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【2590615】結局、地頭次第ということですよね?

投稿者: かりな   (ID:gBOr6jJpUd.) 投稿日時:2012年 06月 22日 19:16

中学受験を意識し出し、何の問題集がいいどこの塾がいいという情報が母親の間で飛び交いますが、結局のところ生まれ持った頭の出来がほとんどを決めますよね?

小1でも小2でも、たわいない話の途中で、何を話してるのか分からなくなっているような幼い子もいれば、ただ遊んでるだけでも理屈の通った考え方をしている子もいて、気付かれにくいだけで、その位の年齢でできの良さは決まっているような気がします。

親は良い問題集や綿密な学習計画を練り、勉強に繋がる良質の体験をさせに博物館などに連れていったりして、子供の能力を開発しようとしていますが、ないものはない、あるところにはある、の世界だということは明らかな気がするのですが。

お尋ねしたいのは、それでも大して利発ではないと周りからみても明らかなのに、受験に追い立てるのはなぜでしょうか?

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  1. 【2591396】 投稿者: ひさびさ  (ID:7R9JTxF4DUs) 投稿日時:2012年 06月 23日 11:59

    久々におもしろいスレを読みました。スレ主さん、同意見です。


    御三家の中にも、地頭のいい人、努力でなんとか入った人、っていうのが
    存在していると思います。



    地頭がいい人、つまり、ほんとに頭がいい人には、凡人が努力したって、
    かなわないんですよ。



    環境因子もあるでしょう。もちろん。


    遺伝と環境因子がそろって、いい結果がでるんじゃないですか。


    それから、おしりをひっぱたいて結果をだせそうな子なら、やらせればいいけど、
    要は、それで御三家をめざさなきゃいいんですよね。どうせそうやって入った子は、底辺になったりしてさ、劣等感、、それだったら、中堅のトップにいた方が、自己肯定感ができていいですよね。


    無理して御三家にいれるなって、ことよ。

  2. 【2591406】 投稿者: 関西ですが  (ID:hTOphziMBg6) 投稿日時:2012年 06月 23日 12:08

    親の出番が多くて園バスや預かり保育の無い
    月謝高めで少人数の私立幼稚園に通っていました。
    比較的経済的余裕のある教育熱心な家庭が多かったです。


    その中でも際立って利発なお子さんが男女一名ずついたのですが
    お二人とも男女最難関に進学されたと聞きました。
    面白いのはみなさん揃って「やっぱりね~」という反応だった事。
    幼児期位になるとある程度の能力の片鱗は見えている?
    親もそれをうすうす分かってはいるのかも。
    我が子は親譲りの凡児なので大学附属中です。
    それもまた「やっぱりね~」だと自負しております(笑)

  3. 【2591533】 投稿者: かりな  (ID:gBOr6jJpUd.) 投稿日時:2012年 06月 23日 14:31

    およよ様のおっしゃる、「地頭の良さを見抜ける親がどれだけいるか」ですが、まさに私が考えるのはそれなんです。

    遺伝や環境の話にも似ていますが、親御さんも同じように優秀な場合もあると思いますが、そこまでではない場合もあると思います。

    そのような場合でもお子様の能力が普通ではないなと感じ始めてから、子供の能力を伸ばせるようで見守っていこうと謙虚に愛情を注がれる方は、お子様は能力人間性共に問題なく成長していくと思います。

    次に、親御さんがそこまででなくお子様が地頭よしで、親が勘違いしてしまった場合。

    これは志望校を決める際にネームバリューにこだわったり、模試の順位に一喜一憂します。
    全国何位とか自分の学生時代には見たことがない数字ですから、自分のことのように喜び子供の優秀さが自分のプライドとなります。

    最難関を目指すよう追い立てることもあるでしょうが、地頭が良い子は周りのプレッシャーも感じず最難関にいくでしょう。
    このような場合の悲劇は、親元にいる間ではなく親から離れたときに起こります。

    子供の頃から親が自分自身の姿でなく優秀な結果を残すことを誇りのように思っていることを感覚的に見抜いているので、大人になり独立した時に親へ感謝の気持ちはあるとはいえ、親の願いを満たす責任は終わったとあまり親を気にかけなくなります。

    海外の大学で研究をして現地で結婚して永住したり、国内でも多忙ながら多くの人間に尊敬され信頼されながら能力を発揮する職業についたり、彼らは自身は能力を生かし幸せに生きていくことが多いです。

    ただ、親との関わりは薄くなります。

    正月に顔を出したり誕生日に贈り物をしたり、常識の範囲での関わりはつつがなくあります。
    ただ、子供自身は親から頂いた思いは返したと思っているのと、今の生活で自分で選んだ同じような資質の人との世界で満たされているので、親に必要とされることはあっても逆はありません。


    上記二つの場合は地頭が良い子の場合ですが、親がどうであれよほどのことがない限り、お子様自身は幸せになる可能性が高いでしょう。
    地頭が良いというのは、学力だけでなく人間性も高い場合が多いからです。
    それは感情的になる場面でも、我慢できる力や他の視点から見た場合など多角的に考えることができるからです。


    「地頭はさほどではないのに親が追い立てている場合」に比べると、子供が潰れる可能性が少ない分安心してみていられます。


    一番危険なのは、親が我が子は賢いと
    勘違いして、もしくは思いこんで突き進んでしまっている場合。

    我が子を御三家に。
    御三家なら塾はどこ。
    この塾ならこのクラス。
    このクラスにいるためにはこの勉強法(家庭教師や個人塾、または有効だと噂の問題集)。

    子供を不在のまま、情報に翻弄されて突き進む。
    この時点で親が既に賢くないことを露呈しています。


    そしてその時の子供は、何を考えて何を思っているか。

    意外にも恐らくお母さんの思ってる通りに思っています。

    「御三家にいけば良い人生になる、塾はこの塾が一番いいはず。」

    まだ親への依存もあるこの時期に、親の思う通りに進ませようとしてきたのですから当然こうなります。

    洗脳と近い状態です。
    また子供に違うと思ったら違うと言える力を育てて来ていない、もしくはその時間や機会を奪っているので、当然自分自身で考えをもつという事ができないのです。


    親の言うことを素直にきける良い子に育ててきたのに、一番多感で自己を確立する大事な時期になるであろう中高生の直前で、自分の頭で自分の気持ち、意志を考えるという一番人として大事な力を奪っているということです。


    激しい中学受験の競争に小学生の段階で押し込んでも大丈夫な子は、地頭が良い子と言われても10のうち3か4しか受け止めない中堅を目指す子だけです。

    それ以外の子供は、親が特に注意してどっぷり浸かりすぎないよう、塾や周りの雰囲気に流されないよう、相当引きぎみにみておかないと子供への愛情のつもりが逆方向に向かう可能性が高いです。

    特に無理してなんとか御三家に思っている上位層の親が一番危ないです。

    そして一番もったいないことをしたなと思うのもこの層に多いです。

  4. 【2591580】 投稿者: 地頭神話  (ID:Ll6gY4xUas.) 投稿日時:2012年 06月 23日 15:16

    う~ん、地頭が良い=天才とは違うものですよね。ですから、比較に凡才という言葉を使うのもおかしいような気がします。
    天才というのは、他の人には出来ない・考えつかないようなことをできる人のことだと思っています。ましてや、たかだか中受(大学受験も含む)や幼児教育で分かるものではないと思います。

    理解力が早いお子さんことを地頭が良いととらえるならば分かる気がしますが、それは秀才ですよね。開成卒の子供が「うちの学校に天才はいないと思うよ」と言っておりました(我が子が知らないだけかもしれません)。勉強の仕方をわかっている努力できる子供が多いようです。

    あと、天才と言われている人たちは子供の頃は決して優秀じゃなかったという話もあります。
    「天才とは努力する凡人である」…いい言葉だと思います。努力し続けられる人=地頭が良いということだと思っています。ただ、努力しても結果がついてこない場合は、「努力の方向性が間違っている」のだと思います。だからこそ、いいコーチや環境が必要なのでしょう。

    あまり『地頭神話』に振り回されない方がいいですよ。


    蛇足ですが、「この八百屋のおかみさんは潜在的にノーベル賞をとれる才能を持っている」「しかし、まわりも本人も気づかないため八百屋のおかみさんのままである」というマンガがありましたっけ?

  5. 【2591594】 投稿者: たぬきち  (ID:7rxiKBNVWZI) 投稿日時:2012年 06月 23日 15:31

    相原コージですかね???

  6. 【2591643】 投稿者: 敢えて  (ID:3NAygvpXYgc) 投稿日時:2012年 06月 23日 16:34

    この類のスレを時々見かけますが、私の結論は諦めです。
    言葉を変えれば、所詮人間ってそんなものでしょ、と言うことです。
           
    スレの最初のお尋ねの文。  
    >お尋ねしたいのは、それでも大して利発ではないと周りからみても明らかなのに、受験に追い立てるのはなぜでしょうか?
       
    中学受験話題でなく、この文を使って他の話題に作り変えたらどうなるのでしょうか。
       
    民主党政権。私にしてみれば、あんな民主党なんかが政権に付いたところでろくでもない、でした。
    甘いもの食べ放題。お皿に山ほど載せて後で汗をかきかきダイエット運動。運動でも行えばまだしも、どうしても手が伸びちゃうのよねぇとの誤魔化し。
    子供が手に負えなければこぞって反抗期という言葉の天下の宝刀をぬいて自己弁護の大合唱。
    寺銭を確実に取るはずのギャンブル。これも皆さん夢を見る。
    化粧。最近は整形なんていうものが当たり前になってきていますので、これは地頭を作り変えるに等しいのかも。
          
    先日、元オウムの上祐史浩が出演していた番組を見ました。
    彼から「後悔はないけれど、反省している」(要約)の発言があり、また「後悔はない」は「後悔できない」ということで、当時の自分の意識ではその答えしか出なかったとの発言もあり、思わず頷いてしまいました。
    (オウムの事件関係なく彼の言葉だけに頷いたのです)
       
    人間なんて何を基準に判断しているか、どんなに頑張っても神の啓示でもなければ今持ち合わせている意識から何かしらの答えを出すのが精一杯。
      
    中学受験に進む方は、結局準備なり将来の進学なりができる方のみ。
    アフリカの国々の総ての人がやろうにも出来ない環境であることは事実。
    今の日本の環境にあっては、現状の中学受験の姿になるのは凡そ見当が付くのではないかと思います。
      
    よく言われる平和ボケなんていうのは、外国から見ての話。この日本人の国民性から言って自分の姿をどれほど平和ボケと実感できるのでしょうか。
    よく中学受験ごときで論議できるよと思われる外国の方もいらっしゃると思います。
    宇宙人から見れば中学受験なんて、何を戯言を、と思います。
      
    偏差値の標準分布。これ不思議ですよね。
    雷に当たる確率。なにやら例年ほぼ同じとの事。
      
    一方、交通事故の数。
    数が減っているのは事実ですが、しかしどんなに啓蒙活動を過分に(注)したところで実際は変わらないはず。多少減っているのは外形的な歩道の整備等、要するに環境の変化によるもの。
    環境の変化次第で人間は何を思い、行動し、そして何らかの結果になるかは分かったものではない。しかし標準分布程度の広がりは持つだろうし、雷に当たる程度の確率で何かは起きる。
       
    中国の科挙。昔は地頭もなにも無く命がけの方もいたとか。少なくとも不本意の結果で自殺された人もいる。
       
    他にサブプライムなどの金融経済問題。
    これは明らかに人為の環境操作。今だからなんだかんだ意識に上がって来ていますので批判する方も多いのでしょうけれど、でも日本の一人一人の国民だってその動きの一歯車として利用され、ある意味この結果を導くことへ加担していた。
    新日鉄が元社員を訴えた記事が最近ありましたけれど、10~20年前に誰が中国、韓国への技術進出を批判したのでしょうか。当時は皆さん海外駐在へ行けると意気盛んだったはず。
       
    スレ主さんの中学受験にまつわる問いかけも、現状の環境においては偏差値の標準分布のごとく自然現象なのだろうと思います。
         
    但し、ではこのまま無自覚のまま放って置けばよいかとなれば、それはそれとして問題なのでしょう。
    上の上祐氏の発言ではないですけれど、後悔は出来なくとも反省することは必要ではないかとも。
      
    中学受験においては、ここで言われる悪い例に該当したと言えども、将来自分の(子供の)中学受験は、中学時代は、高校時代はどうであったのか、冷静に見ることが出来る準備は必要なのかとも思います。
       
    しかし、これが可能かどうかとなればまた一問題。
       
    日本は宗教があるなどと言われますが、私は全くそう思えません。環境がその錯覚を誘引しているに過ぎなく、宗教心なんていうものは無いと。
    代わりに世間があるじゃないかと(俗に言うモラルと言う話にも通じますが)、これまで色々な学者や文学者が語られていますが、最近の世間は嘗ての世間と言う代物と思えない。
       
    民主主義。宗教が必要なのです。明治憲法でも天皇大権は必須。教育勅語も必要(何も天皇制大好きといっているわけではありません)。
    共産主義。独裁者が必要なのです。
    (もしかして下の文章をも含め宗教戦争があるではないかのご指摘があるかもしれません。ここでは長文になりますので書き込みませんが説明することは簡単です)
      
    一方、金融資本主義。バブル崩壊の根幹で指摘される通り、それがよって立つ何物もない、ただその現物の構成要素である金があればよいと言う世界。
    無から有を作るという、誰もが夢見る壮大なストーリー。
       
    中国は、資本主義の手綱をどのように操るか試されていますよね。
    当たり前ですが共産主義で民主主義は無理どころか、社会崩壊。敢えて言えば宗教化されるがごとき何かしらのテーゼは必要で、例えそれが日本バッシングでも南シナ海進出だろうと。
        
    今の日本は意識の膨張が限りなく広がるような環境下にあるような気がします。もちろん何もタガがない状態で。敢えて言えば生きている者だけの命が寄って立つものかもしれません。でも命って?どんな命でも良いのなら、それこそ標準分布のように広がる全てが対象となり、結局はその命を叫ぶ夫々の意識ともなる無限循環。
      
    意識があればよい。どんな意識でも良い。頑張ろうの掛け声だけの夢でもよい。それらの姿が魑魅魍魎であったもかまわない。
    意識バブルが爆発するまで、それは金融資本主義をこの国の政策指針にして誰も不思議に思わない環境があるからだと思います。
           
    そういう意味で、自然現象といえども現在の中学受験、啓蒙活動だけでは何にも変わらないどころか、徘徊するだけだと思います。
    テーゼに対するアンチテーゼ。その形以外に何をも生まない。場合によっては金融資本主義のごとくせいぜい無から有のこと。
    では、その無から有を作ってなんと自分の意識に訴えるのか。これもまた循環。
    原理が無く、もしくは原理を無視して、しかし何がしの理論を原理に据える理論展開と同じだと思います。
      

  7. 【2591677】 投稿者: 親心  (ID:Bx24Hpww1Lo) 投稿日時:2012年 06月 23日 17:03

    「幼児教育に携わっている人は、幼児期に地頭の良さは見抜いている。」と以前書きました。
    でも、我が子のことは案外わからないものなのです。
    いえ正確に言うと、我が子の評価の尺度は、鈍るのです。

    それでも、集団の中にいれて集団の子ども達全体を観察しているとわからないわけでもありません。

    開成に地頭で行けるのか、または努力してやっと合格するタイプかを見極めて無理をさせないことだという話がありましたが、これは開成に限らず志望校を選択するにあたり、誰にでも言えることです。

    ただし、無理をしてでも入れて、ぎりぎり後ろの成績でもついていく方が向いているタイプなのか、ワンランク落として、余裕のある方が気持ちよく勉強するタイプかに因ると思います。


    多浪しても東大に合格できなくてつぶれるというのは、芸術方面(芸能界)で成功すると思ってその方向の職を選択するのと似ています。
    要は、どの環境においても、自分の実力での位置を認識し、過去のデーターから成功できるのかどうかを見極めること。諦めること。そういうことが結構生きていくには大事なことではないでしょうか。

  8. 【2591745】 投稿者: 地頭  (ID:mY7Bv5jaI5s) 投稿日時:2012年 06月 23日 18:08

    うちの一人目が、地頭かなり抜きんでていました。しかし、フルの仕事で保育園に預けっぱなし。何か、この子は他の子と違うなあ~とは思いましたが、忙しいので、近くの公園で他のお子さんと比べたりする機会もなく、むしろ、こんなものなのかな?とおもったりもしていました。

    まあ、少しできるくらい?と思っていましたが、「かなり知能が発達しています。本への関心が強すぎるくらいで、知識欲、理解力が人並み外れています。」と、3歳頃、保育園の先生に言われました。

    >およよ様のおっしゃる、「地頭の良さを見抜ける親がどれだけいるか」ですが、まさに私>が考えるのはそれなんです。

    地頭が普通なのに、「うちの子はすごい」って思ってしまうのは、お子さんにとって不幸かもしれませんが、親が忙しいあまり、「地頭」が高そうなのに、それに気づかずにいらっしゃるおかあさまもいるかも? それも、お子さんにとって不幸かもしれません。そのようなお子さんには、知識や環境をどんどん与えてあげるべきだからです。

    普通は、公園デビューなどがあり、まわりのお子さんのなかにいる自分の子供を認識、比較する機会に恵まれていると思います。私は、自分の子供をひいき目に見ないほうでした。理系の性かもしれません。 生まれた時から、自分のこどもしか眼中にない・・っていうお母さんは認識がにぶるかも? お母様方は、まわりのお子さんも同様にかわいい、いいところを持っていると、いい意味での正しい比較ができるようになっている必要があるかもしれません。

    あと、抜きんでている部分があると、保育園・幼稚園の先生が面談などなどで何か伝えてくれることが多いものです。ママ友や親戚、おけいこごとの先生から何か言われた・・はおべっかである可能性があるからダメですが、大勢のお子さんの面倒をみている幼稚園の先生にははっきりわかっているはずです。

    うちは、上の子は、どこ(保育園、幼稚園、小学校)に行っても、ぬきんでている部分を指摘されることが多かったです。どのように育てられたのでしょうか?と、いろいろなところで聞かれました。

    先生に、何かお気づきのことありますでしょうか?とか聞いて、答えてもらうんではダメですよ。そうなると、何かいいところを話してくれますものね。ふつうに面談していて、自然と向こうからどんどん話が出てくる・・そんな感じならば、はっきり地頭部分をもっているということ。そうでなければ、普通内ということで、まちがえて判断することもないでしょう。

    ただね、地頭良しは受験勉強には有利な部分はありますが、受験勉強、学問、就職、仕事と、それら全てを「地頭」が支えてくれるわけではないのです・・と、私は思っています。 ですから、私は、こどもに、地道な積み上げの大切さも教えています。

    地頭良しでも、何も努力しなくなってしまったのでは、伸びるものも伸びません。生まれながらに、運動神経の良さというのもありますよね。音楽、美術への才能というのも先天的なものもあるのでしょう。勉学に対する「地頭良し」も、才能まではいかなくても、ちょっとした天からのプレゼントのごくごく一部か・・と思います。恵まれている部分があるとしたら、それを大事に生かしてほしいです。個人的には、誰でも、何かの恵まれている部分をもってうまれてくるのだと思います。 それを探してあげるのが親の役目でしょう。

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