- インターエデュPICKUP
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投稿者: 早稲田大学法学部落ち駒澤大学経済学部 (ID:1wuqYOOukXM) 投稿日時:2014年 01月 13日 03:09
Cast
三上博史
芦田愛菜
鈴木梨央
桜田ひより
渡邊このみ
三浦翔平
五十嵐陽向
田中泰生
木村文乃
城田優
鈴木砂羽
酒井美紀
楽しみですね!三上さん久し振りです。
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【3315941】 投稿者: 現代のグリム童話 (ID:9TUoHvMFEvE) 投稿日時:2014年 03月 08日 15:39
>このドラマはデフォルメされており、実際の擁護施設や里親制度とは、大きく違っています、
番組の最後に、きちんと「この物語はフィクションです。登場する人物・団体などはすべて架空で実在の人物・団体などとは関係ありません」と書かれていますよ?
それ以上でもそれ以下でもありません。
実際の里親制度と違うのも、物語の終盤でその理由が明らかにされてきました。
あくまでフィクションなのですよ。
>当事者である人や施設が傷ついてしまうことが予見できる
実際に「こうのとりのゆりかご」で保護された乳児は、健康に問題が無ければすぐに乳児院に送られるため、自分がどこで保護されたかは伏せられていて知り得ません。
ですから、実際の「当事者」が傷つくことはあり得ません。
だから、子どもが自分がポストだと名乗ることも、実際は、ほぼ皆無でしょう。
ただ、このドラマでは、この子はどこかの段階で(たぶん乳児院からコガモに引き取られ)ある時期が来て魔王に本当の事を知らされた?という過去設定を、今の段階で想像できます。
施設が傷つく…と言う点に関してですが、「こうのとりのゆりかご」は設置段階で既に社会的な物議を醸していて、様々な立場の人が問題点を指摘しています。
それでも、信念を持って慈善事業として始められたのなら、たとえどんな事があっても、自分たちのやっていることにプライドを持って毅然とした対応をすべきだと思います。
いくら世間から「こうのとりのゆりかごなんて聞こえの良いネーミングだけど、結局のところ、赤ちゃんを捨てるポストじゃないか」と散々揶揄されてきて、今になって、こんなドラマの表現にいちいち突っ込んで、なんていうか大人げないというか・・・
ちょっと覚悟が足りないんじゃないか?とさえ思います。
>ポスト、やロッカー、というあだ名をつける必然性があったのでしょうか?
ポストじゃなければならない必然性は、ありますよね?
赤ちゃんポストに預けられて、実の親が誰かもわからない子ども、ただ紙切れ1枚に赤ん坊の名前だけが書かれていた・・・
この子は、役所に出生届すら出してもらっていない。
親は全く誰かわからない(一生親が名乗り出ることが無いかも?)状態で、なぜこんな紙切れに書かれた名前一つで、実の親に縛られなければいけないのか?
そういう思いから、この子は自分の名前を否定的に感じているんですよ。
「ポスト」に捨てられたのが自分の運命の始まりだから(産んだ母親が名前を付けたことは、自分の運命の始まりではない)と感じて、本名を呼ばれるのを拒んでいる。
だから、あえて「ポスト」と名乗って、自分の運命を前向きにとらえている。
それに彼女を「ポスト」とすることは、他の子と明らかに境遇が違うことを表すのに、かなり効果的です。
他の子たちは、親を知っているが事情があって親と離れ離れになったけど、ポストだけは親を全く知らない子。
もしピア美みたいな嗜好性に由来する呼び名にしたら、他の子たちと同列の印象になって、その見えないけど大きな違いを、視聴者はすぐに忘れてしまうかもしれない。
フィクションとして、ちゃんと考え抜かれた必然的要素だと思います。
「ロッカー」については、ここからは私の単なる妄想ですが、ポストが自分のまだ見ぬ母親への思いにもてあまして悩んでいた時期に、魔王から真実を聞かされて落ち込んでいるときに、まだ少年だったロッカーが、自分だって親にロッカーに捨てられてたんだよ…と告白して、そしてお互いにその運命を呪うのではなく前向きに生きていくために「ポスト」「ロッカー」と呼び合うようになったんじゃないかな・・・?
私は、魔王が最終的にこの二人を養子縁組して、最後まで面倒見続けるような気がしています。 -
【3315952】 投稿者: 結局は (ID:OPByiyj2deo) 投稿日時:2014年 03月 08日 15:49
現代のグリム童話様のおっしゃる通り、慈恵病院が「ポスト」というあだなに過剰に反応し
それに便乗する形で、クレーマーが我も我もと湧いてきたのではないですか?
表面的な事しか見ていないですよね。
このドラマの前に、薬師丸ひろ子主演の「コウノトリのゆりかご」というドラマやりましたよね。
慈恵病院は、このようなドラマならば満足なんでしょう。 -
【3316006】 投稿者: 残念でいます (ID:xqUcDlmxoYM) 投稿日時:2014年 03月 08日 16:26
必然性
必然性とは、
誰かを傷つけてまで、ポストやロッカーの設定をして、あだ名をつけるほどの必然性があったのかを、問いたかったのですけど?
例えば、ポニーテールとかのあだ名にして、親に捨てられたから本名は名乗りたくない、と説明しても大筋は通りますよね。インパクトはなくなりますが。
まぁ平行線になるので、このぐらいで失礼します… -
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【3316015】 投稿者: 残念でいます (ID:xqUcDlmxoYM) 投稿日時:2014年 03月 08日 16:36
すみませんつけたし
フィクションです
だけでは足りないと思ったのは、現に誤解してる人がいたからです。
難病ものでも
実際の症状はドラマと違って、ひとにより症状が違います
とか、テロップありますよね。
私が書いた程度のテロップぐらい、流してもバチはあたらないと思いますし、その程度の配慮ぐらいできるでしょう
もう少し、配慮があれば
回数減らすとか残念なことにならなかったのではないかな。
では本当に失礼しときますね。 -
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【3316022】 投稿者: 現代のグリム童話 (ID:9TUoHvMFEvE) 投稿日時:2014年 03月 08日 16:41
「ポスト」と言う呼び名で、傷つけられた子供はいない…と思います。
それは上で説明しました。
フィクションにおける「必然性」は、作品に重要な外せない要素・・・と言う意味でしょう?
このドラマの物語やテーマにおいて、「ポスト」と言う呼び名は、決して変更も訂正もできない重要なポイントでした。
ちなみに「ノンフィクション」の「必然性」は、「事実であること」です。
例え、その事実が世間に知られて傷つき悲しむ人がいても、それが「事実である」なら、事実を知らせる「必然性」が、ノンフィクションにはあります。
>まぁ平行線になるので、このぐらいで失礼します…
平行線のままなのは、あなたのフィクション作品に対する知識と理解の浅さから来るものだと思います。 -
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【3316071】 投稿者: 現代のグリム童話 (ID:9TUoHvMFEvE) 投稿日時:2014年 03月 08日 17:26
>私が書いた程度のテロップぐらい、流してもバチはあたらないと思いますし、その程度の配慮ぐらいできるでしょう
事実と具体的にどこがどう違うかは、実際の当事者でなければ判断できない部分もあります。
当初、監修を受けた岡本忠之氏は、ドラマに出てくる養護施設が現実とあまりにも乖離しすぎだと指摘したそうですが、それもそのはず、現実とは全く違うことをしている施設という設定がこの物語のキーポイントだったからです。
だから、監修者に事実と違うと言われれば、それがこのドラマのポイントであり狙いなんですよ…ということだから、裏付けができたことになります。
岡本氏の見解が事前に養護施設関係者に伝わり、放送直前に一度、児童養護施設団体から問題定義があったそうです、実はその段階で日テレは、関係団体に「事実と異なる部分を具体的に文書化してほしい。してもらえれば、それをHPや番組の最後などで公表する」と申し出たようです。
しかし、その申し出に対して、そんなことを受ければ、このドラマを容認しまったことになるから…と言って拒んだそうですよ。
まあ実際、児童養護施設では問題が発生し続けていて、全くクリアだというものでもなく、関係者としては、あまりこの分野に注目してほしくない…と言う思いの方が強かったはずですからね。
明確に事実と違うと説明することも、なかなか難しかしい立場だったのかもしれません。
しかし、もしこの段階で「フィクションです」だけで納得しない当事者たちが、具体的に補足説明をすることを拒まなければ、ここまでの騒動に発展しなかったのでしょうか?
私はそうは思いません。
養護施設の描かれ方とは別問題で、放送直後に「ポスト」と言うあだ名について過剰な反応を示した慈恵病院が出現して、このドラマは一気に世間の注目の的になりました。
この病院の記者会見で一気に火が付き、このドラマは叩かれ始めました。
施設関係からのクレームは、たぶん日テレ側もそれを予測していたと思われます。
ただ、「女王の教室」でもそうですが、今までのドラマでは、ある程度放送回数を重ねたうえで、実態調査後に関係諸団体からのクレームが来ていたので、今回もそのような形になると考えていたと思います。
前にも書きましたが、それぞれの立場から自由に問題定義するのは「あり」です。
それはお互いの立場上当然の権利(表現の自由)だからです。
抗議する側にとっても、抗議していることが世間に伝われば、その目的がほとんど達成されていることになります。
今回も、養護施設関係団体が正式に申し入れをした時期は、かなり放送が進んでからでした。
それに、この団体からの申し入れは「放送中止要望」ではなく、内容改善の要望でしたしね。
そして、この申し入れに対して、日テレは正式に「対応する」と答えました。
この流れは、今までのドラマでの対応と全く同じであり、当初の想定内だと感じました。
しかし、まさか放送初回だけを見て、いきなり「中止要請します」ということを、記者をわざわざ集めて記者会見を開いて決意表明する病院が現れるとは、夢にも思っていなかったでしょうね。
そこだけが計算違いだったと感じます。
・・・ていうか、この病院のやり方が、常軌を逸していました。
初回見ただけで、「中止要請」ですよ?
日テレは、この病院の申し入れに、「放送中止は物理的に無理」「ドラマ制作の経緯はどんなドラマでも明かせない」と回答をしました。
そう答えるしかない要望だったからです。
配慮配慮と繰り返していますが、このドラマに一体どこに配慮が足りないのか理解に苦しみます。
はっきり言って、マスコミや世間を煽るがごとく、突然、過敏に反応して記者会見を開き、独自の論を押し付けた慈恵病院には、本当にあきれました。
ドラマを楽しみにしていた人、テレビ局、スポンサー、制作に携わったスタッフや俳優・子役たち・・・ものすごく多くの人たちが、この慈恵病院の軽率で短絡的な行動によって、騒動が大きくなったことで、影響を被りました。
それがわからない人が多すぎます。 -
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【3316072】 投稿者: 今日も寒い (ID:hEjkhi9sI2A) 投稿日時:2014年 03月 08日 17:27
話の腰を折るようですが。
そういえば、ロッカーは、暴力をふるう父親を殴り、その後母親がとどめを指して父親を死にいたらせた…のでしたよね。その時小学生くらいでしたよね。
以前お風呂でポストが、「コインロッカーに捨てられてた、まぁポストもどっちもどっち」という話をしてましたが、違ったんですね。
しゃべらないので勝手に周りが想像して付けたあだ名だったんでしょうか? -
【3316088】 投稿者: 現代のグリム童話 (ID:9TUoHvMFEvE) 投稿日時:2014年 03月 08日 17:39
コインロッカーに捨てられたのは、本当です。
魔王のセリフで明らかになっています。
ロッカーは、DVの父親が泣き止まない息子(赤ん坊)をロッカーに捨ててきた。
それを知った母親は半狂乱になって息子を探して、やっと見つけ出した。
父親はその後、さまざまな暴力や犯罪で、塀の中へ・・・。
そして、母と息子は助け合って幸せに暮らしていた。
ところが、そんな平和な日々に突然、父親が出所して帰ってきた。
当然心を入れ替えているはずもなく、またしても母子に酷い暴力を繰り返す・・・。
とうとう息子は母親をかばおうとして、父親を突き飛ばしてしまう。
打ち所が悪く死んだと思って、母親は息子を逃がしたが、父親は実はまだ生きていて、息子を追いかけようとした。
そこで、母親は思わず後ろから刺し殺した・・・
ということでした。