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【2083134】「おひさま」スレッド

投稿者: 電子   (ID:YB/7806luIU) 投稿日時:2011年 04月 04日 08:29

連続テレビ小説第84作「おひさま」スタートです!

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  1. 【2155645】 投稿者: 撮るしん。  (ID:bKFWAROld9.) 投稿日時:2011年 06月 06日 09:05

    陽子の亡き母との思い出があるそば畑、和さんの家の畑で、亡くなられた妹さんとの思い出がある・・
    『ご縁』を感じると同時に、だからあの時、そば畑で佇んでいた和さん母との出逢いだったのか・・と、
    納得の行く、それぞれの心のひだ?・・まで無理のない脚本だなぁ・・と思いました。
    同じそば畑で、片方は亡くした母を、片方は亡くした娘(妹)の思い出をかみしめる・・のね。

    陽子さんの結婚、もし当時の日本が、昭和14年の状況、もしくはもっと好景気?の状況だったら、
    川原さんではなくても、春兄さんの一校時代や帝大での友人だったり、
    茂兄さんの予科練からの友人や軍の関係者、お父さんの関係者、それこそ子爵家から?・・など、
    女学校から師範学校へと進んだ、当時では高学歴の陽子の縁は、又違っていたのかもしれませんね。

    でも、予科練出身の上等兵でも最前線に赴き、その昔は兵役が免除されていた長男・一人っ子も出征し、
    医学生でさへ卒業繰り上がりで徴兵される時代に突入し、この後は中高年も徴兵され、その後は学徒出陣、
    神風特攻隊の出陣、本土への爆撃も始まり、灯火管制、集団疎開・・ の時代、このドラマのような
    一夜だけの花嫁は多かった・・ と聞きます。 14年時とは価値観が一変してしまった時代なのでしょうね。

    私は、和さん母がお見合い後にお詫びに来た時の「和成は私に娘を作ってやろうとしたんだと思います。
    自分が帰らなくても私が寂しくないように・・ でもそれが陽子さんに会ってどんなに失礼なことかと・・」
    に、お父さんが「なるほど」と答えていたシーンが、その後のお父さんの行動に繋がったように思います。
    自分は国の要請で名古屋の飛行機工場に行く、時代背景からも、軍の最前線にいる息子のことを考えても、
    断れる話ではない・・、その時に気掛かりな大切な一人娘に、母を亡くしてからずっと頑張ってきた娘に
    母を、甘えられる人を作ってあげたい・・、どうやら和さん母はちょっとうるさい?が決して悪い人ではなく、
    陽子を自分の娘として大切にしてくれるだろう、自分のように穏やかで自分よろちょっと面白い和さん父も
    信頼できそうで、何より和さんに陽子が惹かれていることは、不器用なその様子を見ていればよくわかる・・、
    そんなお父さんの行動だったように思います。 仕事も続けられるしね。 本当に素敵なお父さんですね。

    名古屋は、軍の重要拠点(おそらくお父さんの行く新型戦闘機開発の飛行機工場など・・)があった為に、
    うろ覚えですが、本土空襲の最初の方で、被害もかなり大きかったのですよね?・・ 心配です。

  2. 【2155650】 投稿者: 撮るしん。  (ID:bKFWAROld9.) 投稿日時:2011年 06月 06日 09:08

    自分よろ⇒自分より です。 いつもつい長文になってしまってすみません・・。

  3. 【2155750】 投稿者: キラキラ  (ID:VB1ezlpsCeg) 投稿日時:2011年 06月 06日 10:23

    私も、名古屋は空襲が酷かったのではないかと・・・
    お父さんの事も心配になります。

    でも、今日は、陽子の生徒たちが我が家に来て
    嬉しそうに小豆をふるまっているお父さんの優しそうな顔が印象的でした。

  4. 【2155772】 投稿者: 天然水  (ID:en47.kVYw.A) 投稿日時:2011年 06月 06日 10:41

    和さんの母が、朝からどうしてそば畑に立っていたのかなぁ、と不思議だったんです。
    でも、亡き娘さんとの思い出の場だったとわかり、納得しました。みなさんが
    書いているように、本当によく練られた脚本だと思います。

    名古屋に行くお父さんが私も心配です。あの時代にこんなに優しくて物分りがいい
    父親っていたのかしらと思ってしまいますが、ああいう方となら、紘子さんが
    子爵家の両親のもとを出てまで一緒になった気持ちがわかります。そして、紘子さんも
    早くになくなったとはいえ、いい人生だったのですね。

    ドラマなんですが、やはりこちらの心を動かすものがあります。

    番組HPに寺脇さんのインタビューが載っていますね。

  5. 【2155788】 投稿者: ありんこ  (ID:MlUvpn2XMVw) 投稿日時:2011年 06月 06日 10:52

    撮るしんさまへ

    14年頃の記載がありましたが、真珠湾攻撃が昭和16年12月なのでそれ以降になっていると思います。
    細かいことで申し訳ないのですが、気になりました。

    戦争が終わるまで後何年だろうと気になりながら見ているもので。

  6. 【2155819】 投稿者: 撮るしん。  (ID:bKFWAROld9.) 投稿日時:2011年 06月 06日 11:21

    ありんこ様、ありがとうございます。
    太平洋戦争回線は昭和16年12月8日、(第二次世界大戦はその前から)、ドラマの現在は18年秋、
    だと思います。 確か・・(^^)

    14年時とは、以前ドラマで、14年のお正月のシーンがありました。
    若尾さん(現在の陽子さん)のナレショーンで『家族全員で笑って過ごせた最後のお正月』として、
    晴れ着姿、当時安曇野の帝王のお嬢様真知子さんはきつねのえりまきも巻いて、の少女3人の初詣、
    そして川原さんとの失恋、という流れだったと思います。 飴やさん(砂糖・甘味)もまだ健在の時代
    昭和の良き時代の終焉・・のような感じだったと思います。現用子のナレーションでも
    『翌年からは戦地で戦っている兵隊さんのことを慮って門松は禁止・・』と言っていましたね。

    もし、日本がその時のまま、真珠湾など攻撃しなかったら、陽子の縁談が14年当時のような最中だったら
    という、歴史の後戻りなどはできないのですけれど、例え話で書いたつもりでした^^。

  7. 【2155821】 投稿者: 撮るしん。  (ID:bKFWAROld9.) 投稿日時:2011年 06月 06日 11:22

    回線⇒開戦、失礼しました^^。 いづれにしてもわかりにくい文章で、ごめんなさい。。

  8. 【2155840】 投稿者: ホームベーカリー  (ID:iHOiFCsHQYs) 投稿日時:2011年 06月 06日 11:43

    土曜日に、すぐに未亡人になるかもしれない、なるであろう結婚なのになぜ?
    と書いた者です。

    今日、撮るしん。さんの書き込みをみて
    気付きました。
    私には、この戦争の終焉までもう2年もないとわかるからこそ
    なぜ?と思ってしまったのですね。

    あの時代にいれば
    いつまで続くともわからない戦争ですもの
    天涯孤独となってしまうかもしれない娘のことを心配するお父さんの気持ちというのも
    納得できるような気がします。

    口にしてはいけない言葉だったのでしょうけれど
    どうか皆さんがご無事で帰還されることを祈らずにはいられませんね。

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