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【2083134】「おひさま」スレッド

投稿者: 電子   (ID:YB/7806luIU) 投稿日時:2011年 04月 04日 08:29

連続テレビ小説第84作「おひさま」スタートです!

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  1. 【2194795】 投稿者: 横の話で大変恐縮ですが  (ID:npXcWfys2iA) 投稿日時:2011年 07月 07日 11:02

    撮るしん。様。


    コンサートの情報を掲げておきますね。


    「四大学男声合唱団 サマーコンサート」


    参加団体:  同志社グリークラブ
           信州大学グリークラブ
           北海道大学合唱団
           横浜国立大学グリークラブ  


    日時  :  2011年8月24日(水)
           開場 17:30  開演 18:00
    会場  :  京都府民ホール ALTI


    Fragmentsは4大学の合同ステージで歌われます。総勢160名余の見込みだ
    そうです。
    指揮は同志社の伊東恵司先生です。
    その他詳細は、同志社グリークラブのHPに載っております。
    問い合わせ等も、主催する同志社グリークラブで大丈夫かと思います。
     
             

  2. 【2194812】 投稿者: 撮るしん。  (ID:6DLRPHU9n5Y) 投稿日時:2011年 07月 07日 11:13

    横の話で大変恐縮ですが様、

    ありがとうございました。 ご子息様もご参加なされるのですよね。
    どうぞ御身体に気をつけて、頑張ってください。 良いステージになりますように!
    そのステージで歌う学生さんたちと同じ年代の青年達が、特攻隊として散っていった歴史の事実、
    歌に思い込めて、学生さんたちがそれぞれ何かを感じ、伝えてくださるのでしょう。貴重なステージですね。

  3. 【2194892】 投稿者: ささ  (ID:x1R0kVegruM) 投稿日時:2011年 07月 07日 12:13

    横の話で大変恐縮ですが 様

    コンサートのお知らせ ありがとうございました。
    近ければ ぜひとも伺いたいところですが
     京都では伺えず 本当に残念です。
    東京方面で やるような事があれば 絶対に聴きに行きたいです。
    そのような 重い内容の歌ですが 同じ年頃の若者が歌うことに
    意味があるように思います。
    歌った若者 その歌を聴いた若者達が 何かを感じとってくれる事を
    願います。

  4. 【2194969】 投稿者: ひまわり  (ID:FTWxS5v/wh.) 投稿日時:2011年 07月 07日 13:22

    >『心に太陽を持て』杏子ちゃんへの贈り物でしたね。杏子ちゃんの朗読でもう涙が・・。


    内容の如何にかかわらず、あの時代、本や文学作品を目上の人に薦めることはまずないと思われましたので、
    教え子の杏子ちゃんへ贈るのかなぁとふと思いました。
    本当に、子役のお子さんの演技も素晴らしいので涙を誘います。
    それにしても、あの年頃で、初見の詩を朗読しながら感情移入して涙する杏子ちゃんは精神年齢が高いです。
    親元を離れて幼い妹を気遣いながら見知らぬ土地で暮らすことだけでも我慢の日々であるはずなのに
    両親との再会が唯一の心の支えであったでしょうに突然の訃報。
    近しい人の死と直面することで否応なく精神面で大人にならざるを得なかったのでしょう。
    それでも希望を抱いて健気に生きていこうとする杏子ちゃん姉妹の行く先を
    いつもお天道様に照らされていますように。

  5. 【2195011】 投稿者: 月子  (ID:PRxNuz0Fj9Y) 投稿日時:2011年 07月 07日 13:54

    すっごい気になったのですが・・・
    シゲ兄さんが傷心で燃やしていた本、タイトルの横書き表記が左から右に書かれてあったんです。
    「心に太陽を持て」は右から左だったんだけど・・・
    横書きの表記が変わったのって戦後ですよね?
    飛行機の勉強をしていたのは戦中だから、やっぱり違和感あります。
    あんなに大映しになってて、スタッフさん誰も気付かなかったのかな?

  6. 【2195110】 投稿者: リアリティ  (ID:XUGsmBumxp2) 投稿日時:2011年 07月 07日 15:30

    技術書や算数、音楽(楽譜)など、そのほうが合理的な場合は、
    左横書きもあったようです。

  7. 【2195226】 投稿者: 無名の人  (ID:/qPGEqIZhOE) 投稿日時:2011年 07月 07日 17:13

    2度目の投稿です。
    月子さんのご指摘とおり、横書きが左から右に代わったのは戦後です、確かにそういう意味で茂樹の飛行機の本は残念な気がします。
    ところで、医者にまでなっていた長兄の春樹の戦死は大変な悲しさを与えておりますが、ヒロイン陽子を囲む男性群は夫の和成も次兄の茂樹も、そして実家の隣家の幼なじみのタケオも生還できたのは幸いでしたと思います。
    余談ではありますが、またも、私見(妄想)を書かせて頂きますが御許しください。
    陽子先生の同僚で代用教員だった中村先生も戦死と推定されますが、彼は代用教員時代、師範学校出の陽子先生と夏子先生へのコンプレックスがあり、嫌味や女性教師の甘さを批判していたものの、出征の直前には本当は良い心の持ち主であることがわかるだけに、このままま戦死したのではなく、数年後に生還するシナリオも良いと思います。
    以下は私ならこう考えま内容です。
    彼(中村先生)は出征後、満州に行き、戦後、ソ連軍に捕虜として捕らえられた後、シベリアに抑留され酷寒の中の強制労働を経て、数年後に生還する。(ここでシベリア抑留の残酷さがこのドラマにも現れる)
    帰国した彼は仕事がなく、彼はもともと体育の先生になりたかったのであるが、自分は戦前に師範学校に入る学力がなかった、しかし、戦後は学制改革により、新制の大学で教員免許が取れることを知り、アルバイトをしながら、必死の努力で、大学の体育学部に入り、中学校の体育教師の資格を得て、長野に戻り陽子と夏子先生にある場所で再会。
    そして、驚いた陽子と夏子先生、この時はすでに新制の学制(6-3制の義務教育)の時代、陽子は夏子先生とともに「私達が小学校で子供に夢をあたえる教育をしますから、中村先生は中学生にがまん強さを教えてあげてください」と励ます。
    「もともと昔から子供達と野球をやることが一番の夢でしたが、念願の野球部の顧問にもなりました」と答える中村先生。
    いかがなものでしょうか

  8. 【2195452】 投稿者: 1つだけ  (ID:zMrZCjyhwsI) 投稿日時:2011年 07月 07日 21:06

    ずっと違和感があるのは、


    大人も子供もみんな
    丸々と太って栄養状態がきわめて良さそうなこと。


    あるいは、
    戦時中・戦後とはいえ、
    安曇野などの地方の農村部は、
    東京や大阪などの都市部と違って自給も十分にできて
    飢えはあまりなかったのでしょうか。


    男性陣がお酌するするシーンも多くて、
    意外とゆったりした暮らしぶりにみえるのが
    気になりました。

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