- インターエデュPICKUP
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投稿者: 教えてください。 (ID:1n5XMwrxrYg) 投稿日時:2009年 10月 30日 12:44
日教組は危険な団体なのですか?
おしえてください。
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【2190562】 投稿者: 歴史教育 (ID:8cYrrcz/.9E) 投稿日時:2011年 07月 04日 07:17
>もしかして、韓国における「歴史教育」とは、本来の意味する歴史教育ではないのでしょうか?
そうです。
新聞社さんや二俣川さんを相手にしても時間の無駄です。
それより知らない日本人を覚醒するために努力した方がいいです。
と書いたら消されました。
呉善花の「反日韓国に未来はない」を載せたことがよっぽどまずかったのでしょうか?
反日教育をしていることがバレバレですものね。
韓国が反日教育をやめて100年ぐらいたったら、仲良くしてあげてもいいです。
その時は反日教育した過去は忘れてあげようと思います。
日本人は昔のことをいつまでも引っ張る性格でもないから
両親に教えられた日本人
私の両親には戦前の日本で生活していた時期がありました。母は14~15歳のころ、韓国の済州島から日本の大阪に渡っています。昭和10年代の始めのことでした。そして、大阪のプラスチック製造工場を営む2人の兄を手伝ったのです。2、3年、日本で生活した母は、16歳のとき故郷に戻りますが、父と結婚するとすぐ、今度は鹿児島へ渡り、父の兄弟が経営する箸の製造工場の仕事をすることになりました。長女はそこで生まれたのですが、終戦までの数年間を日本で過ごしたのです。
叔父一家(5人)と父一家(3人)は、3人家族の日本人の家に間借りしていました。父母や叔父たちがいうには、「その家族も近所の人たちもたいへん親切にしてくれた。何かといっては果物やミカンをくれたりしたし、畑をただで貸してくれて野菜を自給することもできた」といっていました。
やがて戦争になり空襲が始まると、日本人は防空壕を掘ったのですが、その家の主人は叔父や父母たち韓国人家族も入れる大きな防空壕を掘り、防空頭巾を作ってくれ、アメリカの飛行機が来ると、いつも子供たちを先頭にしてみんなを先に防空壕へ入れ、自分はいちばん最後に入ったそうです。
戦争が終わって、叔父と父母の一家は、済州島へ帰ることになりましたが、その日本人家族は涙を流して別れを惜しんでくれ、自分たちも、お世話になったことを感謝し、泣くだけ泣いて別れてきたのだそうです。
その後、済州島で生まれた私は、両親から「日本人はとても親切な人たちだった」と聞かされて育つこととなりました。母は「日本のミカンはとても甘くておいしい」と話していました。そのころ、韓国でとれるミカンは酸っぱい味しかしませんでしたから、幼いころの私は、日本に行って、甘いミカンをいっぱい食べたいと思ったものです。また、当時、韓国ではお風呂に入る習慣がありませんでした。だから、母から、日本のお風呂や銭湯、温泉の話を聞いてとてもうらやましく思ったものです。日本に行って、甘いミカンを食べ、温泉に入る……それが私の夢でした。
また、私は母から口移しで教えられた日本語をいくらかしゃべれました。村のお祭りのときには、巫女さんが私を呼んで「日本語をいわせる」のが恒例になっていて、みんなの前でいくつかの日本語の単語を発しては拍手喝采を受けたものです。幼いころの私にとって、日本はとても親しい気持ちをもてる国であり、いつかは行きたい憧れの国としてイメージされていたのです。
そのように、親の世代から教わる日本人像には鬼のように悪辣な、ひどい国民だといったイメージはまったくありませんでした。しかし、学校で強烈な反日教育を受けているうちに、私のなかから、そうした日本への「いいイメージ」はいつしか消えていきました。
すでに述べましたように、韓国では「田舎者ほど反日意識が弱いのは無学だからだ」などといわれていました。逆に「高い教育を受けた者ほど反日意識の強い愛国者である」と見られていたのです。大人たちから「勉強ができるいい子だ。上の学校に進む優秀な子だ」といわれれば、「それにふさわしい反日意識を強くもたなければならない」と子供心に思ったものでした。
その結果、私は親に対して誤った気持ちを抱いてしまいました。
「日本人は親切だ、なんて私にいい聞かせていた親たちは、みんな無学な田舎者だったのだ。日本人がほんとうはどれほど残酷なことを韓国に対して行なってきたかを教わってこなかったから、何もわかっていないのだ」
私が特別だったわけではありません。韓国で教育を受けたすべての子供たちが、日本に対して、そうした気持ちを抱くようになっていたのです。 -
【2190612】 投稿者: たいへん勉強になりました (ID:aEigGuC1gw6) 投稿日時:2011年 07月 04日 08:31
「相手を考えろ」といいつつ、自分の主張しかしない方々に驚きました。
塾のやり方に悩み、たどりついたインターエデュでしたが、私立を目指すこと自体は間違っていないと確信しました。 -
【2190627】 投稿者: 元組合員 (ID:h5gDSk/MPjU) 投稿日時:2011年 07月 04日 08:42
↑の方、そう、そうなのよね!
私はやめちゃったからよく知らなかったんだけど、ものすごく華々しい人だったんですってね、オキイシさんって。
先鋭的なところの人ってね、
結局、「子どもの教育をどうするか」なんて考えてないのよ。
大事なのは「自分たちのイデオロギー」なのね。
イデオロギーなんてさ、腹も膨れやしないわ。
そんなの個人の趣味みたいなものじゃないの。
イデオロギーに執着するのってさ、執着してなきゃ「自分の場所」が無くなるからですよ。
ほんとに「保身」だけ。それも、自分勝手で独善的で視野の狭い人間の「保身」。
もうね、最低よ、そういうのって。
イデオロギーのための道具なのよ、子どもが。
同様に、オキイシさんたちにとって、政治とか国民とかって
自分たちのイデオロギーのための道具。
もう、どうしようもない。
あー、いっぱいい先生だっているのに、一部のトンデモな人間のおかげで混乱してる…。
ところで、トンデモは増えているよね。
組合系のトンデモだけじゃなく、トンデモ人間って言う人種が、先生の世界にも「増えたなあー」と思う。
私が年を取ったせいかもしれないけど。
昔の先生もトンデモな人ってたくさんいたけど、トンデモ具合が違うのね。 -
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【2190704】 投稿者: 疑問 (ID:XQh0ThPs8P.) 投稿日時:2011年 07月 04日 09:36
某高校生の韓国修学旅行レポート1
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■修学旅行4日目。最終日。
今日はようやく帰国の日。帰国の前に荷物を片付け、今日も見学へと向かう。
…と、ここで悪夢襲来。
最終日の見学先があの西大門刑務所だとは。まぁ知ってはいたことだが、まさか中まで入って長々と見学させられるとは思っていなかった。しかし、西大門刑務所がどういうところかは既に予習済み。僕自身「Dir en grey」というビジュアル系バンドを崇拝している故、グロいのだって平気だ。
西大門刑務所の中に入ると、予想通りの展開。訪問者を一気に洗脳させようとするためか、いきなりグロいもんを持ってきた。それは、拷問施設。そして、その中に入っている血まみれの人形。えっと、これ高校生に見せてもいいものなんですかね。僕は平気だからいいけどさ。
一通り1号館の中を見学して、次は2号館へ。今度は地下だ。やはりそこにもグロい展示物が大量にあり、中には泣き出す生徒もいて、僕の彼女も完全にグロッキー状態に。
そして、僕はそこで非常に悲しいものを目にしてしまう。それは、壁に書かれた無数の心ない落書きだ。
「Japan fuck!」、「日本人は しね !」といった日本人に対する憎悪に満ち溢れた落書きが、そんじょそこらに尋常じゃないほど大量に書かれている。殆どが赤ペンや油性ペンなど、現代に使用されている筆記用具で書かれたもの。ということは、ここを実際に訪れた韓国人が書いていったものなのだろう。
この大量の落書きを見て、日本人と韓国人の民度の違いが身に染みて分かった。日本人は原爆記念館にアメリカ人を罵る落書きなんてしないですからね。
ちなみに、これらの落書きの中には、「竹島は日本のもの。その日本は韓国のもの」という馬鹿な落書きまであった。
一通り見学が終わった後、友人の一人が日本が過去やってきたことを反省していた。これが洗脳か、凄いな…と思いつつ、多数のサイトで勉強した知識を彼に教え込む。彼を洗脳から解放すると、西大門刑務所のガイドがこの歴史資料館についての解説を始めていた。
僕はこの歴史資料館を見て思った。韓国人だって、基本的には大半がいい人のはずだ。ただ、彼らは歪曲された歴史教育を通じて、幼少期から反日歴史観を徹底的に叩き込まれているだけ。そんな風に感じた。やはり、悪いのは韓国政府なんだろう。そりゃ、他国で自分が習った歴史と違う歴史が教えられていたら不愉快に思う。どっちが正しいかなんて関係なく不愉快に思うに違いない。だけど、それでも他国の立場に立って冷静に考えなきゃいけないのが歴史問題。韓国がもう少し冷静になって考えてくれたら…。
ガイドの説明も終わり、バスへと向かう。するとその途中で、前方からテクテクと歩いてくる可愛らしい幼稚園生たちの姿を発見。恐らく、この子たちも西大門刑務所を見学させられるのだろう。高校生さえ怯えさせ泣かせてしまうおぞましい歴史館の展示物に、この幼稚園生達も怯えて泣き出してしまうに違いない。
いいんだろうか、これで。韓国とはこういう国なのか。日本の幼稚園生は、原爆記念館へ見学に連れて行かされることはあまりないだろう。それは、幼稚園生に戦争の悲惨さを伝えるどころか、トラウマを埋えつけるだけの結果になってしまいかねないから。
その後、バスでタイムカプセルが埋められているという公園に行き、そこでの昼食を挟んで空港へ。帰国の途に就く。
帰国後、担任の先生がこう言った。「西大門刑務所はグロテスクだったけれど、怖くて見れなかったのなら、何が怖かったのかを考えるべき。ただグロテスクだと怖がるだけならそれはよくない」と。
先生は「グロテスクだと怖がるだけではいけない。我々日本人の先祖が過去そのような蛮行を朝鮮人に対して行ってきたという事実をきちんと認識しなければ駄目なんだ」とでも言いたげだった。
しかし、韓国人の歴史捏造体質を嫌というほど知っている僕には、西大門刑務所のグロテスクな展示物の数々が歴史を正しく提示するものだとは到底思えなかったし、あれらの展示物は、韓国人の反日感情を増幅し、日本人の贖罪意識を高め、そして世界中に「韓国は被害者で、日本は野蛮な国家なんだ!」とアピールするために殊更グロテスクに強調されているのだとしか思えなかった。
また、西大門刑務所のガイドはこう言っていた。「この建物は決して日本を卑下するものではなく、正しい歴史を提示するものなのだ」と。
繰り返しになるが、僕には西大門刑務所に展示されている資料が正しい歴史を提示するものなのだとは到底思えなかった。それに、日本を卑下するつもりがないというのなら、何であれらの醜い落書きをそのまま残しているのか。あれだけ目立つくらい落書きを残しているのは、日本を卑下しようとしてる以外に考えられない。
これほど日韓の壁を実感したことはなかった。韓国人が言う真の日韓交流とは恐らく、韓国が日本を自分たちの思い通りにこき使い、満たされた気分になることなのだろう。先生方やガイドの方々には悪いが、僕にはそんな感想ばかりが心に浮かんできた。
現地の治安について言えば、予想したほど悪くは無かった。ただ、それはソウル市内周辺だったからなのかもしれない。それでも、そのソウル市内周辺ですら、ニセブランド品を無理やり売りつけようとする輩や、外国人とわかっているハズなのに血を採ろうとするバカがいた。僕は、正直韓国をナメすぎていた。
生命の危険を感じるような事件が起きなかったことはよかったが、しかし、韓国はそれが当たり前であるような国ではない。もし今後韓国へ行く方がいるのなら、僕は「身の安全にだけはしっかりと気をつけて下さい!」とアドバイスしたいと思う。
恐らく、僕はもう二度と韓国へ行くことはないと思う。だから多分、皆様にこういったレポートを披露することもこれが最後だと思う。レポートをこのような形で出せたことに、管理人の######さんや、#####をはじめとする多数の閲覧者にこの場をお借りしてお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。 (終わり)
某高校生
---------------------- ここまで --------------------------
某高校生の韓国修学旅行レポート2
----------------------- 引用 ------------------------------
こんばんは。初めて書き込みします。
私は高校2年で今日修学旅行から帰ってきました。
旅行は韓国に行って来ました。
初めての海外旅行で行く前はすごく楽しみだったのですが、
なんだかとてもいやな思いをしました。
誤解がないようにしておきますが、韓国の人に別に嫌な感情とか持っていません。
というより、あまり韓国に興味がなかったのです。だけど韓国行きが決まってから
いろいろ韓国の勉強をしました。だからこそ今回の旅行は残念なことばかりでした。
旅行中、大きな体育館みたいなところで元従軍慰安婦のおばあさんのお話を 聞く機会があったんです。
私は昔日本の軍隊が酷いことをしたからこれは素直に申し訳ないと思います。
だからお話も真剣に聞いていました。
お話が終わって、信じられないことを私たちは要求されました。
司会をしていた男性が「このおばあさんに手をついて謝りましょう」と言ったのです。
???、確かに私たちは日本人だけど、どうして手をついてまで謝らなくちゃいけないんだろう、
と 疑問に思っていたら先生方が「それでは、みんな正座して頭を下げて垂オ訳ありませんと言いましょう」
と言いだし、先生が「垂オ訳ありません」と最初に頭を下げました。
突然のことにみんな少し唖然としていると、「おい、早くしないか!」と先生の怒鳴り声!
私のクラスのちょっと態度の悪い男の子達が「どうして私が土下座しなくてはならないのか!」と答えると、
体格のいい教師が強引にその生徒を座らせました。
その生徒は普段みんなに怖がられている悪い生徒でしたが、
このときばかりはみんなその生徒に同調していました。
一番頭のいい男子生徒が普段は先生に口答えとかしたとこ見たことないのですが、
猛烈に先生に 抗議しました。それに同調するかのように「私はしない」「やらない」の声があがり始めもう
周りは騒然としました。
そうしたら韓国の関係者の方々がなにやら怒りだして先生に怒鳴りつけていました。
元慰安婦のおばあさん激しい怒った口調で言っています。
それからしばらく先生の謝れというのと一部生徒の拒否で口論した後、
先生方が「土下座ではなく座っていてもいいから頭を下げなさい。
おまえ達は 日本の恥を外国で晒す気か!」と言って、
結局、私たちは頭を下げさせられ「申し訳ありません」と謝りました。
私は納得がいかない思いでいっぱいでした。
確かに私たち日本人の祖先が過去に韓国の人に苦痛を与えたのかもしれませんが
その理由で私たちが土下座をする必要があるのでしょうか?
これは修学旅行の第一日目におこったことでその後は、もうめちゃくちゃでした。
まだまだいっぱい嫌なことがありました。友達の中には先生に切れてさらに韓国が大嫌いになった人もたくさんいます。
こういうこと(謝ること)は普通なのですか?
修学旅行から帰ってこのことを父に話したら絶対におかしいと怒っていました。
学校に抗議するといって いましたが、私はあまり騒ぎを大きくしてもらいたくないのでやめてもらいましたが。
私はあまり勉強もできなくて学校自体もそれほど偏差値のいい学校ではありませんが、
初めて 真剣に日本のこと、日本人であること、韓国のこと等考えました。
私は間違っているのでしょうか?当たり前のことなのでしょうか?
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【2190717】 投稿者: ↑って (ID:h5gDSk/MPjU) 投稿日時:2011年 07月 04日 09:45
世羅高校(だったかな)の修学旅行の話に似てるね。
有名だよね。土下座させたって。
今でもこんなことやってるのね…。
若い者を自分たちの「満足感」のために辱めるんじゃないよ、と言いたい。 -
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【2190720】 投稿者: 疑問 (ID:XQh0ThPs8P.) 投稿日時:2011年 07月 04日 09:45
こんなのも見つかりました
"かつて日本と朝鮮が手を取り合って、仲良く生きていた時代があった”
ソース
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi02.htm
これは真実ですか、嘘ですか、ねつ造ですか、それとも”脳内の真実”ですか? -
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【2190742】 投稿者: よくわからない (ID:ByluLLSlSSA) 投稿日時:2011年 07月 04日 09:57
歴史教育 さん
呉善花さんという方の事を、私は知りませんでしたので、教えてくださってありがとうございました。
調べてみましたら、拓殖大の先生で、大学のHPにも写真つきでインタビューが出ていました。
著書もPHPや小学館や私達に馴染みのあるメジャーな出版社から出されているものも多数ありますね。
彼女の言葉は、素直に受け止めても大丈夫なような気が致します。
しかし、この書き込みが一度削除されていたとは、本当に驚きです。
私は、彼女の事を非難したり酷い事を言う韓国人がいても、それは仕方がないし、日本人だって同じようなものだと思うので、そのことは問題視しません。
しかし、こういった人がいるという事実を知る機会を消す事には、とても疑問を感じます。
今回のも消されるのでしょうか?
でも、その前に読むことが出来て本当に良かったです。
元組合員 さん
興味深い書き込みをありがとうございます。
私自身が日教組の強い土地で教育を受けましたので、おっしゃることを、なるほど・・・と思い返しています。
一番印象的だったのは、次の部分です。
>要は、「感情教育」なんですよね。
>なにかにつけて「そういう印象を持たせるような教育をしましょう」と。
>理論じゃなくて、印象や感じ。
>例えば、
>「戦争」についてですけど、
>戦争って、どんなに否定しても現に世界中のあちこちで起きていますよね。
>ということは、「ある」んですよ。
>だから、ほんとの教育なら
>「戦争はどうして発生するか」
>「どうやったら防げるか」を、「理論的に」考えさせなきゃ、
>「戦争をしないという選択」ができる国民にはならないと思っていました。
>でも、そんなことできません。
>「戦争がイヤダという感情を育てる」んですって。
思い返すと、本当にそのとおりでした。
私は、無条件に「戦争はいやだ」という気持ちを持っています。
そのように教育させられたという事なのだとしたら、自分自身の価値観の根本が、なんだか酷く薄っぺらな気がしてきて、今、実はとても混乱しています。
差別についても、「差別なんてダメだ!!」って気持ちなんですよ。
だから、二俣川さんに
「そこに何か理由があるかもしれない」
って言われても、私の気持ち的には
「だって差別ってダメな事じゃないですか?ダメなものはダメなんですよ!」
っていうかたくなな思いにとらわれていたのかもしれない・・・と、今これを読みながら思い始めています。
なんだか自分自身がわからなくなってきました。
二俣川さんのような方に「差別はダメな事!」と教育されてきたからこそ、その気持ちを大事にして韓国の小学生のおかれている教育の現状を何とかして欲しいと思ってきました。
二俣川さんのような先生に教わったのだから、私の気持はきっとわかってくれるはず・・・と信じてここまで来ました。
でも・・・もし元組合員さんの書いてあることが事実なら、私の思いは永遠に解けないパラドックスになってしまっているのかもしれません・・・
なんだか、とても辛いです。
今、本当に混乱しています。
何から自分を解き放てばいいのでしょうか? -
【2190791】 投稿者: 元組合員 (ID:h5gDSk/MPjU) 投稿日時:2011年 07月 04日 10:25
よくわからないさん、ごめんね、混乱させちゃって。
私だって、差別だとか戦争ってまずは「だめだよ、それ」「いやだわ、そんなの」という
無条件の忌避感覚って大切だとは思うんですよ。
でもね、「だめ」と言っただけ、「反対」と言っただけ、
「無くなって欲しい」と思っただけではなくならないという事実…
本気でなくそうと思ったら、世界中を敵に回すぐらいの覚悟が必要ってことを隠してるのがずるいと思ったんですよ。
念仏唱えて満足するのとは違うんだってこと。
平和とか平等って、きれいごとじゃ絶対に手に入らない…私はそう思うから
感情教育だけでストップするような教育に「変だぞ」」と思っただけ。
人間の政治的な営みって、諍いと騙し合いと、生臭い取引と駆け引きと妥協とでできていると思うのね。
平和も平等も、何がしかのぐちゃぐちゃした事象があって、それをなんとか妥協を引き出し合いながら
「とりあえずの形」にしたものに過ぎないと思うの。
それ自体は「すばらしいもの」だし「美しいもの」だけど、
それを得る道のりは、混乱してて汚くてつらくて痛くて醜くて…でも、避けちゃいけないんだよ、ってことこそ
教えなかったらウソだと思ったの。
もしも、薄っぺらいと感じるんだったら、
それは、
「謝っとけばいい」的に表面を取り繕うことに同調してたってことに気付いたからじゃないかしら。
同情して、涙して、ごめんなさいって謝って…「それで済む」って。
「済む」よ、きっと。
日本中のありとあらゆる「富」を差し出して、日本が世界の最貧国になって、日本が下僕のようになれば、多分、「気が済む」と思う。
でも、それって、問題を解決したことにはならないでしょ。
何の解決になってる?「気が済む」ってことで。
「気持ちは分かってくれるはず」という言葉は、つまり「気が済んで許してくれるはず」ってことじゃない?
気持ちを分かってもらったところで、社会的な問題は解決しないよ。
また混乱させちゃったかもしれないけど、
私は「嫌になって辞めちゃった人」だからねえ、私の言ってることは変なのかもしれないよ。
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