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【143372】都立一貫校の教科書

投稿者: 失笑   (ID:UOpGQQ6Jofo) 投稿日時:2005年 07月 31日 20:11

旧聞になりますが、来年誕生する一貫校も扶桑社教科書を採用するそうですね。
なんて取り返しの付かないことを....

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  1. 【145546】 投稿者: ゴーマニズム  (ID:Dt8Uq5BhLds) 投稿日時:2005年 08月 03日 22:52

    1勝5敗 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > 当の教科書では、ここまでに日本の戦争は正義の戦争だった、
    > 「自存自衛」と「アジア解放」のための聖戦だったという戦争
    > 観を書いていると、私には読めます。
    >
    > これは、私がそう思うだけではなく、このスレでこの教科書に
    > 賛成する方々がそのような主張を繰り返されているので、おそ
    > らく、間違いないと思います。
    ○それはあなたの骨髄にまで染み付いた自虐史観のバイアスをかけて読むから
     そう読めるのです。
     あなたの主観であり、偏見に過ぎません。
     イデオロギーのバイアスを取り除いて読めば、
     真に起こった事実が書かれているだけですよ。

    > そしてこの教科書では、このような歴史観のしめくくりとして、
    > 先の戦争を正義の戦争だと信じて戦死した二人の若い特攻隊員
    > の遺書の全文を載せています。
    >
    > 一つは19歳の青年が妹にあてたもので、
    > 毎日空襲で怖いだろう、でかい母艦に体当たりして兄さんが仇
    > を討ってやるよ、
    > というようなもの。
    >
    > もうつ一つは、23歳の青年の遺書で、すべてを捨てて「悠
    > 久の大義」に生きる、天皇の戦争に命をささげる意思を綴って
    > います。
    >
    > そしてこの二つの遺書のあとに、
    > 「日本はなぜ、アメリカと戦争したのだろうか。これまでの学
    > 習をふり返って、まとめてみよう。また、戦争中の人々の気持
    > ちを、上の特攻隊員の遺書や、当時の回想録などを読んで考え
    > てみよう」
    > と問いかけています。
    ○特攻隊員の遺書は当然子供たちに読ませ、考えさせるべき素材です。
     これを覆い隠すことの方が欺瞞です。

    > 子どもが素直であればあるほど、特攻隊員の気持ちの「感情移
    > 入」がされ、国のために命を賭して戦ってくれた人たちがいた
    > のだという感動が生まれるのではないが危惧します。
    ○そういう感動が生まれてはいけませんか?
     特攻隊員の遺書に感動したからといって、子供が戦争礼賛者になるとは限りませんよ。
     「自分がそういう立場になったら、やっぱり死ぬのはいやだ。
      僕は家族と平和に暮らしたい。戦争はやっぱり嫌。
      戦争なんかしなくていいようにするためにはどうしたらいいんだろう?」
     むしろ大多数の子供はこう考えるのではないでしょうか?

    > 教科書に誘導されて、戦争を哀しくも美しい物語としてとらえ
    > ては欲しくないのです。
    ○戦争は悲しくも醜くもある一方で、美しくもある。
     命を賭したドラマが美しいことは否定できない。
     これはあなたがどんな御託を並べようとも否定できない真実です。
     だからこそ、戦争は映画になるのです。
     でも、悲しくて美しいドラマを自分でも演じたいと思う人間はむしろ少数でしょう。
     進んで自分で演じたいと思うのは極端なナルシストだけです。

    ○あなたの意見は、結局のところ、
     戦争には正も負もさまざまな側面があるという厳然たる真実から
     子供の目を覆い隠そうとするものでしかありません。
     それは子供に対する欺瞞ではないでしょうか?


  2. 【145556】 投稿者: …  (ID:XrawacC6eS2) 投稿日時:2005年 08月 03日 23:03

    7/17(日)付け産経新聞27面(社会面)
    愛媛・松山 反対派韓国から運動団体:友好関係の政治利用者
    (要約)
     松山市には、先月30日、韓国の友好都市・平澤市(ピョンテク市)から市民訪問団10人 が訪れ、
    松山市や県教委等に扶桑社版教科書の不採択を求める要請書を提出するはずだったが、
    県教委は、「採択に関する面会に応じられない」と拒否した。
    訪問団は記者会見して非礼をなじった。
    しかし、この訪問団には裏があった。
    この韓国訪問団は、そもそも、特定県議や県内の政治活動家らがわざわざ訪韓して要請したものだった。
    訪韓したのは、阿部悦子県議(松山市選出:無会派)と、
    えひめ教科書裁判を支える会(教科書不採択の訴訟を起こしている中枢組織。
    日 教組系の県教組の元委員や自営業者らで構成)のメンバー二人。
    訪韓した支える会の高井氏は、「松山は日本の右傾化の中心地」と発言し、
    松山の市民団体幹部らを「右翼人士」と断定した上で、
    「日本は友好提携している都市の意見には耳を傾ける」と発言。
    これを受けて、平澤市訪問団が日本に大挙して来日したというわけだ。
    これに対し、中村市長は、「自らの政治目的のために外国を刺激して国内に影響させるやり方 が真っ当か」と反論し、
    加戸知事も「(訪韓した県議らは)政治家として不見識」と反論。
    平澤市訪問団は、「事実無根の批判で傷ついた」と発言撤回と謝罪を要求。
    中村市長は、さらに、平 澤訪問団以外に、ソウル市の教科書運動本部の梁美康委員長も紛れ込んでいた点に言及。
    この委員長は、松山だけでなく、広島や大阪、東京など日本全国を巡り、
    扶桑社の教科書不採択を主張する日本の教科書問題専門家(工作員)らしい。
    つまり、平澤市訪問団はみせかけの脇役に過ぎなかったというわけだ。
    平成14年の扶桑社教科書採択にあたっては、反対派が3万2千の署名を集めたのに対し、
    賛成派は県内10万人(全国33万人)の署名を集め、圧倒的に有利であった。
    反対派は、正攻法では勝ち目がないため、学習して戦術を転換したものとみられる。

  3. 【145562】 投稿者: やま  (ID:dBLAUgNFHqQ) 投稿日時:2005年 08月 03日 23:18

    >当の教科書では、ここまでに日本の戦争は正義の戦争だった、
    >「自存自衛」と「アジア解放」のための聖戦だったという戦争

    それならば邪悪な戦争を行ったと書けば良いのか?
    二発の原子爆弾を落とし大量虐殺を行い、軍民合わせて三百万人を虐殺した連合国が正義であり、日本は邪悪な戦争を行ったと。
    一方を邪悪と断罪するような歴史観こそ偏った歴史認識ではないか?
    確かにそのような歴史認識があっても、それはそれで仕方がないかも知れない。
    そもそも神の視点を人間に求める愚は犯すべきではない
    公正とか中立とか正しいとか、歴史観に置いて神ならぬ人間が得てして求めるべきものではなく、人間である以上は本当に正しい結果を求めることなど不可能である。
    そうである以上はひとつのポジションを明示した上で行うべきだ。
    日本の戦争への非を訴えることを第一にすえるならそれはそれで良いが、少なくともそのことも明確に打ち立てるべきだな。
    しかし中韓も左派もそうしたことはまったく出していない。
    その意味で右派の「つくる会」も自国の歴史に尊重できる教科書と書いているのも抽象的でわかりにくいもんだがな

    ついでに言わせてもらうと、祖先への感謝とか戦争反対云々は本来は思想教育の場で行うべきであって
    歴史教育の場で行うべきではない
    主観的に歴史を見ることは上記のとおりどうしても避けられないことだが、出来るだけ歴史的な意義と問題点を冷静に分析する視点を養うのが本来の歴史教育のあり方であって、戦争反対も愛国心だろうがそれはもともと思想教育の場でやることだ
    思想教育を戦後、徹底的に否定した結果、歴史教育で補おうとする動きが左右両派から沸いて出たのだろうよ


    >教科書に誘導されて、戦争を哀しくも美しい物語としてとらえては欲しくないのです。

    「つくる会」の教科書を批判する動きがあってもそれはそれで仕方がないが
    しかし中韓らが干渉を加えるのは見過ごすわけにはいかない
    また、正直言って、戦争を否定する教科書の方が私には問題に思うのだがな
    戦争とは人類の業であり、犯罪や人間同士の対立が決してなくならないように制限することはできてもなくすことはできないもんだ。
    それを前提にすべてを話さないといかない
    戦争は起こりえるものであって、平和がどう破られていったか、そういう論で物事を話していかなければならない

    って言いますかね。もともと私には戦争を100%否定している人間の大部分は、国ってものを100%否定していることが最近では理解できるようになった
    戦争とは国家の利益を守るために行われるものだから、そんなものを否定してしまえば戦争ってのは起こらないって考えにつながっているやつらばかりだよ
    それ以降、反戦や平和運動には賛同できても、そうした活動をする連中にはまったく賛同できなくなってしまったのだがね。
    国が崩壊した状態がどんなに悲惨かはソマリアあたりを見ればよくわかるのに安易に国家はいらないと夢物語を語る人間の唱える反戦平和ほど信頼のおけないものはない

  4. 【145568】 投稿者: ゴーマニズム  (ID:gTUKytC2Tq6) 投稿日時:2005年 08月 03日 23:14

    やま さんへ:
    -------------------------------------------------------
    なるほど。卓見ですね。

  5. 【145569】 投稿者: l  (ID:Ur78xtx1Tao) 投稿日時:2005年 08月 03日 23:25

  6. 【145574】 投稿者: 哄笑  (ID:d0n4jtd.gxY) 投稿日時:2005年 08月 03日 23:31

    思うに さんへ:
    -------------------------------------------------------

    > すいませんが、どこのどういう記述を根拠にそのように思われるのか、
    > 具体的に教えていただけませんでしょうか。
    > 私が読んだ範囲ではそのような違和感は感じなかったのですが。

    自分が自明と思っていることでも別の人にとってはまったくそうではない、ということを知るのも議論の効用でしょうか。出勤前に書き殴ってしまい「捨てぜりふ」のようにとられてしまったとしたら、私の不徳。ちょっと丁寧に書きますので、長文ご容赦。

    扶桑社版教科書は「つくる会」という、ある政治的な主義主張をもった団体が編纂した教科書です。つくる会は、運動として教科書づくりにとりくんでいます(これは西尾幹二氏や大月隆寛氏らの表現)。つくる会の政治的目標は、彼らのいう「自虐的」歴史観に貫かれた教科書にかわって、「読み終えて、この日本という国が好きになり、日本に生まれたことに誇りをもてるような教科書」を世にひろめることです。カギカッコのなかは、市販版の扶桑社教科書で藤岡信勝氏が書かれていることです。また、序文にあたる「歴史を学ぶとは」のなかでも、「歴史を学ぶとは、過去のできごとを知ることだと考えている人が多いかも知れないが、これは必ずしも正しくない」として、できごと(歴史的事象)を客観的にとらえるのではなく、「過去におこったことの中で、過去の人がどう考え、どう悩み、問題をどう乗り越えてきたのか、つまり過去の人はどんな風に生きてきたのかを学ぶことだ、といったほうがよい」として、「過去の人間」の立場にたった主観的解釈によって歴史を学べ、と訴えています。

    つまり、この教科書における歴史とは、史料の分析によってファクトを積み上げていくことによって求められるのではなく、「こうあってほしい」という歴史観から演繹的に導き出されたものです。この場合は「読んだら元気になって誇りが持てるような歴史」ですね。そんないいことばっかりあった歴史なら幸いですが、そうそううまい話ばかりではありません。元気がでないような暗い話とか、あんまり大きな声でいいたくないような話は、事実であったとしても「中学生に教えるべきではない」とかいうことになって、なんだかカラ元気の出るような明るい歴史物語が生み出されるわけですね。

    近現代史においては、日本のかかわった戦争における犠牲者数であるとか、占領地での圧政、それに対する抵抗運動などはふれられません。「富国強兵」という近代史のキーワードが欠けているのもイタイ。たとえばインドネシアでは、日本軍はオランダからの解放者として歓迎された、という話が出てきます。日本軍の占領によってオランダの支配が終わったのは事実ですし、当初、それを歓迎する声が多かったのも事実です。しかしオランダを追い出した日本軍の占領統治が、期待していたような「植民地支配」そのものからの解放に結びつかなかったことで、その後、日本軍に対するゲリラ活動が活発化したというような「事実」はふれられません。予定していたような「物語」に、うまくはまりこまない事実は、無視されるのです。

    「真に客観的な歴史叙述が可能か」という議論はここでは深入りしますまい。それを言い出したら、教科教育における歴史学習そのものが不可能であるということになってしまいますからね。ここでいっているのは、あくまで中学生の学ぶ「教科書的」な歴史叙述ってことですよ。

    あらかじめ設定された物語──元気が出て誇りがもてるような歴史──に反する事実がもし存在していても、この教科書ではふれられることはありません。「客観的にかんがえることをさまたげる」というのはそういう意味です。なにしろ、自国の歴史の否定的な側面を見いだすことは、「自虐」としてもっとも忌み嫌われているのですから、客観的にかんがえようがありません。完全に客観的に歴史をとらえることは不可能として、「客観的に考えようとする」ことはできます。そうしたとき、もし元気や誇りがでないようなできごとに気づいたら、どうしたらいいんでしょう。とりあえずなかったことにしますか?

    歴史を後知恵で裁いてはいけない、というのも西尾さんらの持論ですが、これは逆です。当時の人々がリアルタイムで生きていることでは気づかなかった・知り得なかった情報を「後知恵」として判断材料として持っているが故に、われわれは先人の失敗や苦難から学ぶことができるのです。歴史小説を読むなら、当時の人の心情に即して味わうこともまたよいでしょうが、歴史を学ぶのであれば、「後知恵」を総動員すべきなのです。


    > そもそも、あなたのいう「客観的に考える」とは、
    > どういう風にすることをいうのですか?
    > それもよく分かりませんね。
    > 史実に基づいて考えるということであれば、
    > 件の教科書も史実に反した記載はないはずですが?

    「客観的に考える」ことについては、私より先にまず??さんにお尋ねください。

    史実の選択が問題なのです。前提となる歴史観に反する史実が排除されていることに気づきませんか?

    たとえば最初の口絵ページ。法隆寺の百済観音が「日本の美の形」として、あたかも日本独自のオリジナルな美術品であるかのように紹介されています。飛鳥時代から現在まで、日本は常に独自の文化を築いてきた、という記述もあります。いうまでもなく、この像は南北朝期の中国美術の影響下に製作されたものです。そもそもこの時代の日本の文化が中国や朝鮮半島と深く結びついていたというのは常識中の常識であり、「国風文化」がはじめて花開くのが平安時代であることもまた常識以前の常識です。この時代の東アジアに、現在考えられているような意味での国境や国家が成立してわけではないのに、この記述はあたかも、それを前提として「日本文化の特殊性」を称揚しようというものです。だいたいこの記述では、百済観音がなぜ百済観音と呼ばれているかもわからない。百済観音が美術品として優れていることを私も否定しませんが、日本偉い、といいたいために利用するのはやめてほしい。百済をはじめとする朝鮮半島や中国との文化的交流のなかで、素晴らしい美術品が生み出された、でいいではありませんか。この時代に中国や朝鮮が先進国であったことを認めるのが、そんなに苦痛なのかしらん。

    > はっきりいって、哄笑さんのレスは捨て台詞にしか思えません。
    >
    > なんだか、このスレ、
    > ただ、自分のイデオロギーの正当性だけを主張し、
    > 具体的な根拠も明らかにせず相手を批判するだけのものに堕してきた気がします。
    > まるで2○ゃんねるみたいになってきたし…
    >
    > そろそろ終わりにしませんか?

    そうですねえ…。私もそろそろ終わりにすべきかなあ…と。
    あるイデオロギー性をおびた運動団体である「つくる会」が、その政治的主張を実現するためにつくった教科書が扶桑社の歴史・公民教科書ですから、それに賛成するのも反対するのも、何らかのイデオロギー性を帯びざるをえないでしょう。私の書いてきたことの「イデオロギー性」に反発するものが、みなさんのなかにもしあるとしたら、それがその人の中の「イデオロギー性」なのですよ。


  7. 【145582】 投稿者: 本当に・・  (ID:XLJEwjFeNfk) 投稿日時:2005年 08月 03日 23:27

    ゴーマニズム さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > 1勝5敗 さんへ:
    > -------------------------------------------------------
    > >
    > 教科書に誘導されて、戦争を哀しくも美しい物語としてとらえ
    > > ては欲しくないのです。
    > ○戦争は悲しくも醜くもある一方で、美しくもある。
    >  命を賭したドラマが美しいことは否定できない。
    >  これはあなたがどんな御託を並べようとも否定できない真実です。
    > だからこそ、戦争は映画になるのです。
    >  
    > ○あなたの意見は、結局のところ、
    >  戦争には正も負もさまざまな側面があるという厳然たる真実から
    >  子供の目を覆い隠そうとするものでしかありません。
    >  それは子供に対する欺瞞ではないでしょうか?
    >

    しばらくレスしていませんでしたが、なんと20ページになってきましたね。
    人のレスへのご質問に答えるようで申し訳ないのですが・・・・

    戦争は「哀しい」ドラマにはなりますが、「美しい」ドラマであるはずがありません。
    否定できない真実って、勝手に真実を作らないでくださいね。
    それはあなた様の考えに過ぎません。
    戦争をいかなる理由があろうとも
    「美しい」と捉えるひとは、それだけで危険だと思います。

    確かに、人の美意識と言うのは様々で、
    死体を美しいと思う人もいれば、
    人の苦しむ姿に興奮する人もいるでしょうが、とんでもない悪趣味です。
    戦争には「正」の部分はありません。
    あってはいけないのです。
    戦いに何のよさがあるのですか?
    子どもに対する欺瞞どころか、戦争のない国を維持することが大人の役割です。
    欺瞞とか、偽善とか、そういう言葉が好きな人ほど、本当の「善」の意味を知らないと思っています。

    戦争によって得をする人というものが常に存在するとしても、
    戦争にもいい面があるなどと口が裂けても子どもにはいいません。

    とんでもない!



  8. 【145585】 投稿者: 哄笑  (ID:d0n4jtd.gxY) 投稿日時:2005年 08月 03日 23:28

    杉並区民 さんへ:
    -------------------------------------------------------

    > 私は自分のことを言っていませんから。
    > だって、教科書ぐらいで大騒ぎしているのは、左翼っぽいあなたや右翼っぽい人たちたちじゃないですか。

    あなたが自分でも示していないことを、私が示していないといって批判される意味がよくわかりませぬ。


    > 中学校の歴史教科書ぐらいで、学校を心配するという神経が理解できません。
    > 校風やら進学実績の方が遙かに重要な指標でしょ?

    全落ちしたら、公立中で高校受験、という選択肢も検討していますので。
    世の中の人がぜんぶ、あなたみたいに考えてるわけじゃありませんよ。
    扶桑社の教科書みたいなトンデモ本を採用しているかどうかも、
    私にとっては重要な「校風」の一部です。


    > 私立一貫校にお子さんを入れているならわかりそうなものですが。
    > 説明会に足を運んで、公立と私立の説明の落差を理解すればそもそも公立という選択肢もなくなってしまいますよね。

    「私立」「公立」といっても、その中身はそれぞれですからねえ…。
    個別その学校について論じない限り、無意味でしょう。

    > 公立の先生方の無気力・責任回避で低レベルな説明。私立の先生方の愉快かつ生徒の一人一人を思いやる説明。
    > 学校選びを真剣に考えるなら、こんなくだらないイデオロギー論争の前段階で選択が決まってしまいますよね。
    >
    > でも、やっぱり、特定イデオロギーに染まった人には何を言っても無駄かなぁ・・・・・

    いやだから、あなたの書き込みもすでに「イデオロギー論争」の一部になってるんですよ?


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