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【6603428】ザ・川柳

投稿者: お邪マゾ奴隷美   (ID:yxNOcSR11tM) 投稿日時:2021年 12月 29日 13:45

川柳スレッドです。

気軽に、いわゆる典型的な、政治や日常の鬱憤や、不満や、哀愁を詠んだ「ザ・川柳」を書き込んで下さい。

わざわざ解説がないと分からない様なものはココでは川柳と言いません。

よろしくね!

政治
「安倍マスク 安倍も一緒に 廃棄して」

スポーツ
「パーフェクト 冬至の季節に 結弦(ゆず)が舞う」

シルバーネタやサラ川も是非聞きたいですね。

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  1. 【7434444】 投稿者: うん  (ID:nXzubqYvmJ2) 投稿日時:2024年 03月 24日 12:28

    文句言う 上を向いて 唾を吐く

    結局、文句を言ってるだけだと「選んだの、自分たちだろ?」って返ってくるだけですよね。「変える」アクションを起こさねば

  2. 【7434475】 投稿者: ふゆ  (ID:ft7eRt9V27g) 投稿日時:2024年 03月 24日 13:27

    人ならば 「変える」は無理と 「変わる」まで

    必要のある人ほど、他人が「変える」ことは難しい。
    うんさんは素敵な人ですね。あなたは「変わる」必要はないお方のように拝見いたしました。自民党も大した痛手を負ったものです。

  3. 【7435578】 投稿者: うん  (ID:lVhEitJHI0I) 投稿日時:2024年 03月 26日 01:58

    普遍こそ 変わるものだと 悟りけり

    いえいえ。
    勿体無いお言葉です。私は愚人故に変わらないのです。

    過去と他人は変わらない。ですが、過去と他人を私たちがどう捉えるかは常に変わるし、変わっていくべきです。

    変えられるものと変えられないもの、それは実は同義なのではないか?

    普遍的なものであると考えられてきたものでも、実際には時間をかけて変化をしているものです。それが見えていないだけなのかも知れません。

    それをを悟ることこそが普遍なのではないでしょうか?

    普遍性や永遠性があると考えられてきたものでさえ、時間の経過や状況の変化によって変容する事がある。

    人々はしばしば、不幸や困難な状況、生まれ持ったものや環境は、永遠に変わらないと考えがちですが、その考え方を問い直し、変化が普遍の真理であることを悟ることこそが、重要なのではないでしょうか?

  4. 【7435606】 投稿者: ふゆ  (ID:ft7eRt9V27g) 投稿日時:2024年 03月 26日 05:53

    「路傍」をば いかに捉える? ソクラテス

    こちらで、このような金言を頂けるとは。冗談でなく、涙が出ました。
    変われないのは私で、周囲が変わることばかりを願ってきたのです。
    うん様、この出会いに感謝します。

  5. 【7435957】 投稿者: うん  (ID:c5sxepCZ5vg) 投稿日時:2024年 03月 26日 15:50

    向かい合う 鏡の中の 深世界

    そんなそんな。
    恐縮過ぎて申し訳ない気持ちです。

    会話は合わせ鏡。相手の話す言葉はとどのつまり貴方の話した事から生まれた副産物で、貴方自身の発言でもあるのです。
    そして合わせ鏡に映る無限世界の様に無限の彼方にも広がっていく。

    他方、つまらない話をするならば、合わせ鏡に映る世界は無限ではありません。ミクロレベルでの「完全平行」が理論上存在しない故にそのナノレベルのズレにより必ず壁に当たって無限が途切れるからです。

    同じ合わせ鏡を見ても、無限を感じることも、無限の限界を感じる事もできる。

    ソクラテスは「不知の自覚」で自分が賢く無いと自覚しているのに、「デルフォイの神託」で「ソクラテスより知恵のある者は誰もいない」言われてしまったので「神は、一体何をおっしゃっているのだろう。何の謎かけをしておられるのだろう。」(プラトン『ソクラテスの弁明』)と、疑問に思っていた。なので実証の為に賢いと言われる人に片っ端から問答を仕掛け、議論を通じて真理を探求しようとしたのです。

    彼が日常生活の中であらゆる事象、物事を捉え、問い、探究をしていたでしょう。

    きっと路傍の石ですら。「路傍」という言葉は、文字通りには「道端」や「道路のそば」を意味しますが、日常生活の中で偶然に出会う出来事や人々、または人生の道程もまた「路傍」と考える事もできます。単に物理的な物や事象、場所であっても、その存在、名称は「それ」自体を指し示すだけではなく、深い真理や深淵への道標なのかも知れない。

    「路傍」も我々に人生や知識、真理を見つけるための探求の道のりを示唆してくれているかもしれないのです。

    ソクラテスの探求の姿勢に倣い、日常の出来事や状況に対して深い洞察を持ち、それらから学び、成長する事の重要性。ものに溢れ、その豊かさ故に失い、見えず、迷いと閉塞感で充満した現代のわたしたち。

    路傍と言う貴方さまのワードから、まず無思考に山本有三『路傍の石』が浮かんだ私。単純過ぎて自分が可愛くなります 笑

    「たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか。」

    と言う有名な名言が知られていますよね。
    私は輪廻も転生も、そして死後誰かの記憶の中で生き残る「自分の記憶」の連続性も信じている人なので、この言葉がピンと来ていません。と言うより名言と思わない。

    私が名言と思うのは

    「若い時に、にがい水飲まなかったやつは、ひだちが悪いよ。おれは「苦労」を、おれの「先生」だと思っているんだ」

    こちらですね。
    人生に不可避な辛い事、困難な場面、その辛さを安易に回避や逃避するので無く、ただ無思考に耐えるでも無く、むしろ受け入れ、克服することの重要性、そしてその中には、人生の成長や深化があるという発想、着眼のチェンジで、困難に別の意味を与えると言う深いメッセージ。

    この言葉、とんと忘れておりました。
    今、困難でも何もなく、日々ダラダラ生きていられると言う愚鈍な日々に惓んでいながら何もできないと言う、緩やかな堕落の中におりました。

    このままでは日だちが悪いですよね。

    「うん」
    ありがとうございます。
    貴方さまとの出会いに感謝。

  6. 【7436399】 投稿者: ふゆ  (ID:ft7eRt9V27g) 投稿日時:2024年 03月 27日 04:46

    雄弁が銀とは納得いかぬなり

    こちらが大変な刺激を受けております。雄弁なうん様、嬉し楽しで読ませていただきました。

    私も『路傍の石』を念頭に。私の記憶の中で一番最初に感動した映画が『路傍の石』で、これは小学校の図工室で観たもので、有志の先生が映写会をされたのではないかと思います。白黒でした。先生は吾一を演じた片山明彦さんのファンだったのでしょうか、同時に『風の又三郎』も観ました。その後観た映画はしばらく記憶に残っておりませんので、いま思うと、私は片山明彦さんに初恋したのではないかと思います(笑)。

    ソクラテスは「哲学者になりたいなら悪妻を持て」と言ったらしいですが、そういう観点で言うと、私は主人に感謝しなくてはならないのでしょう。結婚後もいろいろと哲学書を手に取らせていただきました(怒)。

    うん様のように高尚になれずお恥かしいのですが、うん様が無限の限界を感じられませんようにと願っております。

  7. 【7436744】 投稿者: うん  (ID:Lv0yQXCr0nA) 投稿日時:2024年 03月 27日 15:44

    金銀も 価値を決めるは 人の欲

    「沈黙は金」この言葉はイギリスの評論家、トーマス・カーライルの『衣服哲学』の中の「Speech is silver, silence is golden」の言葉ですよね。「雄弁は銀、沈黙は金」と。

    「雄弁より沈黙のほうが価値がある」という意味として使われており、聖書でこの言葉を示すエピソード、「ダビデの沈黙」も有名ですよね。ダビデは雄弁で名が知れていたにも関わらず、神の御前では沈黙でいたと。「救いは神からのみ与えられるものである」という信念から、神の前では沈黙で立ちつくしていたとされます。
    が、今やこの格言は通用するでしょうか?
    沈黙して主義主張、意見を発信しなければ、居ないと同じ扱いを受けるのみならず、場合によっては「無能」と烙印を押される事でしょう。

    ところが、歴史を紐解けば、銀の価値が金を上回っていた時期がかなり長くありました。紀元前1000年から紀元後1500年の2500年間もの長い間、銀の価値が金より高かったのです。
    古代エジプトの頃は銀は金の2.5倍ほどの価値であったとされている程の差でした。

    では、トーマス・カーライルの時代は?
    実は中世、17世紀頃までも、まだ銀の方が価値が高く、当時盛んに行われていた貿易でも、銀がメインで用いられる、金本位ならぬ銀本位だったのです。

    金が決定的に銀より高価値になるのは、日本で言えば1880年末ころ、明治以降、銀の生産量が世界的に大幅増加し、銀の価値が急激に下落した事によります。

    トーマス・カーライルが件の書籍を上梓した1830年頃はまだ銀の価値が高かった、つまり沈黙は雄弁を上回ると言う意味でなく、全く逆、雄弁が沈黙に勝ると言う意味で使われたと言う見解があります。

    つまりは、時代によって、この金言の意味も全く変わって来るという事。

    実際に当時は、議論がうまくできないと仕事ができないとされていた時代で、当時の価値観では「雄弁であるほうが、沈黙より価値がある」とされていたと思われます。

    ところが、次第に銀より金の価値が高くなったことから、「沈黙」のほうがより価値があるという意味合いで使われるようになり、聖書のダビデの沈黙のエピソードも相まって、慎ましい事の価値と言う様な言葉として広まったのです。

    結局金だ、銀だに価値を見出すのは人間だけで、動物も植物もそんなものには見向きもしません。
    その価値もとどのつまりは人間の欲の具現化でしかないのです。

    沈黙も雄弁も。
    金や銀などに置き換えなくとも、その時々で価値があり、どちらが上かなどと優劣を付ける必要はないのかも知れませんね。

    要はそれらをどう場合に合わせて当意即妙に使い分けるか?その柔軟性こそが時代を超えて価値があるものなのではないでしょうか。

  8. 【7436785】 投稿者: うん  (ID:2ct6i2wARHc) 投稿日時:2024年 03月 27日 16:59

    ところで私は30代ですので、路傍の石の映画や片山明彦さんを存じ上げませんでした。
    ネットで検索すると、片山明彦さんは今見ても、お美しい顔立ちでびっくりしました。10年前までご存命だったのですね。

    そして哲学書を手に取ることが結婚生活の一部となったというエピソード、側で伺う分にはなんかほっこりします 笑
    ソクラテスを地で行くふゆさんは、ソクラテス哲学の体現者ですね!
    当事者のふゆさまに取ってはそんな甘いもんじゃない!とおっしゃられるのかも知れませんが。

    私は全く高尚ではなく、俗物そのものです。文字だけではアラが見えないですからね。
    ただふゆさんの様な、私にはない知性を持たれた皆さんと対話を通じて学び合い、成長していくことを願っています。これからもよろしくお願いします。

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