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投稿者: 万引き家族 (ID:2W.kos2hWpM) 投稿日時:2018年 05月 20日 13:04
カンヌ国際映画祭で最高賞を受賞した是枝裕和監督も、過去2回受賞した今村昌平監督も早稲田文学部出身と言う事を思い出しました。
文学の世界でも実業の世界でも政治の世界でもマスコミ業界も、
目立つのは早慶出身者ばかりじゃないですか。
こういうと「人数が多いから」とトンマな事を言い出す方が必ずおりますが、
早慶VS旧帝に置き換えても歴然とした差があります。
どうしてこういう事になるのでしょうか?
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【6769408】 投稿者: 昔の記憶 (ID:THAhrXfz.3U) 投稿日時:2022年 05月 07日 22:11
昔の体育会系はこんなものだと思いますが。
1年生:虫けら
2年生:奴隷
3年生:平民
4年生:神様 -
【6769429】 投稿者: 今も (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 07日 22:29
東京六大学各校のリーダー部員は原則、学ラン着用のはず。しかも、その下は白いワイシャツと決められている。野球部員でさえブレザー姿であるので、授業ではとにかく目立つ。そのうち、法政大学応援団がもっとも応援団らしいと定評あるが、意外にも立教大学応援団も上下関係に厳しいと聞く。
東京六大学野球も、明治、慶應、立教、法政が優勝をかけ、一敗もできない状況になった。他方で、残念ながら優勝戦線から脱落した早稲田は最後の早慶戦で意地を見せるであろうし、東大もまた作戦を練りに練って立ち向かうはずである。東京六大学野球が熱く、おもしろい。 -
【6769441】 投稿者: あるいは (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 07日 22:35
1年 奴隷
2年 平民
3年 天皇
4年 神様
したがって、「奴隷」や「平民」は神様に直接口を利くことは許されない。その理由を神様に質すと、その必要がないから、とのことであった。もっとも、奴隷も3年我慢さえすれば神様になれるのだから、ある意味風通しいのよい部分社会だといえる。 -
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【6769471】 投稿者: と、いうよりも (ID:xl6bBrWurws) 投稿日時:2022年 05月 07日 22:59
作者自身が当時の大学応援団の姿にヒントを得たのではないか。ちなみに、モデルは「マグロ」で有名な関西のK大応援団だと聞いた。この応援団、大学野球選手権で法政大学と対戦したとき、自校の攻撃が終わりイニングがかわっても「K大節」を団長が引き続き演じ続けていた。しかし、法政側が自校応援の演奏を始めたことに立腹し、試合後に抗議したという。おそらく関西のリーグ戦では、対戦相手がそれに配慮してきたのであろう。しかし、法政側はそんなことは知らん、と一蹴したそうである。応援文化もそれぞれ。
ところでその昔、同じく大学野球選手権で駒澤の応援団がスタンドで応援活動をしていたところ、次の試合のために横に待機していた創価大学の人々がそれに加勢して、手拍子等での友情応援の形になった。感激した駒澤のリーダー部員らは試合後、今度はお礼とばかりに創価大の応援席に残り、創価大ナインを応援していた。とても良い光景であった。そのとき、創価大の方々が、鮮やかな三色旗を振っていたことも印象的。 -
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【6769759】 投稿者: 剛田先輩 (ID:YANGCSWAudw) 投稿日時:2022年 05月 08日 09:27
当時花の応援団は結構流行りましたし映画化もされましたが、もう神田の古本屋にも置いてない幻の本になりましたね! 全十五巻ぐらいあったのかな?
かなりの応援団が影響受けたと思いますよ。
懐かしいなぁ。。。 -
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【6769959】 投稿者: 別の視点を一つ・・・ (ID:p5T2tzOoDJY) 投稿日時:2022年 05月 08日 12:07
自分はつい、応援部(団)と体育会を十把一からげにしてしまいましたが、
正確を期するなら両者は本来分けて考えるべきかもしれません。
体育会は競技・試合があるので、一応の上下関係があったとしても
実力のある下級生、一年生が上級生を抑えてレギュラーになる可能性がある。
というより、それが当たり前の実力主義社会です。
対して応援部(団)は当然のことながら固有の試合がありません。
「上か下か」の基準は学年で全てです。まさに年功序列社会。
企業なら「年下の上司、年上の部下」なんてごく当たり前の日常で、
体育会クラブはむしろこの企業に近い側ですが、
応援部(団)は下剋上が起こらない、起きようがない完全縦社会です。
応援部(団)の閉鎖性や暴力的体質はそれが全てではないにせよ、
こういった縦社会に一部起因しているかもしれません。
なので戦前の旧日本軍の亜流ともいえる日本の大学の応援団(部)と
体育会ですが、必ずしも一緒くたにはできないかと。
もっとも、応援部(団)ではないクラブ所属だった自分の時代にも、
「2学年以上離れた上級生には自分から話しかけてはいけない」という
変な風習がありましたけどねぇ(汗)。 -
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【6769996】 投稿者: 連投失礼 もう一つの視点 (ID:p5T2tzOoDJY) 投稿日時:2022年 05月 08日 12:37
あと、「むしろ、どおくまん氏こそが大学応援部(団)の影響を受けて
『嗚呼!!花の応援団」を描いたのではないか」という御意見を拝読して
改めて考えてみました。
自分としては、相互に影響を受けたのであろうと。
クラブの先輩たちに話を聞くと「自分たちの時代こそ当部の全盛期だった」と
皆、口を揃えて言います。その盛り上がりが本当だったのならば、
「花の応援団」、大学応援部(団)が相互に影響しあった結果だったと
考える方が自然かもしれません。意識的か無意識のうちにか、は別として。
で、表題の「もう一つの視点」を。
周知のように、日本の大学の応援部(団)の発祥は早慶にあり、
ここから六大学に発展してゆき、全国に広がって行きます。
これは東京六大学の応援部(団)を例にとりますが、応援部(団)が体育会
クラブか体育会以外の団体なのかは結構大きいのではないかと考えます。
東大・早稲田・立教は体育会の一構成クラブであるのに対して、
慶応・明治・法政は体育会とは別個の団体です。
したがって後者3大学の応援部(団)は体育会本部の管理・統制を受けません。
自分が現役の時にリーダー部の同期に言われたことでよく覚えているのが、
「早稲田のリーダー部は官僚的だ。よく大学当局に管理されている。
自分から積極的に動こうとしたり、新しいことをなかなか始めようとは
しないんだよなぁ・・・」というものです。
一方、法政は無傷だったものの、慶応と明治のリーダー部は不祥事により
廃部となりましたが、外部の監視が入りにくいのも案外問題が起きやすい
要因となるかもしれません。言うなれば一種の「治外法権」、でしょうか。
この「応援部(団)が体育会内の組織か外部の存在かか?」という視点は、
六大学に限らず、全国の大学応援部(団)を見る上での一つのポイン
トになるのではないかと勝手に考えた次第です。
長文失礼いたしました。 -
【6770109】 投稿者: 6769959の訂正 (ID:p5T2tzOoDJY) 投稿日時:2022年 05月 08日 14:06
「学年『で』全て」は「学年『が』全て」の間違いでした。
お詫びして訂正します。
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