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【1486744】日教組とは、本当はなんの団体なのですか?

投稿者: 教えてください。   (ID:1n5XMwrxrYg) 投稿日時:2009年 10月 30日 12:44

日教組は危険な団体なのですか?
おしえてください。

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  1. 【2195427】 投稿者: 新聞社  (ID:tT1e8Rcnto6) 投稿日時:2011年 07月 07日 20:39

    疑問 様

    > 在日朝鮮人、在日韓国人というのも、その頃はよく知らない遠い存在でした

    そうでしたか。
    私が生まれ育った街も、在日の方が多く住むところではありませんでしたが、小学生の時に同じクラスに在日の男の子が転校してきました。通名を使っていましたが、およそ日本人らしくない苗字で、最初から在日であることを公言していました。
    彼に対するイジメはそれはそれは壮絶なものでした。
    クラスメートが最初から朝鮮人に対する偏見を持つはずはないので、それはきっと親から吹きこまれたものだったのでしょう。彼がクラスの中で顰蹙を買うような行動をしていたわけでは全くなかったので。
    私はクラスメート達の態度は理不尽だと思い、彼と仲良くしていました。
    ところが、私の親も「朝鮮人と友達になってはいけない」と私を注意しました。めったなことで私を叱る親ではなかったので、とても意外でした。
    今思えば「あそこの家の◯◯君は朝鮮人と仲良くしているそうだ」と街中で噂を立てられるのが嫌だったのでしょう。
    それから私は彼と少し距離を置くようになりました。
    1年後、彼はまた別の学校へ転校していきました。
    その時、「何故もっと彼と仲良くしておかなかったのだろう」と後悔しました。

    在日の方々の多くは、この男の子と同じような経験をしているのだろうと思います。

  2. 【2195462】 投稿者: 疑問  (ID:XQh0ThPs8P.) 投稿日時:2011年 07月 07日 21:12

    二俣川 様

    >>その通り。当時の政府の資料を読めば、南方資源がただ欲しかっただけ。
    >>実際に、各植民地の資源は宗主国である日本に奪われてしまった。
    >>軍票を乱発して現地を超インフレにしてしまい、しまいにはすべてただの紙切れに
    >>してしまったのが、植民地に対する日本軍政の実態だった。
    >>現地の人々に感謝されるわけがない。

    おおかたはその通りでしょう。南方資源がただ欲しかっただけかは疑問ですが。
    その当時は、それこそ日本が負けて万歳だったでしょう。
    しかし、時は流れて現在はどうでしょう?。特定の国を除いて、多くの国は日本に好意をもっています。
    未だに憎んでいる人たちもいるでしょう。それでも今回の震災での各国の支援表明などを見ると、決して日本が要求した物ではなく、各国、自らが望んでいるものと思いますが
    違いますか?

    過去のことをいつまでも言っていては本当の友好など絶対できません。
    それはどこの人々も「現在」を生きているからです。
    戦前はお互いにジャップ・鬼畜米兵と呼んでいた日米でさえ、戦後はまさにトモダチになれた。
    お互い家族を殺し合っていたにも関わらず。
    敗戦国である日本は、終戦により進化したのです。明日を生きるために。
    そしてそれは南洋の他の国も同じです。日本の植民地から解放されて進化したのです。(特定アジアを除く)
    それら進化が全て日本のおかげなどとは言うつもりはありませんが、きっかけになったのは間違いないでしょう。
    その結果が、現在各国の日本に対する評価だと思いますが。(キリ!)
    違いますか?


    >>なぜ、彼らに通称名(「通名」は俗称。法的に正しく呼称しよう)を名乗らせねばならなかったのか。
    >>また、日本政府がなぜそれを許しているのか(在日だけではないが)、
    >>あなたにはそれらをまずお考えになってもらいたい。

    創氏改名と関わっているようですが、詳しくはわかりません。
    ただし現在も半ば強制されている様ですね。この件は日本の法律が悪いと思います。
    (人権派は直ぐ動いて欲しいです)
    直ぐにでも憲法を改正して、本来の朝鮮名、韓国名を名乗ってもらうようにしないといけません!(キリ!)
    反対する人はいないですよね?

    また在日朝鮮人、在日韓国人以外に通称名を名乗っている人が少ない
    (というかを見たことが無いのですが)理由、それも疑問です!。


    ネットでわたしと同じ疑問を持つ人がいたので、引用いたします。

    ------------------------------------- ここから ----------------------------------------------

    在日の中国系の人たちが堂々と本名を出しているのに、なぜか在日の朝鮮・韓国系の人たちは本名を隠しているのはなぜなのか?と。
    国籍や本名を隠して生きようとする人間を、人は、心の底から尊敬できるものでしょうか?何かを隠そうとする人間にうさん臭さを人は感じるものです。
    国籍や本名を隠して生きることが逆に差別感情につながることは確実にあると思います。負の連鎖ですね。
    別に通名を止めろと言うつもりはありません。それは在日の認められた自由です。
    ただ、彼らが本当に心の底からの尊敬と敬意を得たいと考えるのなら、自分自身の生き方によって、行動によって尊敬を勝ち取るべきでしょう。
    そして、国籍と本名を隠していては、差別から脱するには逆効果だと知るべきではないでしょうか?

    ------------------------------------- ここまで ----------------------------------------------

  3. 【2195470】 投稿者: もういい  (ID:zIqvXUexc2o) 投稿日時:2011年 07月 07日 21:16

    何十年前の話ですか?

    韓国人留学生普通にいますし韓国名で通して
    平和に受け入れられてます。

    過去を無駄に引きずることほど愚かなことはありません。

  4. 【2195517】 投稿者: 疑問  (ID:XQh0ThPs8P.) 投稿日時:2011年 07月 07日 21:47

    メーカー勤務の新聞社 様

    わたしの幼少時代
    小学校時代: 在日とか俗に言う差別教育も全くなく、完全無垢でした。
    中学校時代: 在日とか俗に言う差別教育も全くなく、完全無垢でした。
    高校時代 : 在日とか俗に言う差別教育も全くなく、完全無垢でした。

    家庭では : 在日とか俗に言う差別教育も全くなく、完全無垢でした。

    高校はクラス全員が男子で結構いろんな所から集まってくる高校でした。
    入学してしばらく不思議だったことがあります。
    それは入学当初は、中学校が一緒とか、塾で知っていた仲とか、住んでいる場所が近いといった事で
    グループが形成されていました。ところがあるグループは全くそれらに該当しないのに、
    すごく仲がよいのです。(最初から親友で感じで仲がよく、いつも徒党を組んでいた)
    また、そのグループは、なんか自分より体格も良くて大人っぽい感じでした。
    (1,2才年上な感じ)
    わたしは結構そのグループとぶつかり喧嘩していましたが、半年も喧嘩してるとなんかお互いを
    認めるみたいな感じになり、その後は普通になりました。(一緒に遊びに行く事もあり)

    今にして思うとあのグループは、在日なのかな?と思うことがありますが
    未だに解りませんし、知りたくもありません。

    わたしが言える事は、在日とか、部落問題など下手に学校で教えることは、
    そういう差別を教えると言うことになりませんか?

  5. 【2195537】 投稿者: 疑問  (ID:XQh0ThPs8P.) 投稿日時:2011年 07月 07日 22:00

    訂正いたします。

    小学校時代: 在日とか俗に言う差別教育も全くなく、完全無垢でした。

    差別教育が全く無いと書いていますが、間違いです。
    わたしが覚えていないだけかもしれません。

    訂正文

    在日とか俗に言う差別教育が行われていたかも知れないが、全く頭に入っておらず、完全無垢でした。

    orz

  6. 【2195552】 投稿者: 疑問  (ID:XQh0ThPs8P.) 投稿日時:2011年 07月 07日 22:10

    みなさん、自分の国に自信を持って下さい。

    【大東亜戦争に関する世界の日本に対する評価 コメント集】

    ■ククリックド・プラモード(タイ、元首相)

    「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。

    日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。

    十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。
    我々はこの日を忘れてはならない。」( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )


    ■ラグ・クリシュナン(インド、元大統領)

    インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。
    それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。
    驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。
    (昭和44年「日本経済新聞」)


    ■ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相)

    我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。

    それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。

    日本が敗北したとき、「これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる」と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。


    ■ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)

    要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。

    私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。

    それなのに、あなた方は自分らの子弟に「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。

    満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。

    あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)


    ■朴 鉄柱
    (韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)

    「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。」

    「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。

    それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。『事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし』というのが、開戦時の心境であった。

    それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。

    日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」

    「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。

    戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。

    日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、『聖なる戦争』であった。

    ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」 ( 昭和42年10月 )


    ■H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)

    「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」


    ■ジョージ・S・カナヘレ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)

    日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。(中略)

    インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。

    日本によって与えられたこのような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。


    ■バ・モウ(ビルマ元首相 独立宣言より) ※ビルマは現在のミャンマー

    約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器を使用せり。

    ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い・・・愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。

    ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。

    ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり。(一問に百答 日下公人 PHP研究所)


    ■モハマッド・ナチール (インドネシア元首相)

    大東亜戦争というものは、本来ならば私たちインドネシア人が独立のために戦うべき戦争だったと思います。もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。大東亜戦争とはそういう戦いだったんです。


    ■アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)

    第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。

    その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)

    英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。

    なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。

    1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)


    ■ダグラス・マッカーサー(アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥)

    日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。しかし、彼らは労働力はあっても生産の基礎素材を持たない。日本には蚕のほかに取りたてていうべきものは何もないのだ。日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。

    それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言)


    ■ハミルトン・フィッシュ(政治家「悲劇的欺瞞」(TragicDeception1983))

    ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を日本との戦争に巻き込むことに成功した。そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるという彼の最終的な目的を達成させた。


    ■ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)

    大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。
     
    日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。 今や真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。

    民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。(中略)

    さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。(「東南アジアの開放と日本の遺産」秀英書房、256~7ページ)


    ■ロスロップ・スタッタード(アメリカ、歴史学者)

    すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。1904年の日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は白人千人中の一人にも考えがおよばなかった。(中略)

    1900年は、四百年間みなぎりきった白人潮勢の頂点であった。白人はその時、威名と実力の頂上に達したのである。その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し、旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。その刹那に白人の退潮が始まった。(長瀬鳳輔訳『有色人種の勃興』政教社、147,151頁)


    ■グラバイ・デサイ(インド、インド弁護士会会長・法学博士)

    このたびの日本の敗戦は真に痛ましく、心から同情申し上げる。しかし、一旦の勝負の如きは必ずしも失望落胆するに当たらない。殊に優秀な貴国国民においておやである。私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。

    インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。(1946年デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市F機関長に対する挨拶)


    ■ジャワハルラル・ネルー(インド、独立後の初代インド首相)
     
    チャンドラ・ボーズが日本と協力してつくったインド国民軍《INA》の裁判で、弁護士として法廷に立ち、「これら立派な若者達の主たる動機は、インド解放への愛情であった・・・彼らの日本との協力は、インド解放を促進するための手段であった。余はチャンドラ・ボーズ氏の独立への情熱を疑わない」と述べた。(貝塚茂樹編『民族解放の星』講談社、253~4頁)


    ■アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)
     
    日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。

    日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。

    その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(中略)

    (日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。(「魂を失った日本」未央社、57~65ページ)


    ■ガザリー・シャフェー
    (マレーシア、元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞)
     
    日本の某代議士の「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」という挨拶に対して、「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。その結果、マレーシアは独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ」

    さらに続けて、玉井顕治、名越二荒之助、中島慎三郎の三氏に対していわく。

    「私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです。日本はもっと大きくアジアに眼を開いてください。現在、日本は南方の発展途上国に対する援助額はダントツです。押しも押されぬアジアの経済大国ではありませんか。
     
    『ルック・イースト』『日本に学べ』という呼びかけは、シンガポールやマレーシアだけではありません。口に出しては言わないけれど、アジアの国々のこれは本音なんですよ。かって反日感情の強かった国々にも、次第に親日感情が起こりつつあります。

    そうしたなかにあって、日本は欧米にばかり目を向けず、アジアに対して責任を持つ国になって欲しいのです。日本はかつてアジアに対して責任を感じ、そのために、戦争であれだけの犠牲を払ったのです。この尊い戦争の遺産を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです。自動車は前を見て運転しなければ、進路を間違えますよ」(昭和六十三年七月十九日、於赤坂プリンスホテル)


    ■朱 耀翰 {韓国 元国会議員 ゴーマニズム宣言第六巻p232}
     
    「アメリカ大統領ルーズベルト君、君は口を開けば必ず正義と人道を唱えるが、パリ講和条約の序文に人種差別撤廃文案を挿入しようとしたときこれに反対し削除したのはどこの国だ? 黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にも着かせずアフリカ大陸で奴隷狩りをしたのはどこの国であったか? しかし君らの悪運はもはや尽きた。一億同胞なかんずく半島の二千四百万は渾然一体となって大東亜聖戦勇士とならんことを誓っている!」


    ■ニミッツ元帥(アメリカ 太平洋艦隊司令長官)

    この島を訪れるもろもろの国の旅人達よ。故郷に帰ったら伝えてくれよ。この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てた。その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!


    ■スリム中将(イギリス第十四軍司令官)

    たたかれ、弱められ、疲れても自身を脱出させる目的でなく本来の攻撃の目的を以て、かかる猛烈な攻撃を行った日本の第三十三師団の如きは、史上にその例を殆ど見ないであろう。(「敗北から勝利へ」)
     
    かくの如き望みのない目的を追求する軍事上の分別を何と考えようとも、この企図を行った日本軍人の最高の勇気と大胆不敵さは疑う余地がない。私は彼等に比肩し得べき如何なる陸軍も知らない。(同書)


    ■蒋介石

    ラモウ・騰越を死守しある日本軍人精神は、東洋民族の誇りたるを学び、範として我が国軍の名誉を失墜せざらんことを望む。


    ■ベルナール・ミロー(フランス ジャーナリスト)

    これら日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。(『神風』)

  7. 【2195596】 投稿者: 歴史教育  (ID:8cYrrcz/.9E) 投稿日時:2011年 07月 07日 22:44

    >創氏改名と関わっているようですが、詳しくはわかりません。
    ただし現在も半ば強制されている様ですね。この件は日本の法律が悪いと思います。
    (人権派は直ぐ動いて欲しいです)
    直ぐにでも憲法を改正して、本来の朝鮮名、韓国名を名乗ってもらうようにしないといけません!



    創氏改名は強制でも何でもありません。
    自由です。朝鮮人が便宜上希望してつけたものです。

    無理やり連行された→嘘
    無理やり日本名を名乗らされた→嘘

    色々ばれてきてます。


    >なぜ、彼らに通称名(「通名」は俗称。法的に正しく呼称しよう)を名乗らせねばならなかったのか。
    新聞社さんは日本人のふりをしないと差別を受けるからと言いたいようです。


    でも姜尚中の本でも小さいころ朝鮮人だったので差別を受けたと書いていました。

    でも実際は通名を使っていて同級生は彼が朝鮮人だとは知らなかったそうです。

    矛盾してませんか?

    そうなんです、在日を言うことはいつも矛盾してます。

  8. 【2195605】 投稿者: 二俣川  (ID:2VtcoxrVTCc) 投稿日時:2011年 07月 07日 22:53

    >南方資源がただ欲しかっただけかは疑問ですが。


    それ以外に理由はないね。
    当時の政府や軍部は、みな正直にそれを述べている。
    ちなみに、満州も同様。関東軍のあのお偉いさんも、満州で資源を現地調達して戦い続けると『世界最終戦争論(?)』で述べている。


    >また在日朝鮮人、在日韓国人以外に通称名を名乗っている人が少ない
    (というかを見たことが無いのですが)理由、それも疑問です!。


    たくさん実例がある。
    市町村によって若干取り扱いに差があるが、在日でない一般の外国人であっても通称名を用いている。
    私の学生時代に某大学にいたスペイン人・アンドレ先生は、安藤と名乗っていた。


    手続きは簡単。外登証に通称名を記載してもらうだけ。その結果、保険証や印鑑証明書などが本名と通称名とが併記される。
    したがって、それを資料として用いる行政上その他の各種手続きも通称名での表記が可能となる。
    たとえば、不動産・法人登記の名義や役員名などもね。運転免許証は併記だ。もっとも、行政当局には当該資料が保存されているので、外国人であることは分かる。
    当然に名寄せも可能で、通称名ゆえの脱税などもできない仕組み(デマに騙されないように)。


    >わたしが言える事は、在日とか、部落問題など下手に学校で教えることは、
    そういう差別を教えると言うことになりませんか?


    差別はね、無知から生まれるんだ。
    たとえば、当時の権力者がなぜ被差別部落民を「意図的に」作ったか、ご存じかな。
    なぜ、江戸末期あたりから日本人が朝鮮半島や中国人を「見下す」ようになったのかを、ご存じかな。


    戦争も差別も、ともに人間が生み出したものだ。
    それを教えることの意義は大きい。
    人は、生まれながら差別主義者に生まれたわけではない。

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