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【3164463】天皇は必要なのか?

投稿者: こんこん   (ID:mAiqA6RJ562) 投稿日時:2013年 11月 03日 01:26

天皇の存在意義について、果たして日本国民はどれだけ認識しているでしょうか。どれだけの国民がしっかりと天皇の重要性について語れるでしょう。

こんな問を発することさえ愚問扱いされそうな我日本国の空気、何故でしょう。

どなたか天皇の存在意義について語って下さい。もちろん反天皇論もこの際いいじゃありませんか。臆することなく、語っちゃいましょう。

私の意見?うーん…(;´д`) 答えは、分からない、です。
ズルイって? だからここでの議論で自分なりの答えを見つけられればと思っておるのですよ (^_^;)

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  1. 【3184323】 投稿者: ぶたまん  (ID:IvX15SHkMxc) 投稿日時:2013年 11月 22日 17:57

    象徴天皇制の下では天皇は「統治者」(governor)ではなく、中世・近世と同様に「統治者の正統化担当者」(legitimater of governor)です。
    象徴天皇制の最大の受益者は統治者ですが、国民がその恩恵を受けることもあります。

    以下は、ジャーナリストの田原総一朗氏の著作の引用です。



    だが、宮内庁、そして天皇の役割、意味は、宮内庁自身、そして宮内庁詰めの記者たちよりも他省庁、それも最高権力、つまり総理大臣に近くなるほど累乗的に大きく重くなるようだ。
    次期総理を狙うニューリーダーの一人が、「天皇の外交力は大使百人分。みごとにその機能を果たしている」といい、「そのためにも、じつは宮内庁がやる気のないダメ官庁でいることが必要」なのだと漏らしたことがある。
    「下手に宮内庁が目覚めてやる気を出したら、せっかくの天皇の抜群の政治的効力、機能がだいなしになってしまいます」
    おそらく数年内には総理大臣になるはずの実力政治家は、冗談ではなく大まじめにいったのだ。
    天皇の抜群の政治的効力、機能……。
    もちろん、日本国憲法には、第一条で天皇が日本国の“象徴”であることを謳い、第四条で「国政に関する機能を有しない」と規定している。
    だが、そのことをいうと、実力政治家は含み笑いをしながら、「象徴天皇と憲法九条のこれほど政治的で効果的な使い方は他に例がないのではないか」と語った。
    “憲法九条”はともかく、確かに戦後日本の軌跡をたどると、要所要所に必ず天皇が登場して、じつに効果的な、政治的な役割を果たしている。
            (中略)
    それにしても、国賓に対する天皇の会見、交歓というのは、完全に筋書きが決まっていて政治や経済などの具体的な話題は一切出ないはずである。もちろん皇太子夫妻が外国を訪問したときにも、懸案事項を話し合うなんてことはないはずだ。
    それが、どうして“大使百人分”にもあたる政治的効力を発揮し得るのか。
    「政治問題、経済問題などの生なましい話題が一切出ない……。だからいいのですよ。生なましい話題は首相や担当大臣などとカンカンガクガクやる。ところが天皇の接待、交歓は、そういう話題一切抜きで、ひたすら丁寧に、心から歓待される。だから誰もが非常に和やかな感じを持って帰国する」
    そして彼(注:天皇および天皇家の、戦後の政治的役割、行動を調べているジャーナリスト)は「“政治”をタナ上げすることによって、逆に、きわめて政治的効力を生む」のだと解説した。
    そういえば、サウジアラビアのファイサル国王が国賓として日本を訪れたとき、まだオイルショック以前だったので、首相や担当大臣はすげなく扱い、国王は不快な思いをしたそうだ。が、天皇家の接待、交歓が、それこそ打算、思惑抜きで誠意に満ちたものだったので、不快をいやしただけでなく、日本という国に大いに好感を抱いて帰国し、オイルショックで日本が困ったときには「あのエンペラーの国なら」と、特別の配慮を命じたということである。
    まさに、政治的思惑、打算をタナ上げすることによってきわだった政治的効力を発揮したわけだ。だが天皇の非政治的であるがゆえの抜群の政治的効力があきらかになれば、当然積極的にそれを利用しようとする思惑が働く。
    (田原総一朗『新・日本の官僚』文春文庫、1988年、p.405-409)



    田原氏のように皇室の政治利用を警戒するのか、あるいは、天皇制の廃止によって効果的な外交手段を失ってしまうのは惜しいと考えるのか、人それぞれでしょう。

  2. 【3184350】 投稿者: SSJ  (ID:poBUArf/hFU) 投稿日時:2013年 11月 22日 18:32

    >生なましい話題は首相や担当大臣などとカンカンガクガクやる。ところが天皇の接待、交歓は、そういう話題一切抜きで、ひたすら丁寧に、心から歓待される。
    >まだオイルショック以前だったので、首相や担当大臣はすげなく扱い、国王は不快な思いをしたそうだ。が、天皇家の接待、交歓が、それこそ打算、思惑抜きで誠意に満ちたものだったので、不快をいやしただけでなく、日本という国に大いに好感を抱いて帰国し、


    つまり、天皇は着ぐるみを着ていない「ゆるきゃラ」なのですね。

  3. 【3184355】 投稿者: ああ  (ID:ZwKtJGR6PQI) 投稿日時:2013年 11月 22日 18:36

    大概の本土人なら、遡れば天皇家と関係してませんか(源氏、平氏とか)。まあ、アイヌ人、渡来人、縄文人の血も入ってますけど。
    そう思えば単なる”本家筋の人”って事で親近感も湧くんじゃないかな。
    沖縄とかアイヌ系の人は複雑かもしれないけど。

  4. 【3184361】 投稿者: ぶたまん  (ID:IvX15SHkMxc) 投稿日時:2013年 11月 22日 18:42

    ちなみに前掲書の結論は、次のように書かれています。



    たしかに、宮内庁の官僚たちが、なまじヤル気を起こし、宮内庁の主体性などを主張し始めたら、"大使百人分"の切り札を自在に使えなくなってしまうだろう。もし、「"象徴"なんて曖昧な存在ではなく、"元首"にせよ」などどいう運動を起こされて、それが実現したりでもしたら、せっかくの"非政治的政治効力"が台なしになってしまう。
    その意味では、それこそ「宮内庁が、覇気、ヤル気のない官庁であることが必要」なのだ。
    だが、"非政治的"であるがゆえに、抜群の"政治的効力"を発揮し得、それが政治的に自在に使えるということは、考えてみれば、それはまた、きわめて危険なことでもある。
    (田原総一朗『新・日本の官僚』文春文庫、1988年、p.411)

  5. 【3184423】 投稿者: 迷惑ですな  (ID:VsIaIlpApt.) 投稿日時:2013年 11月 22日 19:36

    >大概の本土人なら、遡れば天皇家と関係してませんか

    仮にそうなら迷惑千万な話ですな。
    遠い親戚やなんてオゾマシイw
    血液を全部入れ替えたいわ~

  6. 【3184621】 投稿者: こんこん  (ID:mAiqA6RJ562) 投稿日時:2013年 11月 22日 22:15

    ぶたまんさん

    >そ「宮内庁が、覇気、ヤル気のない官庁であることが必要」なのだ。
    だが、"非政治的"であるがゆえに、抜群の"政治的効力"を発揮し得、それが政治的に自在に使えるということは、考えてみれば、それはまた、きわめて危険なことでもある。

    小林よしのりの「天皇論」にも天皇は実際的に元首であり、それは国際常識だ、なぞと臆面もなく描いてありましたが、それが事実ならばそれこそ日本国民を愚弄するものでありましょう (○`ε´○)

    まあ、小学館からの出版では、天皇\(^^@)/、天皇礼賛の徹底的な肯定論しか書けないのは分かりますが、それにしても「元首」などとは、あまりにも日本国民を馬鹿にした話で、途中で読むのもアホらしくなった次第でございますが、一つ面白いエピソードが描かれてありました (=^▽^=)

    それは昭和天皇の侍従を務めた入江相政氏に纏わる話ですが、氏は16年間侍従長を務めその間連綿と日記を綴っていて、そこには、氏が侍従長であるにもかかわらず、全く天皇の祭祀を重要視していなかったこと、それどころか祭祀に出なくてすむと「こんな嬉しいことはない」と記し、祭祀に熱心な女官を「魔女」呼ばわりして祭祀を毛嫌いしたことが書かれていて、実際、天皇の高齢を理由に祭祀の簡略化に着手していたという事です。(゚o゚;

    おそらく氏はクリスチャンであり、氏がいなくなった後、現在もその気風を引き継ぐようにほとんどの宮内庁職員は天皇の祭祀を軽視しているのではないかと推察されます(~ω~;)))

    実際天皇の祭祀は天皇の私的行事でプライベートな儀式であるとされていますから、それも宮内庁職員が熱心になれない原因の一つでしょうが、何よりも、文化思想的に相容れないクリスチャン職員が他省庁から送られ、いつの間にか宮内庁職員の半数以上を占めている事が一番の原因ではないかと思います。( >Д<;)

    つまり万世一系という歴史的文化遺産を背景に価値付けられている天皇の真髄がまさに内側から蝕まれている事態が進行しつつあるということです ((((;゚Д゚))))

    ですから、天皇の百人力外交力が果たして天皇の本分であるのか否か、実質的元首として良いのかどうか、それに頼り、利用し、そこにスポットを当ててる間に、天皇が天皇である所以の「祭祀を司る天皇」が軽侮されていっていいのか、という事を考えなければなりません (@^▽^@)

    三島由紀夫もこう言ってますよね (*´∀`*)

    「天皇というのは、国家のエゴイズム、国民のエゴイズムというものの、一番反極のところにあるべきだ。そういう意味で、天皇は尊いんだから、天皇が自由を縛られてもしかたがない。その根元にあるのは、とにかく“お祭”だ、ということです。天皇がなすべきことは、お祭、お祭、お祭、お祭、― それだけだ。これがぼくの天皇論の概略です」と\(~o~)/

    しかし昭和天皇には失望されていて、「本当は腹を切る前に宮中で天皇を[削除しました]が、宮中に入れないので自衛隊にした」と語っていたとも。(/ω\*)

  7. 【3184709】 投稿者: ぶたまん  (ID:IvX15SHkMxc) 投稿日時:2013年 11月 22日 23:45

    >天皇は尊いんだから、天皇が自由を縛られてもしかたがない。

    これには反対です。皇室の人間に対しても、可能な限り自由権を認めるべきです。
    その中には思想・信教の自由も含まれます。
    この点については、私はSSJさんと同意見です。

  8. 【3184759】 投稿者: 二俣川  (ID:pVMKVQj4iOo) 投稿日時:2013年 11月 23日 01:12

    >つまり、国体維持に拘る当時の日本政府は、「主権を有する国民の意思」を「国民至高ノ総意」と変換してぼやかそうとしましたが、GHQに認められず「主権を有する」の文言は復活したけれど、かろうじて「日本国民の総意に基き」と「総意」の二文字を残せたという経緯を辿っています。決して一蹴されているわけではありません。(#^.^#)

    しっかりご覧になって頂きたい。前述私の「一蹴された」との発言は、
    1945年7月26日にあったポツダム宣言に関わる日帝政府の8月10日御前会議における留保付受諾と
    それに対する連合国を代表した米国の同月11日付回答(13日朝到達)とを指して述べたものである。
    新憲法制定を巡るGHQとのやり取りを述べたものではない。

    なお、前述米国からの一蹴された回答を受け、8月14日の御前会議における昭和天皇の決断によって、
    ポツダム宣言受諾が連合国に通告された。

    しかし、同日発せられた終戦の詔勅に「朕ハ玆二国体ヲ護持シ得テ・・・」とあるように、
    ここに来てなお日帝支配層が天皇制の存続が可能であると希望的に判断していたことがうかがわれる。
    国民全体の存亡がかかっていた瀬戸際であってさえ、なお「国体の護持」が唯一絶対の条件として
    考えられていたことに、天皇制の維持=旧支配層の生き残りにかける悪あがきと国民不在ぶりとを
    痛感する。

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