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投稿者: 安宅慶應教授の弁より (ID:IqWEhfoLn4k) 投稿日時:2024年 01月 31日 19:19
私大の雄である早稲田より、何故三流国立大学の方が修了率が高いのか?
高校カリキュラムと大学受験について考えるスレです。
大学生の8割はDSの素養を持っていたほうがいい〜と、慶應教授の弁
削除スレより考えてみよう!
DSカリキュラムは、各大学で履修コースの名称は様々ですね。
例えば、データサイエンスの基礎レベルである「リテラシーレベル」なら 早稲田は、「リタラシー級」との名称
また、「リテラシーレベル」の差別化として、【独自の工夫・特色を有する教育プログラム】の【リテラシー『プラス』】の認定があります。
リテラシー『プラス』認定大学
・東北大
・群馬大学 など
参考にまでに
◆群馬大学
(DSリテラシー 【プラス】)レベル
共同教育学部(教育学部)
定員数 190名
履修者 201名
修了者 199名
◉修了率 99.0%
◆早稲田大学
(DSリテラシー)レベル
2017〜2020年(4年間)
教育学部
定員数 3,840名
修了者 110名
◉修了率 99.0%
◆早稲田大学
(DSリテラシー)レベル
2017〜2020年(4年間)
教育学部
定員数 3,840名
修了者 110名
◉修了率 2.9%
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【7411031】 投稿者: 私学 (ID:jzFHMZ7lgf2) 投稿日時:2024年 02月 19日 17:31
>「大学」という名称を使う以上は教育の質に関しては国の指示や規定を遵守すべきで、そこに個性や自主性が入り込む余地はない。
明治のはじめは、中央集権的な国が存在しておらず、志ある人がそれぞれに学校を設立した。国の形が定まり、高等教育の担い手が足りないので、私立学校を大学に昇格させた。先人の努力の末、国の形が定まると、良くも悪くも文科省は強権的になり、免許・補助金ビジネスを始めて、私立学校の自治・財政をサポートor脅かすようになった、というところではないでしょうか。もちろんあまりに国の言うことをきかなければ、許認可を取り消すべきです。だからといって、なんでもかんでも国のいうことに従う必要はないと考えます。もともとの建学の精神が違うし、その違いが、日本社会にさまざまな成果をもたらしてきたのですから。 -
【7411078】 投稿者: 暴論 (ID:NJ37btN.4ho) 投稿日時:2024年 02月 19日 18:18
>「大学」という名称を使う以上は教育の質に関しては国の指示や規定を遵守すべきで、そこに個性や自主性が入り込む余地はない。
寝言は寝ているときになさい。大学は私塾ではない。私立大学を運営する各学校法人は、厳正なる審査のうえ、文部科学大臣から認可を得て大学を設置している。そのうえ、定期的に大学基準協会等の外部機関によるチェックも受審する。それらにつき、財務諸表や事業計画と合わせ、社会に情報開示をせねばならない(各大学のHP参照)。君はそれすら知らないのであろう。しかも、私立学校法でも私学の自主性が保障されている(文科省ならびに私立大学連盟HP各参照)。そのうえで君が何を思おうと勝手だが(内心の自由は絶対的に保障される)、それを外部に表現するときには一定の内在的制約がある。まして本件での君のように、憲法や法律で保障された大学の自治や私学の自主性さえ全否定するのならば、それは現行法秩序に挑戦するアウトローの仕業と結果的に同じ所業になると知りなさい。「顔を洗って出直せ」との言葉さえ浮かぶ。 -
【7411087】 投稿者: お答えする (ID:NJ37btN.4ho) 投稿日時:2024年 02月 19日 18:25
>皆でマル経でもやってんだろうか?
せっかくだが、政経学部に「マル経(社会経済学)」の伝統は乏しい。むしろ盟友慶應経済さんに、その輝かしい伝統がある。しかも、政経学部は保守反動の改憲派研究者の牙城としても知られてきた。その意味で、護憲派の殿堂たる法学部と好対照である。 -
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【7411099】 投稿者: 知らない人いるんだ! (ID:XwlCWBwgH3k) 投稿日時:2024年 02月 19日 18:43
マルクス経済学の牙城と言ったら、宇野弘蔵が基礎を築いた東北大学経済学部ですけどね。
早稲田はむしろ近代経済学の牙城です。 -
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【7411105】 投稿者: スレタイ素晴しいね (ID:zp51ffRxMM.) 投稿日時:2024年 02月 19日 18:50
ここは実践セミナーだ。
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【7411108】 投稿者: 失笑 (ID:NJ37btN.4ho) 投稿日時:2024年 02月 19日 18:55
そんなことは知っている。だからこそ、うちの政経はネオリベらが今でも大きな顔をしているのである。ちなみに宇野はその後、法政の教授を務めた。それらもあってか「資本論辞典」の執筆者の多くが法政に籍を置くようになった、もっとも、宇野派は東大系の正統派マルクス経済学者らから目の敵にされていた。彼らは、唯物史観を資本論で検証するとの立場であったからだ。他方で宇野は、資本論には革命派マルクスの残滓はあるものの、主に純然たる資本主義経済解明の書として読むべきだとの立場をとった。この考え方は、代々木のスターリニストらと対立する新左翼の学生らからも支持された。
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【7411114】 投稿者: たしかに (ID:NJ37btN.4ho) 投稿日時:2024年 02月 19日 19:06
宇野が指摘したように、資本論を唯物史観の観点で読むと、やや窮屈な解釈を迫られるような印象を受けた。他方で、学問として精読すると、あの天才マルクスが大英博物館(図書室)に日参し、そのうえで膨大な資料を渉猟し、そこから資本主義とは何たるかを解明したその努力と偉業に、ただただ首を垂れるしかない気持ちになる。だからこそ資本論は今日まで、聖書とともに世界中で読み継がれているのであろう。
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【7411254】 投稿者: 履修だけでは無理 (ID:9NsvLcIr5TE) 投稿日時:2024年 02月 19日 20:52
> だからといって、なんでもかんでも国のいうことに従う必要はないと考えます。
何でもかんでもは必要ありませんよ。でも、教育の質だけは担保させないと学生が困ります。高額の学費を払っているのに施された教育がいい加減だと、本来得られる能力や技能が身につかないばかりか、他国で大学卒とみなしてもらえません。ですので、教育の質だけは自主性や個性に任せるのは危険です。