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投稿者: どう? (ID:BZb29MLw.3M) 投稿日時:2009年 02月 10日 12:20
受験を終えてみて、進学先が志望校ではなかったみなさん。
心の整理はどのようにつけましたか?
私はまだまだ闇の底にいて、はい上がることができないままです。
子供の前では明るく進学校の話をして盛り上げているのですが、
子供が小学校に行き一人になると、こない繰上げを待ってみたり、過ぎたことをうじうじ後悔してみたり・・・。
みんなはどうしてるのかなぁ。
この気持ち、どうやって乗り越えているんだろう。
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【1182463】 投稿者: そりゃ、時間かかりますよ。 (ID:27khsQ2Efxo) 投稿日時:2009年 02月 11日 09:40
スレ主さまへ
一ヶ月かそこらではとてもじゃないけど心の整理なんてできませんよ。
ずっと引きずっている人もたくさんいます。
忘れたと思っていても、ふとしたはずみに思い出してまた暗くなったり…
心の折り合いの付け方とか、忘却の速度とか、人によって違うんですから、
この先も、わたしはまだ…なんて思わないでくださいね。 -
【1182504】 投稿者: 2001年入試です。Nバッグですが8年間ひきずりました (ID:1PBHPNBKCMM) 投稿日時:2009年 02月 11日 10:17
女子、N在籍中は常に最上位クラス、テストも表紙に載ることもあり、
安心してましたが、秋頃から不調になりましたが、強気の受験でした。
結果、6連敗。全落ちです。親も子も呆然、唖然。言葉を無くしてる
暇もなく公立中の制服採寸や支度、中学入試の膨大なテキストや参考
書のあと始末。高校入試でのリベンジを言葉に出すが娘は全く勉強せ
ず、成績は上位を保つも学習態度悪く内申は絶望。神奈川は当時内申
がすべての県立入試、娘の尻に火がついたのは、担任に知らされた、
思いもよらぬ県立高校への勧め。中3の夏休みから頑張り、オープン
入試(内申関係なし)の私学で連戦連勝。納得の結果大学付属高校に
進学しました。しかし、これで大学へ遊んでもいけると、気を抜いた
娘は、また全く勉強せず、卒業時に付属大学の推薦がもらえず留年
を勧められるも、そのまま高卒。付属校なので、就職斡旋はなし。
放り出されました。その娘も今年成人式。なんとか自分で職をみつけ
働いています。仕事はできるほうで、抜擢人事どと聞いています。
親としては、ある意味自立してくれたので、漸く心が落ち着きました。
長い8年間でした。子供は子供なりに道をみつけるものですね。親の
関与は不毛でした。小1から勉強してもこんなケースも。
さて、6歳離れた長男は、5年生秋から遅く入塾しましたが、親は
勉強に口出しせず、マネージメントに徹しました。娘は偏差値60
からのスタートでしたが、息子は偏差値30からのスタート。
逆に6年秋から絶好調に、娘には及ばない偏差値でしたが、偏差値
60半ばの難関と呼ばれる男子校へ無事に合格。今年中3ですが、
文武両道で好調です。ですが、息子には希望は持ってますが期待は
していません。子供の人生は、親の持ち物ではないと最近分るよう
になりました。
そっと、暖かく見守ろうと思います。 -
【1182529】 投稿者: いい言葉を、有り難う。 (ID:jsSsQmXaBAc) 投稿日時:2009年 02月 11日 10:39
>>努力する習慣は捨てないようにすること。
どんな国でも、努力と勤勉は尊敬の対象になる。
運をコントロールすることは難しい。
人間が出来るのは、あきらめず、挑戦と努力を重ねることだけだ。
この言葉、忘れずにいたいと思います。 -
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【1182548】 投稿者: 希望 (ID:ffSV7e2vqbA) 投稿日時:2009年 02月 11日 10:54
一番つらいのは、子どもが一生懸命に頑張ったのに
その努力が報われなかったこと。
うちは第1志望も第2志望も振り向いてもらえなかった。
何回も挑戦したのに、玉砕でした。
学校の名前にこだわっているのではありません。
御三家狙いでもなかったので。
ただ、中高の多感な6年間をこの学校で過ごしてもらいたい、
そんな学校を目指していました。
先生と友だちとの新しい出会いを楽しみにしていた。
将来東大に入るとか、大物になるとか、そんなたいそうな
ことは考えていませんでした。
でも、人間万事塞翁が馬、これから通う学校でも
新しい出会いがあり、楽しいことがきっとある。
希望を忘れないで、子どもを見守っていきたいです。 -
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【1182551】 投稿者: 淡々とゆくしか (ID:qphGQ/NIG3A) 投稿日時:2009年 02月 11日 10:57
私自身、随分前ですが県立トップの高校入試に失敗し、第2志望の私立校にやむなく入学しました。
トップ校が偏差値70程度とすれば、母校は35-40というもので学力面では全く比較にならず、随分落ち込んだものです。
学力どころかスポーツでも負けているところが憎たらしい。
丁度入試改革の年で、県立からあぶれた受験生の数も増えた年でした。
田舎ゆえ、選択肢の幅が狭く、県立に拘るならば中学浪人しかありません。
入学式からして列席の父兄が涙を浮かべている。
校長も「不本意入学でも3年後を目指して今日からがんばろう」などと言う。
クラスの仲間も暗いハナシばかりしている。
カラ元気だして東大を目指すなどという輩も居る。
そんな状況が暫く続きました。
私は夏ごろまでには気分も切り替わり、大学の目標校もおぼろげながら決めていたように思います。
それでもその県立トップ高での楽しそうな各種行事、毎年の立派な進学実績を横目で見るにつけみじめな思いをしたものです。
客観的に見ればなにもみじめなことはないのでしょうが。
今でもこうして覚えているくらいですから余程当時は悔しかったのでしょう。
ですから「皆さんやがて忘れるからがんばって!」とは言えない。
ただ、少なくとも今こうして冷静に思い返すことができるということは確かで、それは時の流れがそうさせたのか、以後まずまず平穏な生活を営んでこられたからか理由は定かではありません。 -
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【1182564】 投稿者: 分からない (ID:Lbst.dvByMs) 投稿日時:2009年 02月 11日 11:08
なぜでしょうか?同じような偏差値、過去問でも合格者平均以上とれている、
実力相応、うちは受けてもダメ、他の子は受かる。2日目偏差値を少し下げ受験結果うちはダメ、うちより下の偏差値の子は受かる。この学校に受かりたい気持ち、当然持っています。何かが悪いんでしょうね、本人にしか分からない何かが
あるのでしょうね。合格した人にはわからない感情だと思います。
上の子はしっかり第一、第2志望に合格しています、しかも両方自分のもち偏差値より3ほど上の学校です。
全く分かりません。受験は水ものとしか言いようがありません、それか、神様が与えた試練なのかもしれません。
不合格という大切な贈り物様の
>これらを読んでいると、いろいろな意味で多くを得ているのは
>不合格となり辛い思いをした人なのではないかとも思えてなりません。
>人間的な深みといったものはどうも、合格づくしの独り占めの人達でなく
>不合格の人達のために用意されていた贈り物のように思えさえするのです。
・・・こういう考えができるようになりました。
すんなり合格していたら、一生かけても理解できなかったと思います。 -
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【1182591】 投稿者: 悲しい現実 (ID:wFZ05gdaJXE) 投稿日時:2009年 02月 11日 11:28
申し訳ありませんが、不合格でも悲しまないで、という慰めは、
どんなに素晴らしいことを言われても、
結局、どれもこれもただの言葉遊びのようにしか聞こえませんでした。
聞いたその瞬間だけは元気になりますが、
不合格の現実に触れ合うと、そんな言葉はどこかに飛んでいきました。
涙の数だけ強くなれるよ、ってのも本当かなと思います。
涙の数だけ強くなりなさい、という命令にしか聞こえませんでした。
上の人みたいに、落ちた人間に「これからも努力が大事だ」なんて言える
毛の生えた心臓の人がうらやましいです。
おそらく、何も、人の気持ちなんてわからないのでしょう。
涙の数だけ、自信を失って弱くなるのが現実のように思います。
合格に代わるものは何もありません。不合格の心を癒す手段はありません。
後に続く方に申し上げたいのは、中学受験というのは、
不合格の場合は、想像をはるかに超えてこたえるものですよということです。
志望校合格を夢見て努力して、散っても一生懸命やったから晴れ晴れ、
なんて青春ドラマでは決してないということです。
落ちたらわかります。だけど落ちてからでは遅いんです。 -
【1182683】 投稿者: 悲しい現実さんは (ID:RPihr9s8oN6) 投稿日時:2009年 02月 11日 12:28
実力ないことがみとめられないんだよね。
慰めてくれる人も実力が足りないから落ちたんだって言ってくれてるだけなんだけどな。
ただ、今現在の実力であって一生続く実力じゃないから、これからも努力が大事なんだということなんですよ。
合格に変わる心を癒す手段なんてないよ、実力不相応のところを受験した選択ミス、親のエゴだけです。
だいたい中学受験失敗でそこまで被害妄想になる人は、たとえまぐれ合格してたとしてもその後続く試練や挫折になんて耐えれるわけないよ。
お子様がそのような遺伝子を受け継いでいないことを祈ります。