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【7481795】理工系砂漠・東京

投稿者: 語り合いましょう   (ID:bT9iaGB6lQI) 投稿日時:2024年 06月 01日 08:43

人口比で国立大学が少なく、9割以上が私大卒。理系学部特に工学系が定員の多くを占める国立大と異なり、私大は文系中心であるため、都内の大卒のほとんどが文系。

大学進学率が7割位あるが、都内には私大が140校近くあり(ちなみに島根には私大ゼロ、鳥取には1校)、田舎の県との進学率の差分はFランで稼いでいると思われる。

地方の県トップからは旧帝理系が最大勢力なので、地方都市出身の高学歴民はなんとなく、進学校の人=理系多数と思っているが、東京はそうではない。

あと、非首都圏の県立進学校は2番手3番手でも全員共通テストを5科目受けるが、都内の特に私立校では年内に推薦や総合入試で私大に決める人が多く、共通テストを受ける生徒自体が少数派である。
中堅層に理工系が極めて少ないのが東京の特徴。

中受や高受で人気の大学附属は、東京や神奈川のセレブとその取り巻きが、自分達だけで固まるためのコミュニティ形成ツールとなっていて、大学名=学歴と勘違いしている人がほとんど。
(※学歴とは、高卒とか大卒とか修士卒とか博士卒のことである。学部卒を高学歴とは言わない)
特定の私大のエスカレーターに早く乗せることが受験の目的化している。
そういう人々は「タイパ」重視なので、上の大学に理工学部があっても進まず、楽単の学部に進む。

東京は子供の数は多いが、理系人材特に産業の基盤となる理工系の人材を産み出さない砂漠である。

政府もこの状況を問題視して、手をこまねいているわけではなく、私大の理系学部への転換に補助金を出しはじめているが、さて…。

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  1. 【7496155】 投稿者: まあ  (ID:RhLCVuNFUgY) 投稿日時:2024年 06月 25日 07:36

    スティグリッツあたりを読んだ法学系や理工学系の人はいるだろうが、経済思想まで手を出す人は少ないやろな。

  2. 【7496199】 投稿者: 失笑  (ID:V8n0idrpiCw) 投稿日時:2024年 06月 25日 09:02

    ノーベル賞経済学者たるハーバート・サイモンは「限定合理性」を唱えた。すなわち、意思決定する当事者が合理的であろうと意図するにも関わらず、認識能力の限界によって限られた合理性しか持ちえないことをいう。それは、あるいは心理学でいう「内的準拠枠(internal frame of reference)」と似た考え方なのかもしれない。たしかにわれわれは、自分自身の視点からものごとを観察し、それを自分自身の価値観から判断する。

    しかしながら、われわれは真の意味で、合理的な意思決定をするに足る(必要な)十分な情報を備えているのであろうか。そこで「学際」が注目された。私自身もまた、他分野の専門家の知見を得るべく、新古典派経済学者(いわゆるリベタリアン)らとの意見交換を行ったところである。最近では、経営学にも触手を伸ばし、さらに「組織開発(Organization Development)」にも興味を覚えた。その結果、その分野の古典とされる『THE NTL HANDBOOK of Organization Development and Change』の原著にも挑戦する始末である。

    大学でも同様であり、専門を超えた総合性・学際性を修得するために多種多様の科目を設置した。そこで、全学部・全学年が履修できるように配当し、幅広い学びの世界に触れることを可能にしている(早稲田)。したがって、経済学科において、ましてや当該学問の柱たる経済史や経済学史を設置科目から除外すべき事情は毛頭ない。細かい現象分析や部分的な計量的研究だけが経済学ではないのであるから。むしろ、そうした偏った風潮が木を見て森を見ぬ傾向を醸成し、この国の経済学(経済学者)らが諸外国と比べ、今一つ精彩を欠く理由の一つになっているのではないかとさえ思われてならないのである。

  3. 【7496208】 投稿者: お答えする  (ID:V8n0idrpiCw) 投稿日時:2024年 06月 25日 09:12

    技術と技能の差異は、理論知(暗黙知)の占める位置の差異でもある。したがって、もしこの国の理系人士が技術屋でなく科学者を志向するのであれば、(科学)哲学を中心とした人文科学、さらには社会科学への知見も必須だと思われる。まして日頃、「軽量入試」云々と我々を揶揄する諸氏ならば、特段異論もあるまい。

  4. 【7496216】 投稿者: 中学数学ギブアップ  (ID:PZa/fM8DRDs) 投稿日時:2024年 06月 25日 09:29

    理学部と工学部の違いの何たるかを知らない、中学数学ギブアップ知性の二◯川くんは引っ込んでいて(笑)

  5. 【7496254】 投稿者: 失笑  (ID:V8n0idrpiCw) 投稿日時:2024年 06月 25日 10:57

    そのように物事をありのままに見られず、君のように思い込みや感情に思考が支配される。その結果、君の知る極小(極私)的で限られた狭い範囲でのバイアスのかかった情報のみで、そうした無意味な書き込みをなす羽目になるのである。

  6. 【7496286】 投稿者: 分類  (ID:CgjmqiBgzlk) 投稿日時:2024年 06月 25日 12:22

    > 経済学科において、ましてや当該学問の柱たる経済史や経済学史を設置科目から除外すべき事情は毛頭ない。

    そういう科目に深く取り組むのは、社会に出て様々な知識と経験を得てからすべきことであって、学生のうちから追究することではない。今日どうあるべきかを教えようとすると、教員個人の思想や主義が入り込みやすくなるため、過去のすでに確立した内容にとどめるべきと考える。

  7. 【7496360】 投稿者: まあ  (ID:dIlVp6yGItc) 投稿日時:2024年 06月 25日 14:32

    金利の上げ下げや物価に関する考え方は先にやっていても損はないと思うけど。

  8. 【7496655】 投稿者: 失笑  (ID:V8n0idrpiCw) 投稿日時:2024年 06月 26日 00:25

    >そういう科目に深く取り組む。は、社会に出て様々な知識と経験を得てからすべきことであって、学生のうちから追究することではない。

    君は大学生を侮っているのか。耳の言い草は、普通教育における児童生徒に対して該当するものだ。他方で(少なくとも)、私の知る学生諸君は、それほど幼稚ではない。なぜなら、彼らは教員の教授内容を批判する能力を十分に備えているからだ。したがって、もし君のような妄言を吐いたならば、「馬鹿にするな!」と猛反撃受けること確実である。


    >今日どうあるべきかを教えようとすると、教員個人の思想や主義が入り込みやすくなるため、過去のすでに確立した内容にとどめるべきと考える。

    それも義務教育に限定される話だ(理由は上記に同じ)。たしかに小中の児童生徒になら、その性質上、確立した通説的見解に拠らねばならないだろう(だからこそ、教科書検定が合憲とされる)。しかしながら、大学における高等教育は事情が異なる。そもそも学問研究とは、批判精神がその真髄であるからだ。換言すれば、「教員個人の思想や主義が入」ることをその前提にしているといえよう。

    それゆえ憲法23条で、大学教員に「学問研究の自由(広く学問研究の自由を有する)」、「学問研究の結果を発表する自由(研究発表の自由)」ならびに、教授の自由(学者が大学で講義をするうえで、国家から学説上の拘束を受けない自由)を保障する。そのうえで、大学では教員の自己の学問的信念に基づく講義が行われる。実際に、うちの大学では権力に対する批判をしない者はごく少数派であろう。旧アベ政権の悪政(たとえば、あの「アホノミクス」)など、ボロクソであった。

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