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投稿者: 日本人 (ID:jhoqpDQtI7U) 投稿日時:2024年 08月 10日 11:55
南海トラフ巨大地震、首都直下地震、富士山噴火
いざという時に国内のどのエリアに避難すれば身の安全を確保出来るのかを皆さまと情報共有したいです
私は関東民で長野方面が良いと思うのですが、地理関係など詳しい方がいらしたらアドバイス頂きたいです
またそれぞれのエリアからの情報もお待ちしております
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【7522323】 投稿者: まあ (ID:6qvPDJ63Y8M) 投稿日時:2024年 08月 19日 14:02
あまり言われないが、つくば・土浦のセットもTXの延伸で目がある感じもする。
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【7522325】 投稿者: 私も (ID:S3UTYAWYfcA) 投稿日時:2024年 08月 19日 14:08
岡山推しのゴリ推し加減には辟易ですが、手前味噌と言う安易な論調も承服しかねます。
もう少し広い視野で見てみると、岡山を推す動きが単なる「手前味噌」や「空気を読まない」行動に留まるものではないことが見えてくると思います。
まず、2011年の「国会等移転審議会」が提示した候補地リストに岡山が含まれていないことを根拠に、岡山の動きを否定するのは少し時代遅れの視点かもしれません。当時の候補地選定は、地理的条件や災害リスクなどを基にしたものですが、それから十年以上が経過し、時代も状況も変わっています。特に最近の気候変動や災害リスクの再評価が進む中で、今一度、岡山のような地域が再注目されるのは必然とも言えます。
岡山推しの背景には、地盤の安定性や災害リスクの低さ、交通アクセスの良さなどが挙げられますが、これらは他の候補地と比べても決して劣るものではありません。特に、地理的に「日本のへそ」に位置するという点は、首都機能を分散する際の全国的なバランスを考える上で無視できない要素です。
さらに、地方からの自発的な動きや提案は、中央の決定を待つだけでなく、自らの地域に対する積極的な姿勢を示す重要な要素です。岡山県や吉備中央町が行っている「首都岡山」推進活動は、単なるローカルな利己的運動ではなく、地方創生や地域の自立を目指す一環とも捉えることができます。こうした活動が全国的な議論を喚起し、新たな視点を提供する可能性は否定できません。
確かに「首都移転」と「首都機能移転」「首都機能分散」はそれぞれ異なる概念ですが、議論が混在するのはこうした問題の複雑さゆえです。岡山推しの人々が「首都移転」という言葉を使う背景には、首都機能の一部を移転するだけでも大きな意味があるという考え方があるのでしょう。
最終的に、現段階では岡山が中央から特別に支持されているわけではないかもしれませんが、それでも地方からの声を無視することはできません。首都機能移転や分散に関する議論は、これからも継続的に行われ、時代や状況に応じた再評価が必要です。その中で、岡山のような地域が再び候補に浮上する可能性も十分にあるでしょう。
現実、一部富裕層が災害避難の不動産を岡山に所有しているのも事実です。 -
【7522328】 投稿者: まあ (ID:raJeTQaArRc) 投稿日時:2024年 08月 19日 14:11
チリも立法府を他の都市に置くんだよな。チリや南アフリカは圧政があったことからの反映かもしれないが。
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【7522332】 投稿者: 話にならない (ID:FvjDD6l7wAw) 投稿日時:2024年 08月 19日 14:13
岡山県出身です。
岡山が首都なんておこがましいです。
絶対に止めた方が良いです。
岡山はよそ者に冷たく排他的な土地柄です。
(唯一の例外として、よそ者でも大学生に対してだけは昔から寛大であったようです。)
そんな岡山が嫌いで嫌いで、私は高校卒業とともに東京へ出ました。
どうして岡山がこれほどよそ者に冷たく排他的となった理由は、昔から災害が少なく豊かなお国柄なので助け合いの精神が芽生えにくかったからだと言われてます。
古代から土地も豊かで作物がふんだんに育ち、労せずに楽々と生きていけたのでしょう。
年寄りは特に最悪で意地悪婆さん、意地悪爺さんが多いです。
意固地な婆さん、爺さんは東大の次は岡大だと思い込んでいます。
岡大崇拝ですね。
実際、女子は自宅を出て下宿することを許さない家が多かったので、そんな女子は東大レベルの子でも平気で自宅から通える岡大へ進学していきました。
もったいない話です。
岡山を離れて相当な年月が経ちますが、まあ今でもこの岡山気質は全く変わっていないと思いますよ。 -
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【7522333】 投稿者: ですね (ID:XPfhwv1QVIQ) 投稿日時:2024年 08月 19日 14:13
チリや南アフリカが首都機能を分散させた背景には、歴史的な文脈や地理的な要因が深く関わっています。
チリの場合、立法府が首都サンティアゴではなくバルパライソに置かれているのは、過去の圧政の影響も一因かもしれませんが、それだけではなく、地理的なバランスや、地方の重要性を高める意図も含まれていると考えられます。
一方、南アフリカは三つの首都(行政首都のプレトリア、立法首都のケープタウン、司法首都のブルームフォンテーン)を持つ独特の形態をとっていますが、これは、国内の多様な地域や人々の意見を反映させるための妥協の産物でもあります。アパルトヘイト時代の歴史を反映し、異なる地域に政治的な重みを分散させることで、中央集権的な統治への警戒心を表しています。
これらの事例は、首都機能の分散が単に行政効率の問題だけではなく、国の多様性や歴史、地域間のバランスを考慮した結果であることを示しています。日本でも、首都機能分散や移転に関する議論は、単に地理的条件や災害リスクだけでなく、国全体の均衡や歴史的背景をも視野に入れて進められるべきだと言えるでしょう。これにより、中央集権から脱却し、地域がより自立し、多様な意見が反映される社会の実現が目指されるべきです。 -
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【7522341】 投稿者: まあまあ (ID:KbMD23luoKU) 投稿日時:2024年 08月 19日 14:20
まあ、分かりますよ。
私も、誰がそんなゴリ推ししてるの?と思いますが、地元民まで否定してしまったらちょっと可哀想です 笑
地元民故の岡山に対する否定的な感情も理解できますが、少し俯瞰的に見れば、地域の特性や歴史的背景が異なる観点から解釈されることもありますよ。
まず、よそ者に対する排他的な態度が、岡山独特のものとして批判されがちですが、これは他の地域でも見られる現象です。地域性や歴史的背景からくる閉鎖的な風土は、日本の多くの地方で共通している問題でもあります。したがって、岡山が特に冷たいと断定するのは、多少バイアスがかかっている可能性もあります。
また、岡山大学に対する地元の強い支持も、他の地域の大学に対する地元愛と同様のものと捉えられます。地方にとって、地域の大学は誇りであり、地元の優秀な学生を留める手段でもあります。これを「意固地」と評価するのは少し厳しいかもしれません。
総じて、岡山が冷たく排他的であるという評価は、個人的な経験や特定の側面に基づいているかもしれませんが、すべての人が同じように感じるわけではないでしょう。他の地域でも同様の問題が見られることを考慮に入れ、少し冷静に地域性を再評価する余地があるのではないでしょうか? -
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【7522345】 投稿者: ブラック霞が関 (ID:raJeTQaArRc) 投稿日時:2024年 08月 19日 14:24
日本の場合、人口が多くて陳情も多いから官僚の国会対応が大変なんだろうけど、霞が関と永田町が物理的に近すぎるのも却って良くないのかも。
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【7522347】 投稿者: ですね (ID:KbMD23luoKU) 投稿日時:2024年 08月 19日 14:28
霞が関と永田町が近すぎることが、実は官僚たちの負担を増やしているという考え方、確かに一理あると思います。距離が近いからこそ、何かとすぐに呼び出されて対応に追われてしまう。これは、物理的な距離がほとんどないことで起こる弊害かもしれません。
もし省庁が少し離れた場所にあったら、官僚たちは国会対応に追われる時間が減り、もっと落ち着いて仕事ができるかもしれません。結果として、政策の質が向上する可能性もあります。距離があることで、やり取りが一つ一つもう少し計画的になるのかもしれませんよね。
また、霞が関と永田町が近いことで、中央集権的な政治運営がさらに強まっている可能性も考えられます。物理的な距離があれば、もっと地方の声を反映させやすくなるかもしれません。官僚たちが地方に分散すれば、地域の視点を持った政策づくりが進むというメリットもあるでしょう。
結果、霞が関と永田町の距離が近いことが便利な面もありますが、逆にそのせいで無駄な負担が増えている可能性もあるということですね。確かに物理的な距離が少しあれば、それが逆に効率化につながるかもしれません。