してからも仕事を続けていたと思います。。