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投稿者: これも削除しないで (ID:yH6PVB.3Scs) 投稿日時:2010年 10月 04日 11:07
韓国ドラマ大好き、などと言っているみなさん、「韓国はなぜ反日か?」
というサイトを是非見てください。韓国という国のことがよくわかっていただけると思います。
書き込めないようなので、「2」を立ち上げました。
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【1887892】 投稿者: 片手落ち (ID:EH2uidELFv2) 投稿日時:2010年 10月 18日 12:11
>このあと、日本は36年にわたって、朝鮮を植民地として武力で支配し、朝鮮民族にいいつくせない苦しみをあたえた(いずれも、『中学社会 歴史』(教育出版)」
韓国人の人口を増やし、最貧民国にインフラを敷き産業を発展させ国土を豊かにした事はスルーなんですね?
残念です。 -
【1887987】 投稿者: 二俣川 (ID:c841aE3wV2M) 投稿日時:2010年 10月 18日 13:24
>大体併合だって合法的にされたのです。
そうでなければ、欧米が黙っていないでしょう。それは事実でしょ?
あなたは、過去の日本政府の為した遺憾な歴史的事象には、「真実はわからない」的抗弁を繰り返す。
しかし、なぜ韓国併合については、「合法的に」なされたと即断なさるのか。
その一貫しない態度は、不可解千万だ。
ところで、韓国併合当時における国際環境を考えてみよう。
日清戦争で日本が清国を破り、領土を奪ったことは、清国に対する列強の侵略の度合いを激しくした。
世界の領土分割の中で、いまだ取り残されていた清国に列強の目が集中したのだ。
そのようななか、露骨に日本と対立したのはロシアだ。
そのため、ロシアの南下政策による満州進出に危惧感をもった英国は、義和団事件以降の自己の権益を擁護するため、
「光栄ある孤立政策」を転換し、日本との提携を求めた(このころの英国は、インドやバルカンでもロシアとの対立を深めていた)。それが1902年1月の第一回日英同盟協約だ。その中に、
1 日英両国は、清韓両国の独立、領土保全を確認する。
2 日本は清韓両国における、英国は清国における特殊利益を相互に承認する
とあった。
さらに、1905年8月の第二回日英同盟協約では、
2 英国は日本の朝鮮における独占的支配を認める。
と定めた。その結果、日本は日露戦争終結後の朝鮮問題解決と中国大陸経営専念の基盤作りに成功した。
しかしながら、日本と米国との対立が深まるに従い、英国は日英同盟による対米参戦のおそれを危惧し、
1911年第三回日英同盟協約において、朝鮮条項の削除・米国への適用除外などが約束された。
米国とは、桂・タフト協定もあった。このように、日本は韓国に対する権益を英米両国に認めさせた。
その後、ドイツの急激な台頭と英国の世界政策との覇権競争が激化し、韓国併合後の1914年の第一次世界大戦につながっていく。
すなわち、日露戦争勝利によって帝国主義列強の新メンバーとなった日本に対し、既存の列強諸国はドイツへの対応の追われ、北東アジア地域への関心が相対的に薄れていった。しかも、中国大陸での権益擁護にのみ列強の関心が集中した。当然に、小国である朝鮮半島についての関心は薄れたのである。したがって、韓国併合が「合法的」に締結されたがゆえではない。 -
【1887998】 投稿者: 証拠を上げて下さい (ID:rlxQqW/XKCc) 投稿日時:2010年 10月 18日 13:36
みなさん、
二俣川さんの論理は破たんしています。
一生けん命に長文を打ち込んで、自分の都合のいい論理だけを述べていますが、
その根拠たるや薄弱どころかデタラメ。
ここ2~3日の書き込みだけでも、それは顕著です。
>いや、それどころか1965年6月22日に調印された日韓基本条約では、謝罪することによって
>当然引き起こされる補償の問題を恐れた日本政府までもが、開き直って
こんな事まで言っているんですね。完全に(盧武鉉政権後の)韓国と民団の主張通り。
日韓基本条約で、
「韓国政府は個人への補償は韓国政府が行うので日本は韓国政府へ一括して支払うこと」
と、韓国政府が要求したのです。
そしてその言葉通りに、日本は韓国政府に全補償を行ったのです。
そして「在韓日本資産53億ドルの返還を請求する権利」も放棄しています。
二俣川さんの言う「開き直り」も「謝罪することよって引き起こされる補償問題を恐れた」
訳でもありません。
そして「韓国併合」は、完全に当時の国際法に沿った合理的なものです。
>たとえ当時の朝鮮半島のありようが如何なるものであっても、
>それで日本の強権的な外交施策が合理化されるものでもない。
この二俣川さんの発言は、完全に間違っています。
英ケンブリッジ大学の国際法学者J・クロフォード教授も
「韓国併合条約は国際法上は不法なものではなかった」と認めています。
そもそも普通なら、こんな事を隣人が言いだしてきたら、皆さんはその主張を飲めますか?
みなさんの隣人が
「あなたの祖父は、私の土地を(当時の法律では適法だが)使っていた!その補償をしろ!」
と主張し、父はその主張を飲んで「莫大な補償」を行い、その土地に建てた
自分の資産は、全て隣人に譲り渡した。隣人もそこで「完全決着」とした。
ところがまた現代になって、あなたに
「あの補償は無効だ!さらに家族1人1人と、別々の補償をしろ!」
と要求してきた。
こんな厄介な隣人が「未来志向で、互いに助け合おう。」などと言っても
一概に信用できませんよね? -
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【1888043】 投稿者: 二俣川 (ID:c841aE3wV2M) 投稿日時:2010年 10月 18日 14:03
>だったら、大学のレポートに「中学校の教科書コレコレで・・・」なんて書いたら、
間違いないD評価ですよ。
(と言うより、読まずに突っ返される。)
ちなみにWikiPediaを資料文献として出す事は、問題にならないですよ。
WikiPediaは、証跡のリンクも出ているので、その点も例示すれば
まったく問題にならないです。
相変わらずの思い込みに苦笑するばかり。文脈で明白だろう。
私は、日本の学校で使用される中学校の教科書ですら書いてある、と述べたのだ。
すなわち、公知の事実と指摘したわけ。
また、WikiPediaを出典として問題とならないとお考えの向きは、失礼ながらあなた次元のことであろう。
普通の大学生レベルですら、お話にならない。
ご不審の向きは、一度「根拠」としてお試しになるがよかろう。指導する大学教員から叱責されること請け合いだ。
なお、念のため複数の大学教員の意見も参考にしたことを付言しておく。 -
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【1888065】 投稿者: 二俣川 (ID:c841aE3wV2M) 投稿日時:2010年 10月 18日 14:18
>そんなに二俣川さんが謝罪と補償をしたいなら、
そんなこと、どこにも書いていない。
歴史を客観的に述べているだけ。反論は、歴史的事実でどうぞ。
また、文科省検定済教科書の内容にご不満であれば、
霞ヶ関・虎ノ門交差点前の文科省宛にどうぞ。 -
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【1888113】 投稿者: ? (ID:CDVd181oWZo) 投稿日時:2010年 10月 18日 14:54
二俣川さん、
歴史教科書や日本の真っ当な学者が、日韓併合に至る条約が合法的でなかったなどと書いているんですか?
日韓歴史研究会に参加した日本側の学者も、条約は合法的だったと主張したでしょう。
武力を背景に脅したから合法的でないというなら、日米修好通商条約は合法的ではなかったということですか?
砲艦外交でなく、征韓論どおりに戦争して勝てば、条約や占領は合法的なのですか?
あるいは、日米戦争で、原爆を落としてポツダム宣言の無条件降伏を呑ませたのも、非合法でしょうか? -
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【1888114】 投稿者: あれ? (ID:luUFFyAA592) 投稿日時:2010年 10月 18日 14:55
ニ俣川さん、いつも言ってますよ。
〉過去の日本の犯罪事実を認めている。
〉あなたも認めたらどうか?
〉日本が償うべき。
ってね。
証拠を上げて下さい さんが言う通り、
ニ俣川さんが勝手にやればいいと思います。
私たちは、そんな気はない。
勝手に一人でやるなら、どうぞお好きに。
韓国でヒーローになれますよ。 -
【1888124】 投稿者: 二俣川 (ID:c841aE3wV2M) 投稿日時:2010年 10月 18日 15:02
日韓条約については、当時の国際情勢を考えてみる必要がある。
日韓国交正常化のための話し合いは、すでに朝鮮戦争中の1951年に始まっていた、といわれる。
しかし、両国間の懸案が多く、しかも韓国国民による植民地時代のわだかまりがあり、進展しなかった。
その後、日本をアジアにおける共産化の防波堤にしたい米国は、日韓両国に話し合いを呼び掛けた。
韓国の朴正煕政権は、政権維持のため近代化の必要に迫られていた。その資金調達のため、
1 日韓条約の締結を急いで、日本の経済協力を得ること
2 当時ベトナム戦争で苦しんでいた米軍のため、韓国軍のベトナム派兵により、韓国に対する
米国からの援助の続行を受けること
である。
一方、日本側も、ケネディ大統領の招きで訪米途上の日本に立ち寄った前記朴大統領と池田首相との会談で、
これに関連した旧満州軍官学校出身で、日本の陸軍士官学校にも学んだ朴と旧戦犯であった岸信介(自民党・安倍元総理の祖父)という旧満州系人脈との「日韓癒着」という、醜聞ある腐れ縁が形成されていったのである。
そして、日本は、賠償ということばの代わりに、「請求権・経済協力」ということばを選んだ。三億ドルの無償資金と二億ドルの長期低利政府借款及び三億ドル以上の商業借款がその実質である。これが、日本の植民地支配36年間、保護国時代と合わせると40年間に亘る収奪に対する見返りだと当時の韓国民が納得できなかった当時の心情もある。
要するに、日韓条約は背後にいた米国の圧力によって弥縫的・非圧力的に結ばれたものであった。
朴正煕政権は自らの延命策として、一方日本は経済的利益のために。
このように、日韓条約は多くの矛盾や問題点を積み残したままとりまとめられた。
ゆえに、今日のような問題点が噴出しているのであろう。
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