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投稿者: アンパンマン (ID:Y6Xs0Ms7i1c) 投稿日時:2011年 06月 02日 08:57
皆様もご存知の通り、福島第一原発の事故により、3月15日に放射性物質が福島県内のみならず、
首都圏も大量に飛散しました。
現在も事故が終息していないことを考えますと、我々は3月以来この先、ずっと放射能との長い付き合い
を強いられるわけで、今後は空気からの被曝というよりは、食べ物などから入る内部被曝の放射線量に
注意し、できるだけ被曝量を減らさなければならない、とのことです。
しかし食べ物から入ってくる放射性物質の量というのは、個人レベルではわかりにくく、被曝の総量は
見当さえつかないです。
そこで大量に放射性物質が放出されたと言われる3月15日の個人レベルでの被曝量の見当をつけるため、
また、今後仮に何らかの健康被害が出て来てしまった時のために(あってはならないことですが)、
この日や前後の行動を記録しておくことが重要なのでは、と思いました。
3月15日、放射性物質が大量飛散することが予測されていたにも関わらず、我々には何の注意も与えられず、
政府は「ただちに健康への被害はない」の一点張りの会見をしていたと記憶しております。
しかし、あの日の朝、外資系企業や、または独自に情報ルートを持つ組織などでは、「外出注意令」が既に流れており、
ご家族やご自身の被曝を最小限に押さえた方たちも大勢いると聞きました。
我々も、せめて子供達だけでも、その日の被曝を避けてあげたかった。
政府が東日本の学校に注意を促す情報を少しでも入れてくれれば、その日「屋内活動に限る」などの対策がとれたのではないか、と悔しい思いで一杯です。
我が家の子供は普段通りに学校へ通学し、放課後、公園へ友達と遊びに出かけていく、という1日を過ごしました。(涙)
でも後悔しても何も始まりません。今私たちにできることをしましょう。
今後の放射性物質の取り込みを少なくする事です。
そして、お子さんのあの日の行動を忘れないうちに記録しておくことも、今後、何かの時に役立ってくれるのでは、と
思っております。
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【2151355】 投稿者: アンパンマン (ID:Y6Xs0Ms7i1c) 投稿日時:2011年 06月 02日 13:31
フランスさま
フランス大使館の退避プランは、飛行機の便など、そこまで詳細な情報を与えてくれるのですね。。。
ヨーロッパの方々の原発への危機意識の高さに驚かされます。
一方、日本は、、、本当にお粗末であったと思います。
言葉に発することも抑えて さま
私も今の状況を戦時中のようだ、と考えていたところです。
私も外では不安な気持ちを一切出しません。
悲しいかな、家の中でさえ、、なのです。
主人は「データが全て」の理系出身者。出されているデータで、「首都圏の何が心配なんだ?」というスタンスなのです。
英語の論文も楽に読める人なのですが、、、話にならないくらい楽観的なのです。理解ができません。
勿論、私の不安には全くとりあってくれませんし、嫌な顔をされることもあります(涙)
思い切ってこのスレを立ち上げて、みなさまと考えを共有する場ができたことが嬉しいです。 -
【2151363】 投稿者: 不思議ですね(ご参考) (ID:OynN.EXggV2) 投稿日時:2011年 06月 02日 13:39
海外の論文は東京も危険とするものが多いです。独自の観測データに基づいており、日本の条件不統一な、
政府に都合のよいデータは全く参考にしておりません。
なお、英語圏以外のものも当然ですが、英語で発表されています。 -
【2151365】 投稿者: 高校生ですが (ID:thla/62Sw9k) 投稿日時:2011年 06月 02日 13:40
福島の屋内非難区域から、ほんの少し外れた場所に知人が住んでおり
子供と同級生のお子さんがいらっしゃるので
「よかったら、ホームスティに」と爆発直後に声をかけたのですが
一向に返事も無く、余計なお世話だったのでしょう。
親同士にも、大きな温度差を感じるこの頃です。
木造住宅様
>屋外に居るのに比べれば、間違いなく一定の効果はあります。
ひと月の閉じ込めに一定の効果があったと聞き、少し安心できました。
ありがとうございます。
胸騒ぎがしたのに様
>あれはまったくの無駄だったのかと、取り返しがつかないことの大きさに押しつぶされそうな徒労感です。
正しい情報が得られない中、子供の安全を考えて暮らす事がこれほど大変だったとは・・・
私も、鬱になったのか?と思う程落ち込みました。
誰にも話せない事を、胸騒ぎ様がおっしゃって下さって
同じ思いをされた方が居た事に、安堵感を覚えました。ありがとうございます。
マドレーヌ様
>線量が非常に気になります。
小さなお子さんですもの、当然ですよね!
園の保護者の方々から要請して、線量を計って頂けたら良いですね。
本日のとくダネを見た感じでは、雨の後は気をつけた方が良さそうでした。
子供の学校では、今年の体育祭は中止になりました。
プールも工事中ということで、中止です。
梅雨に入りましたから、体育は体育館がメインになりそうで少し安心できます。 -
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【2151367】 投稿者: 胸騒ぎ (ID:8wcGljyP/Xs) 投稿日時:2011年 06月 02日 13:42
我が家は日常生活ではもう子供たちが大きく(中高生)親が言っても思い通りに行動してくれませんので、私ができる範囲のことしかしていません。家の中を調え、食事にできるだけ気を付けるくらいしか。
今回心配なのは、理系の夫が「やばいかもなあ、今回ばかりは」とつぶやいていることです。いまでたいていのことは夫が「だいじょうぶだよ」といえばほんとうに大丈夫で心強かったんですが。地震の時も。
でも原発ばかりは、やはり専門でないとはっきり断言できないらしく。
いつもは私の買い物(農薬をできるだけ避けたり少しでも鮮度の良いものを選んで遠くの店に行ったり複数の生協を利用すること)に「金ばかりかけて無駄だよ」と否定的なのですが、最近の買い物については一切文句をつけません。
子どもたちだけでも、直後避難させるべきだったと、今頃言っています。 -
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【2151375】 投稿者: 神奈川より (ID:U9dXiGglXro) 投稿日時:2011年 06月 02日 13:49
夫は原発事故の一報を聞いてすぐに私と子どもだけでも関西の実家へ避難するように言っていたのですが、子どもの学校の事(私立・とりあえずしばらく休校でその後の事は追って連絡という状態でした)、受験生である事がひっかかって私が決断できずにいました。
でも15日昼前のニュースで神奈川県の線量も平時の数倍に跳ね上がったと聞き、すぐに実家に電話をし緑の窓口へ走りました。
15日16時の切符を取ったのですが、夫から何度も「直ぐに行け」と電話が入ったので、バタバタと用意をし簡単に昼食を済ませ家を出ました。
大荷物に帽子マスクの母子は、ちょっと異様な姿だったかも。
西へ向かう新幹線満席で16時に乗る予定が15時に繰り上がっただけでしたが、ベビーカーを押す若いお母さん達が沢山乗っていました。
自宅に戻ってきたのは10日後、もう少し長く実家にいればよかったです。
常々反原発を唱えていた夫に神経質だな~と思った事もありましたが、
今となっては感謝です。
当日いきなり大荷物を持って転がり込んできた私達を笑顔で迎えてくれた両親にも感謝しています。
後で聞いてみると、同じように西へ避難した友達が数組いましたが、
それ以外の人にはこのバタバタの避難劇は話せません。
そうそう、震災直後からBBCのツイッターは日本のNHKよりよほど早く正確な情報を伝えてくれましたのでとても役に立ちました。 -
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【2151376】 投稿者: アンパンマン (ID:Y6Xs0Ms7i1c) 投稿日時:2011年 06月 02日 13:51
不思議ですね さま
それはもう、私のほうが主人に聞きたいことなのです。
海外の論文も権威のある雑誌のものかどうか、とか内容を疑ってかかるようなところがあるんです。 -
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【2151581】 投稿者: 首都圏 (ID:uRbfx4pItEg) 投稿日時:2011年 06月 02日 17:09
内科医師の主人は、首都圏は大丈夫といいます。
忙しい人たちは ネットも見ないし、危機感もないようで
夫婦での認識のズレに、ときどき口論になります。
首都圏ホットスポットの数字も、まったく問題にならないと言っています。
主人の意見が冷静なの?それとも鈍いだけ?
ま~普段から、無農薬野菜や電磁波対策に関心がある私をコバカにする、嫌~な人ですけどね。
ほかの医師夫はどういう考えでいらっしゃるのかお聞きしたいです。
(ちなみにウチのご近所医師(幼児あり)は、3月も普通に家族で外出されていました・・・) -
【2151589】 投稿者: 都内在住 (ID:.gSwt1WMze6) 投稿日時:2011年 06月 02日 17:19
私も子供を連れて15日に西日本へ移動しました。
神奈川よりさんが仰るように西への交通は大混雑で異常な状態でした。
まだ余震も頻繁にある頃でしたが公立小学校へ通う子供は防災ずきんをかぶって登校、
今になって考えてみればあの事態で学校が平常にあること自体がおかしかったと思います。
いつまでも避難していられませんので新学期に合わせて都内に戻りました。
避難できたことはよかったですが、
一番線量の多かった15日は一日学校でしたし下校後は風に吹かれて最寄の駅に向かい電車に乗りました。
とてもよい日和で気持ちのよい風が吹いていたと記憶しています。
あの風が既に高濃度に汚染されていたとは・・・