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【7085476】大学入試改善へ、国が初の指針…「経済学部の受験科目に数学」など想定(2023年1月)

投稿者: 関西人   (ID:w2L4Pc/3uew) 投稿日時:2023年 01月 25日 15:56

http://news.yahoo.co.jp/articles/4a00150c29a25d9103b63afe25488c7b169dfcb3
(読売新聞)

誰も立てないので立てます。

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  1. 【7138278】 投稿者: お答えする  (ID:1mYdWQWYmTM) 投稿日時:2023年 03月 05日 18:51

    君は学校教育法などを精読して、まずは基礎知識を備えることだ。なぜなら、大学、専門職大学、高専、短大、専門学校などそれぞれの学校種ごとに理念が異なるからだ。その上で君の誤解は、「専門」といえば、そうして『専門学校』に短絡することだ。なぜなら、私のいう専門とは真理探究による学問知をさす。他方、君の所論は、すでに完成された経験知の修得である。それゆえ、同じく「専門」との文言であっても、君の認識とは大きく異なる。

    なお、付言する。たしかに、主に実務教育をになう専門学校はその性質上、産業界との関わりは不可欠であろう。しかしながら、大学は異なる。しかも、昔から学問研究の中心であったがゆえに、大学には外界からの干渉は許されない。だからこそ、憲法は「学問の自由(大学の自治)」を大学にのみ確認的に保障したのである(23条)。したがって先般、君が高言した如く、大学側から能動的に産業界との関わりを求めるならば、研究者の真理探究活動が外部勢力の価値判断(=営利至上)により制限されてしまうことは、経験的に明らかなのである。

    換言すれば、そうした憲法保障の存在を嫌悪したからこそアベ政権は、大学内部に「実務家」との名目で産業界の人間を教員として、また経営者らを理事者に加えるとの法改悪を画策し、強制したのであった。すなわち、企業の下請けとしての大学の職業訓練校=賃金奴隷養成所実質化策動である。しかも、東大を頂点にした国立大学間への官製格付けは、少数の将来の企業経営者とその業務命令を労働者らに伝達し、その手先として監視・監督するその他大勢の現場管理者への先行的仕分けでもあった。

  2. 【7138475】 投稿者: 理系優位は変わらない  (ID:9NsvLcIr5TE) 投稿日時:2023年 03月 05日 23:10

    > 私のいう専門とは真理探究による学問知をさす。

    それな君の趣味の世界のことであって一般的にはそうは認識されんよ。学問知であっても現実から乖離していけば妄想や空想に過ぎないからな。あと、経験知とは何を指しているのかさっぱりわからんね。

    研究によって今までにないものを生み出していくなら、蛸壺に閉じこもっているだけは限界がある。異分野の知識を積極的に取り入れて応用していかないと発展しない。そのためには幅広い一般教養を身につけておく必要があるんだよ。

    なお、研究成果で社会に貢献することなく、真理の追究だけをしたいのなら、大学の職を辞して個人でやればいい。憲法23条で守られているから誰も止めんよ。

  3. 【7138891】 投稿者: お答えする  (ID:1mYdWQWYmTM) 投稿日時:2023年 03月 06日 12:08

    君のいう「一般」なるものが、いったい何を指すのか分からない。だが、それがご所論の如く、我々にとり絶対的な存在であるとは思えない。他方で、研究者の活動とは、真理の探究にあると理解されてきた。また大学は昔から、そうした学問研究の中心として重要な地位を占めてきた。

    また経験知とは、実践知と解してもよい。いずれも理論知の対義語であるといえる。大学とは、まさにこの理論知を究める場である。それは、実務教育を行う専門学校とは、明らかに異なるものだ。このことは、再確認願いたい。それゆえ、大学からしてする産業界への接近は、この理論知の脆弱化をもたらす虞がある。

    さらに、研究そのものは、必ずしも「成果」や「貢献」自体を直接の目的とするものではない。むしろ、なぜだろうか、との素朴な疑問を追究するものである。その大前提の上に、その結果として社会の進歩・発展に貢献することが望ましい。主客転倒すべきではない。

    その原則が曖昧だからこそ、一部研究者らが権力者や営利企業に癒着し、御用化してしまうのであろう。批判精神が学問の真髄であるならば、それは研究者としての自殺行為である。その意味で、右で政府与党・財界、左で野党・大労組まで広く批判するこの私は、「(結果として)清貧」である。しかし、それゆえ自由でもある。

  4. 【7139405】 投稿者: 理系優位は変わらない  (ID:UG5AnC7Zsa.) 投稿日時:2023年 03月 06日 20:20

    専門と言ったとき、一般の人は真理探求の学問知だとは思わない。君が勝手にそう思っているだけだよ。
    自費でやる研究ならいくらでも真理を探求するのはかまわないが、給与を含む他人からお金をもらってする研究ではそうもいかんだろう。対価を示さないとモラルハザードがおこる。君の言う社会の進歩、発展に貢献することとは何か具体的に教えてもらいたいものだよ。
    また、実践知は通常ノウハウとして解釈されるが、理系は大学でそれを学んでいると考えているようでは笑われるよ。理系がやっているのは、事実と整合がとれた新たな理論を提唱することだよ。事実と整合が取れてない理論なんて妄想に過ぎないからな。

  5. 【7139714】 投稿者: 感覚与件  (ID:Euce10nx2LI) 投稿日時:2023年 03月 07日 08:36

    >理系がやっているのは、事実と整合がとれた新たな理論を提唱することだよ。事実と整合が取れてない理論なんて妄想に過ぎないからな。

    「事実」は往々にして「妄想」や「ポエム」との境界が曖昧である。中世の人たちは天動説を事実と認識していたわけだしね。
    だからこそ、ラッセルは「sense data」(感覚与件)という概念を用いているわけだ。
    数弱くんの言いたいことは分からない訳ではないが、これじゃあ、老獪な二俣川さんに弄ばれてしまう。

  6. 【7139892】 投稿者: 理系優位は変わらない  (ID:DHJ7qf/gRyU) 投稿日時:2023年 03月 07日 12:22

    > われわれはその「一般」なる漠然としたシロモノなど、始めから考慮外だということだ。

    ごまかすねえ。普通の人は「専門」を”真理探究による学問知”とは認識しないね。君の勝手な定義で議論を進めてもらっては困るよ。なお、古代ギリシャで学問をしていた人は学問を自費で行っていたから真理を探究するのみでよかったが、君は他人からお金(給与含む)をもらって研究しているんだろ。だったらそれに対する成果なり貢献なりを表に見せる必要はあるよな。

    > 君が所与の前提のごとく盲信するその「事実」そのものを疑うのが、学問だ。

    「真実」を疑うならまだしも、「事実」とは実際に起きたことだからそれを否定してどうするのさ。実際に起きたことに対して、原因や理由は何か、普遍的なのか例外的なのか、既存理論にあてはまるか、新しい理論が必要か、別の見方はあるか、などを追究していくのも学問の一つだと考えているよ。
    逆に君は「事実」から目をそらして理論だけで物事を語ろうとするから、現実世界からどんどん乖離する。君が住むのは空想や妄想のおとぎ話の世界がお似合いだろうな。

  7. 【7139900】 投稿者: 理系優位は変わらない  (ID:DHJ7qf/gRyU) 投稿日時:2023年 03月 07日 12:29

    > 「事実」は往々にして「妄想」や「ポエム」との境界が曖昧である。中世の人たちは天動説を事実と認識していたわけだしね。

    上記は「事実」ではなく「真実」でしょうね。中世の聖職者はそう思い込んでいたのだから。

  8. 【7140265】 投稿者: 感覚与件  (ID:Euce10nx2LI) 投稿日時:2023年 03月 07日 18:25

    >「事実」とは実際に起きたことだからそれを否定してどうするのさ。

    実際に起こったことでも、観察者の視点によっては随分違ったものとして認識されるのですけどね。
    観察の理論負荷性が分かってないな。
    なぜラッセルが、sense data (感覚与件)という認識の前段階における感覚器官による一次的な情報にこだわったのかが全然分かってない。
    これだから、三流理系って言われるんですよ。

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