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【7395307】私大と数弱思考の問題点を考える

投稿者: 安宅慶應教授の弁より   (ID:IqWEhfoLn4k) 投稿日時:2024年 01月 31日 19:19

私大の雄である早稲田より、何故三流国立大学の方が修了率が高いのか?

高校カリキュラムと大学受験について考えるスレです。

大学生の8割はDSの素養を持っていたほうがいい〜と、慶應教授の弁


削除スレより考えてみよう!

DSカリキュラムは、各大学で履修コースの名称は様々ですね。
例えば、データサイエンスの基礎レベルである「リテラシーレベル」なら 早稲田は、「リタラシー級」との名称

また、「リテラシーレベル」の差別化として、【独自の工夫・特色を有する教育プログラム】の【リテラシー『プラス』】の認定があります。

リテラシー『プラス』認定大学  
・東北大
・群馬大学 など


参考にまでに

◆群馬大学
(DSリテラシー 【プラス】)レベル
共同教育学部(教育学部)
定員数 190名
履修者 201名
修了者 199名


◉修了率 99.0%


◆早稲田大学
(DSリテラシー)レベル
2017〜2020年(4年間)
教育学部
定員数 3,840名
修了者 110名

◉修了率 99.0%


◆早稲田大学
(DSリテラシー)レベル
2017〜2020年(4年間)
教育学部
定員数 3,840名
修了者 110名

◉修了率 2.9%

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  1. 【7406731】 投稿者: お答えする  (ID:1mYdWQWYmTM) 投稿日時:2024年 02月 14日 19:24

    だからこそ、歴史や公民の分野も大切だということだ。
    数学だけに偏重する理由はない。
    統計学や計量分析だけが経済学ではないのだから。
    同じことは、早稲田の政経学部から京大院に進んだ根井 雅弘京大教授も著書で述べている。

  2. 【7406769】 投稿者: 半研  (ID:zXF/tb9TSH2) 投稿日時:2024年 02月 14日 20:06

    だから数学ノー勉で一般教養に巨大な欠落のある君は、経済学を研究しているなんて言わないことだ。これからはちゃんと「半」研、または「片端」研してると言いなさい(笑)

  3. 【7406783】 投稿者: 視野を狭くするな  (ID:FRUxDz3.MHI) 投稿日時:2024年 02月 14日 20:15

    > だからこそ、歴史や公民の分野も大切だということだ。

    高校で履修する教科(特にに5教科7科目)を満遍なく勉強すればいいだけ。そこには歴史や公民も含まれる。数学だけに偏重しろとは誰も言っていない。君が勝手に思い込んでいるだけ。

  4. 【7406894】 投稿者: お答えに代えて  (ID:1mYdWQWYmTM) 投稿日時:2024年 02月 14日 22:06

    以下の拙文は、公民の知識(憲法、裁判所ならびにその働き)等を理解の前提にする。

    「君にもわかりやすく言えば、裁判(司法)における「事実」とは、裁判所が認定した事実を指すといえようか。しかもそれは民事事件と刑事事件とで異なるものだ。/たとえば民事裁判官は、もし一方の当事者の主張を他方が承認したり争わないときには、実体的な真実がどうであれ、それを「真実」と見做さねばならない。すなわち被告が借金完済したことをまったく争わないのであれば、裁判官はその事実につき何ら職権的に配慮する必要はないことになる。まして被告が自ら借財の存在を認めたならば、裁判官はそれが真であるか否かを調べずに被告に借金の支払いを命ずることになる。「主張責任」は当事者にあるからだ。/他方、刑事事件では様相が異なる。刑事事件では被告人が諸事情により正当防衛等の減刑事由を自ら援用しない場合であっても、その存否を調査せねばならない。それどころか、被告人自らが任意に自白した事実さえもそれが真実であるかにつき吟味せねばならないのである。/要は、民事訴訟における真実とは人為的な「形式的」真実であるのに対し、刑事訴訟のそれは本当の真実(実体的)である。これはスコラ哲学における「二重の真理」という考え方と類似する」」(以上、転載)

  5. 【7406897】 投稿者: お答えに代えて②  (ID:1mYdWQWYmTM) 投稿日時:2024年 02月 14日 22:12

    以下の拙文は、明治以降の日本政治史ならびに世界史でのフランス革命の意義を知識的前提にする。(以下、転載)

    「今から71年前の1953年に法の解釈について鋭い問題提起をしたのが、東大の来栖三郎教授であった。学界に当時、大きな論争を引き起こした。聞くところによれば、当時の自民党政権による憲法9条のあまりに恣意的な解釈に触発されたとのことらしい(それでも当時の政府解釈は、あのアベ政権時代にくらべ、はるかにマトモであった)。すなわち、法解釈とは法の科学的認識とは異なる実践的、意欲的な作用であるということだ。ケルゼンの純粋法学の対極にあるともいえた。換言すれば、法解釈とは解釈者の価値判断が働くということでもある。/それは、18世紀末の古典的な個人自由の思想を根本的な指導原理とした従来の個人の形式的な権利、形式的な自由をさらに実質的な自由平等にまで高めようとの私法の社会化の流れを促進したものだといえる。具体的には、消極的に権力から個人の権利と自由とを保障することから、さらに積極的に社会共同生活の理想に適した生活資料の分配に質的変化を遂げたということである。もっとも、いかに社会的正義の立場からできるだけ有意義な内容を与えるべく法の解釈に努めても、それが資本主義経済を前提にしたものである限り弥縫策に過ぎまい。したがって、そこに自ずから本質的な限界あることも否定できない現実である」

  6. 【7406997】 投稿者: 視野を狭くするな  (ID:FRUxDz3.MHI) 投稿日時:2024年 02月 15日 00:45

    > 以下の拙文は、公民の知識(憲法、裁判所ならびにその働き)等を理解の前提にする。

    だから何?高校の教科書に含まれない範囲は大学1~2年の間に勉強すればいいだろ。理系より暇なんだから。

  7. 【7407171】 投稿者: お答えする  (ID:1mYdWQWYmTM) 投稿日時:2024年 02月 15日 09:43

    文系が理系より「暇」とは、どういう意味かね。あまりに表見的だ。
    ちなみに私の関わる大学では、一回の授業につき、予習2時間、復習2時間が求められてきた。私であってさえ、授業がないときには1日8時間から12時間は勉強していたと思う。その習慣は今日まで続き、どんなに多忙でも―毎日例外なく―専門書等を一日60頁読み続けてきた。まして文系の学問は、教室や研究室だけで完結するものではない。キャンパスの内外がすべてその対象になり得る(だからこそ、文化的環境が相対的に充実する東京所在の大学をお勧めしてきた)。その意味で、文系が「暇」などとは、とんだ見当違いだ。狭いラボでー半ば強制的に―過ごすことをして「忙しい」と、君たちは勘違いしてはいまいか。

  8. 【7407201】 投稿者: 視野を狭くするな  (ID:7j00TcAS9HE) 投稿日時:2024年 02月 15日 10:28

    > 私であってさえ、授業がないときには1日8時間から12時間は勉強していたと思う。

    あいかわらず現実を直視することができないんだね。君の話はどうでもいいから、今の学生に、週に何コマとって、週にどれだけ勉強しているか聞いてみなよ。

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