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【7544678】大学院の選択

投稿者: 大学生   (ID:pC4XQCCzFgA) 投稿日時:2024年 10月 01日 10:12

理系の大学院に進学を考えていますが、博士課程まで同じ大学に行くのと、修士課程や博士課程から他の大学や海外大学を選択するのは、どのような理由や違いがあるのでしょうか。よろしくお願いします。

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  1. 【7547059】 投稿者: そうなのね  (ID:dL3v2.ZJZcg) 投稿日時:2024年 10月 06日 11:40

    >産学連携は、産業的に需要が多い分野か一部の最先端研究に多く、東大院でロンダ組の割合の高い新領域創成科学研究科(自動運転等)などは、ここに当てはまるかと。「いろいろな意味で充実している研究室」が何を指しているのか不明ですが、例えば日本の大学でも世界トップ(レベル)の研究室ならば、研究進捗目的で海外院に進学するメリットはないでしょう。

    産学的に需要が多い分野か一部の最先端研究は、他大学からの院生が多いのは、どうしてなのでしょうか。そして、トップレベルの研究室なら海外大学にも行かなくていいのですね。

  2. 【7547060】 投稿者: お答えする  (ID:vXdTog7uIYQ) 投稿日時:2024年 10月 06日 11:42

    私の言う「少年」とは、18歳未満を指す(すなわち、成年前)。したがって、高校から横浜の塾高に入学した石破は、首都圏育ちの少年たる範疇に入る。なお彼らは知らないが、宏池会の領袖だった故加藤紘一(加藤鮎子前こども相の実父)氏は、中学卒業と同時に実家のあった山形県鶴岡市(実父の選挙区)から上京、千代田区永田町にある議員会館で父と同居しつつ、徒歩圏内にある当時日本一の進学校・都立日比谷高校に通学したという。石破なども、そうした考え方での塾高選択なのではあるまいか。すなわち、政治家を世襲するのなら、むしろ東京の高校(塾高所在地は、横浜市港北区だが)に進学したほうが得策―幅広く知己ができる―との実利的判断だ。

  3. 【7547069】 投稿者: 独立研究科  (ID:vXdTog7uIYQ) 投稿日時:2024年 10月 06日 11:50

    東大のみならず、他学でも学部を有しない独立研究科(文・理を問わず)への内部進学者は少ない。ご指摘の研究科もその例外ではないはずだ。他方で、それゆえに教員も幅広く集められるとの利点もある。いずれにせよ、東大各各部からの進学者の多い伝統的な研究科からは、新興ゆえに多少「異端」「外様」といった目で見られているとの可能性がある。略歴を拝見したときに「ああ、あそこか」との感想。

  4. 【7547074】 投稿者: 訂正  (ID:vXdTog7uIYQ) 投稿日時:2024年 10月 06日 11:56

    誤  東大各各部から
    正  東大各学部から

    天皇の姪御と結婚した小室某が通学していた一橋の大学院も、そうした独立研究科であった(法学研究科とは別。現在は統合された)。本校のある国立市から遠く離れた千代田区内のビルに位置し、夜間コースで事実上会社員らのリカレント教育が主たる目標であった。入試も簡単(当時)。

  5. 【7547076】 投稿者: FYR  (ID:cIXuLj./LA.) 投稿日時:2024年 10月 06日 12:02

    少年時代を高校に伸ばしても、世襲政治家家系が地元と二重生活している例はあるという事です。あなたは、すべて東京で育っているという書き方だった。

    それから、石破は政治家になるつもりは無かったらしい。銀行員の時に田中角栄が後を継ぐように説得したとか。

  6. 【7547077】 投稿者: 失笑  (ID:vXdTog7uIYQ) 投稿日時:2024年 10月 06日 12:05

    日本経済に明るい見通しは乏しい。専門家の多くはあきらめている。特に、この平成で日本の経済力は大きく低迷した。インドネシアの急追を受け、アジアでもさらに順位を落としている。いずれ民族の異なる新たな日本国籍保有者が増え、われわれの子孫は「ネイティブ・ジャパニーズ(「ド人」)」と揶揄されるようになろう。それゆえ、先の総裁選で某候補が「豊かな日本から、幸せな日本へ」と唱えていたことに妙に共感した。

  7. 【7547084】 投稿者: お答えする  (ID:vXdTog7uIYQ) 投稿日時:2024年 10月 06日 12:12

    >あなたは、すべて東京で育っているという書き方だった。

    そういう意味ではなかった。
    また石破に関しては、父のあとを襲って国会に出ることが規定事実として決まっていたのではあるまいか。ただ、田中がそのきっかけを設けたというだけのこと。その観点で邪推すれば、夫人との慶応での出会いも多分に疑わしい。同じ慶応であったにしても、しかるべき「政略結婚」が真相であったような気がする。多分に選挙を意識したもの。森永一族の令嬢を娶った、あのアベのように。

  8. 【7547090】 投稿者: まあ  (ID:Wu7Jfa2q2Gg) 投稿日時:2024年 10月 06日 12:19

    石破氏は法学部の勉強会で知り合って一度結婚の申し込みを断られたことがあるようなので、自由恋愛だと思いますよ。

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