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【143372】都立一貫校の教科書

投稿者: 失笑   (ID:UOpGQQ6Jofo) 投稿日時:2005年 07月 31日 20:11

旧聞になりますが、来年誕生する一貫校も扶桑社教科書を採用するそうですね。
なんて取り返しの付かないことを....

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  1. 【146710】 投稿者: 歴史への姿勢  (ID:v3cqLJ79sbo) 投稿日時:2005年 08月 05日 18:52

    下の2つの質問を、何年か後、外国の報道機関が来て、

    塾に行っていない(親ともそのような話はしたことが無い)、
    英語が少し喋れる(日本語でもテロップ出せば大丈夫かも)、
    「作る会」の教科書のみで歴史を教わっている、

    という学校の生徒にインタビューすれば、日本はこの放映だけで、一切、教育レベルが高い方という評判も、日本への信頼も失いかねません。


    オープニングに
    アナ「ここはレベルが高いと言われていた日本の、公立の中学です。

    アナ「あなたはキリストを知っていますか?」
    生徒「知りません」
    アナ「あなたは仏陀を知っていますか?」
    生徒「いいえ」

    何故、信頼まで失うかと言えば、外国では、無宗教と言うのは、他のレスにも書きましたが、完全に倫理や思考のバックボーンの欠如、と見なされるからです。
    つまり、行き当たりばったりか、物真似か・・・当たっているだけに、一番痛いところですね。
    ここが、まず強調されます。

    アナ「皆さん、お聞きになりましたか? 
     戦後GHQが教育を指導していた頃の日本人は、キリストと仏陀は知っていました。 
     戦前、あんなに仏教徒が多かった日本なのに、最近、アメリカの関与無し(?)で日本人が作っ た教科書で学ぶ日本の公立中学の子たちは、仏陀すら知らないのです!」

    それに比べて・・・と韓国の公立中学を同じ形で取材したものを放映。
    韓国の生徒の答えは両方とも
    「勿論知っています。」

    これ話すと、big laugh (爆笑)になりますよ、外国人にはきっと・・・。

    かつて、アメリカの公立がレベルが低いと言っていた日本への、充分な報復になります。

    皆さん、それこそ釈迦に説法なのを承知ですが、日本国内で(勿論地方でも)、日本人しかいないし、日本語がわかる外国人なんて滅多にいない、などと、ゆめゆめ思って外国の悪口などおっしゃいませんように。
    先程どなたかが書いていらっしゃったスパイでなくても、在日外国人(小さい頃から日本にいる欧米人も含む)は沢山いらっしゃいますし、そもそも外国や外国人を悪く言う事で、優越感に浸るような物の言い方は、人間性の面でひどく劣悪ですし、厳禁ですよね。


  2. 【146739】 投稿者: そうなの?  (ID:xhBwif5KGHw) 投稿日時:2005年 08月 05日 19:52

    ↑ つくる会の教科書(旧しか持ってないので)には「釈迦と仏教」
    という題で記載がありますが、新しい教科書にはないのですか?

  3. 【146757】 投稿者: あーやっぱり  (ID:JqwT/GCF1yY) 投稿日時:2005年 08月 05日 20:14

    昨日杉並区役所の前で暴行事件をデッチあげられ、良識派の市民が一人逮捕されましたが、
    暴行を受けたとされる方がいきさつを2ちゃんねるに書き込んでおられるので紹介します。
    これをみると警察の完全な「運動弾圧」ではないかと勘ぐられてもしかたないですね。
    あーやっぱり日本は戦前に回帰しつつあるんだ・・・

    引用
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    851 :名無しさん@おどらにゃソンソン :2005/08/04(木) 23:57:24 ID:NnQ0eNZJ
    836 名前: カメラマンさんこと、じおんぐ 投稿日: 2005/08/04(木) 21:09:03 ID:hn+cgWJg
    全部読めそうに無いほど、スレが流れているのでまとめサイト覗いたよ。
    なんか、じおんぐでHN入れてたのにカメラマンになってるしorz
    まあそれはさておき、取り敢えず無事帰宅いたしました。
    昼12時の時点ではあと1時間ですむからと警察のひと(刑事さん?)に言われたが、結局6時過ぎまで聴取と検分にかかりつけになり疲れたよパトラッシュ。
    以下大まかな状況を説明いたします。
    8時ころに区役所に来ると、もう2人がいて嫌韓流の本を持って役所の南口のスロープにいた。



    852 :名無しさん@おどらにゃソンソン :2005/08/04(木) 23:57:52 ID:NnQ0eNZJ
    挨拶してちょっと様子をビデオにとる。ここで件の男と黒シャツの人?とひと悶着。ちょっとミスしたが、途中より録画済。
    今回画像をプリントアウトしてポスター作成(3部) 。9時前になって相手ののぼりが上がり始めたのでそろそろかなと思い、移動開始。
    役所正面へ移動。
    ビデオにとってると、件の男を含めて3人ほどがいちゃもん的にビデオ撮影やめろと言ってきた。
    構うとろくなことにならないと思い無視して一通り録画してみんなのところに戻ろうとしたとき、件の男が私のデイバッグをつかみ後ろ側に引っ張られた。
    やばいと思い、すたこらさっさと移動し、110番通報。
    以下警察車両と杉並警察署にて事情聴取
    最初は被害届けだすつもり無かったんだけど、警察の一人が出せというので勢いで出してしまった。
    これが面倒?の始まりで、結局目的のビデオ撮影全然出来ずじまい。
    なんかくたびれ損かなあ。 疲れたよ本当。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    引用終り

  4. 【146820】 投稿者: そうなの?  (ID:xhBwif5KGHw) 投稿日時:2005年 08月 05日 21:37

    その後のも引用してほしかったなぁ

    854 :名無しさん@おどらにゃソンソン :2005/08/05(金) 00:48:58 ID:bta/5/Yj
    杉並区の教育委員の自宅にカミソリが送られてきた、というのですね。。

    杉並区で扶桑社を支持する幼稚園の園長の教育委員は、ほとんど自宅では食事できなかった、
    ドンドン脅迫電話がかかってくるものだから殆ど外食していた、
    という話をしておられました。・・・

  5. 【146822】 投稿者: 匿名ユーザ  (ID:cQ0gB7auPfo) 投稿日時:2005年 08月 05日 21:27

    あーやっぱり さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > 昨日杉並区役所の前で暴行事件をデッチあげられ、良識派の市民が一人逮捕
    > 昨日杉並区役所の前で暴行事件をデッチあげられ、良識派の市民が一人逮捕
    > 昨日杉並区役所の前で暴行事件をデッチあげられ、良識派の市民が一人逮捕
    > 昨日杉並区役所の前で暴行事件をデッチあげられ、良識派の市民が一人逮捕
    > 昨日杉並区役所の前で暴行事件をデッチあげられ、良識派の市民が一人逮捕
    > 昨日杉並区役所の前で暴行事件をデッチあげられ、良識派の市民が一人逮捕

    tohoho

  6. 【146872】 投稿者: 本当に・・  (ID:re0WrGbBjPc) 投稿日時:2005年 08月 05日 22:36

    歴史ファン さんへ:
    -------------------------------------------------------
    ご丁寧なレスをありがとうございます。
    私の歴史に対する不勉強を思い知らされる機会になっていますが、
    実際に経験していない人の話(皆さん戦後生まれでしょうし)
    (また掲示板は顔が見えないので人物で信頼できるかたか判断できないのがネックですね)では、本に書かれていると言われてもなかなか納得できないというのが本音です。
    ご質問にだけお答えしますね。

    >
    > 「戦争礼賛している人」や「条件付で戦争礼賛する人」というのは、
    > どんな方たちのことなのでしょうか?
    >
    > 私自身はこれまでにそういった方々と出会ったことがないのですが。
    > どんな意見の方にせよ、戦争は起こしてはならないとお考えだと思いますよ。
    >
    > 「戦争は素晴らしいからぜひもう一度」という方が居るとすれば、
    > それは何かの理由で精神に異常をきたしているのではないでしょうかね。
    > むろん、他国の戦争を仕掛けて、たっぷりと儲けようとする武器商人などは別ですが。
    >
    > 日本に限って言えば、戦争礼賛などということはないと思いますが、いかがでしょう?
    > 本当に・・
    > さんの不安がどこからやってくるのかが知りたいです。
    >

    若者がふがいなくなったとか、生きる力がなくなったとか言われ、教育の見直しが叫ばれていますが、そういうところで、「愛国心」と言う言葉が頻繁に言われるようになっています。
    一致団結する体験がないことがいけないという理由を挙げて、「愛国心」のもとに「修身」を復活させ、戦前の価値観を復活させようと言う人がいるようです。
    国を愛することはすばらしいことですが、個々人の心までを強制しようとする空気に、「愛する国の危機に一致団結しようではないか!」という戦争肯定、戦争礼賛の声を聴く気がするのです。
    そういう中での教科書問題です。この教科書の内容がどうかと言うことももちろん大切なのですが、そもそも、そういう空気が最近加速して、ことここに及んだかと言う危機感につながっているから教科書問題は不安材料なのです。
    日本は今いろいろ不安で、先行きが見えない時代です。そういうときにふとしたきっかけで、戦争に打開策を見つける力が成長するような危機感があるのです。
    その小さな芽が教科書問題にあるように思ったのです。

    >
    > 私は「悲しいかな戦争は科学を進歩させた」という言葉を
    > 当時、放映されていた「鉄腕アトム」でお茶の水博士が発言するのを見て
    > すごい衝撃を受けたので、思わず受け入れてしまったのかもしれませんが(笑)、
    > 大人になった今、考えても、確かに事実だったんだなと思っています。

    私も「鉄腕アトム」の大ファンで、多くのことを子どものときに学んだと思っています。
    この御茶ノ水博士の言葉には何の違和感も感じませんよ。
    それは御茶ノ水博士がちゃんとした信頼に足る大人だと思っていますから。


    > 科学が発展すれば、この恩恵を受けるのは全世界とはいわないまでも
    > かなり広い範囲の人々に影響がありますから
    > 『「進歩」はそれを享受した国にとっての「副産物」』というような限定的なものではないように思えるのですが。
    >
    > なによりお説に従うと、戦争によってもたらされた事実というのは
    > すべて副産物で、多面性(同時性)という考え方からは離れてしまうように思います。

    ちょっとここの論理は理解できません、すみません。
    きっと副産物と言う言葉の定義にずれがあるのでしょうね。


    > だからこそ、清濁合わせて、ありとあらゆる事実を子供たちに語る必要があるのではないでしょうか?
    >
    > さらに言えば、戦争は終わっても、戦禍に苦しむ人たちが居る。
    > 幸いにも戦後は大発展を遂げた日本ではありますが、
    > ある意味では、日本人しか知らない戦禍について論じることを置き去りにしてきたように思います。

    そうかもしれません。
    遅くはないですから、今こそ語るときかもしれませんね。

    > 戦争(という状態)が美しいとは、誰しも考えないのではないでしょうか?
    > たぶん、戦争を礼賛する人々が居るのではないかという不安感から
    > こういったご発言になるのだろうとは思いますが、
    > まずほとんどあり得ない状態を想定して(たとえば戦争礼賛ですね)、
    > 自分とは違う言葉で語る人たちに反論するというのは、あまり意味のないことかと思います。

    「戦争に美がある」という表現は私の言葉のセンスで理解すると、少なくとも「戦争は美しいときもある」 と捉えられると思います。
    この表現に違和感を覚える人は私のほかにもたくさんいると思いますよ。

    > 極端なことを言えば、たとえば戦争を仕掛けた張本人であっても、一般に言う悪人かどうかはまた別ですよね。

    その人が個人的にどういう人物であったかとは別です。でも、責任を取る立場にあるものゆえの「あるべき姿」というものはあるはずで、この問題が、まさに今の靖国問題ではないでしょうか?


    > また、戦争という国家間の問題を検討しようとする時、
    > 人間というのは概念の言葉(戦争、国家、政府などの実際には目に見えないもの)だけでは
    > 理解に限界があると思います。
    > 人という身近な存在から演繹していかないと、それこそ子供にはわからないのではないでしょうか?
    > その意味で、戦争は悲惨だという言葉は意味があるようでない言葉だと思っています。
    >

    抽象的すぎると言う意味でしょうか?
    私は子どもには戦争のとき私の両親がどう思ったか、知人の家ではどういうことがあったか、という具体的な例を話して「目の前で身内が殺される残酷さ、悲惨さ」を教えますが。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    > 「なぜ、殺してはいけないか」という問題にぶつかると発言した途端、
    > 「そんなの当たり前!」「考えることすらおかしい」って意見で、一時、場が混乱しました。
    >
    > 戦争を語るにあたっても、似たような状態があるのでしょうね。
    > しかし、私は「なぜ殺してはいけないか」をみんなで学習するのはたいへん重要だと思っています。
    > 「考えること自体がおかしいほど、当たり前なこと」が壊れてきているのが現実だからです。

    それに関して何の異議もありませんよ。


    > 理解しきれないことは何事も自分より下に置く、
    > つまり「差別」に至るまで、そう時間はかかりません。
    >
    > 自分という固体の中にそういった感情があることと同時に
    > 「大好きな○○おじさん」という理屈抜きの感情もまたある。
    > その矛盾を呑み込んで、それが人間なんだと理解することが大事だと思ってます。
    >

    その通りですね。


    > 双方にそれぞれの事情(当時の物事の認識)はあったと。
    > しかし、理解に至るまでの情報や学習が制限されていた結果、
    > また、人類そのものの、人権その他を含めた物事の認識が今とは違っていた結果として
    > 戦争があったという考え方ですかね、ウチの場合。
    > だから、「知る」ということは非常に重要で、どんな些細なこともおろそかにするなと教えています。
    >
    ・・・・・・・・・・・・・・・・
    > 個人としての人間と、人間が集まって組織する国や政府といったものの違いを
    > まずは教えているところですね。
    > 人間同士として触れ合える「個」という存在が、集合体になった時になぜあのような問題になるのか。
    > 国や政府といった、ある意味では目に見えない、実体のないものをどうとらえるのか。
    > また、ナショナリズムとは違う意味での故国を大事に思う気持ちなどが混在している中で、
    > では、どのように社会とつながっていくのかを選び取って欲しいと思っています。
    >
    > 自分の意思に反して、国家や政府がやったというのは簡単です。
    > しかし、その国家や政府の根幹には「個」があるのですから
    > 「個」としての一挙一動、なにを大事に思って生活するのかが、
    > 戦争にまでつながっているのだと認識して行動して欲しいですよね。
    >
    > 実際の生活で、これをやるとまわりからは「大袈裟」とか、
    > 「政治っぽい」とかいろいろ言われますけどね、そんなことにはめげないでもらいたいと思ってます。
    >

    全面的に賛同いたします。

    > 絶対にしてはいけないことに限って、人間は手を出したがります。
    > とくに子供ってそうですよね。
    > たぶん、それが未知の領域だからなのだと思いますが。
    >
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>
    > やはり「知ること」って重要だと思いますよ。
    > どういう危険なのかを肌で感じた時に、初めて未然に防ごうという意志が働くんじゃないですかね。
    >
    > 戦争の恐ろしさを肌で感じることというのは、まず非常に難しいことです。
    > それであるからこそ、ありとあらゆる事象を次世代に伝えることで
    > 共感や反感を感じてもらうことから演繹していって、
    > この愚かさとは何だったのかにつなげていくのが大事なのではないでしょうか。
    >
    これにも全面的に賛成です。

    > 例は悪いですが、「ちびくろさんぼ」に差別的な表現があるからといって
    > 「清」の部分だけにしてしまうこと→不条理を抜きさってしまうのには、
    > ある意味、子供に選択の余地を持たせない(自分なりに消化するというプロセスを排除する)方法なので
    > 賛成できないのですが、こと戦争についても同じことが言えるんじゃないかと思っています。
    >
    > 清も濁もひとつのまとまりとして呑み込ませて消化させる、
    > これ以外に物事を正確に捉える方法ってないんじゃないでしょうか。

    この話題に限らず、「悪」をすべて排除した環境での子育ては却ってよくないということはありますよね。ただ、限度はあると思います。
    劣悪なテレビ番組や環境はそこから学ぶことよりダメにする影響のほうが大きい場合もありますから。「悪」もあえて教えると言うとき、子どもの判断力がどこまで育っているか、そして周りの大人の認識が、それが「悪」だということで一致しているという前提がないと子どもは翻弄されると思います。

    ですから、私たち皆が「戦争は避けたい」と思っているならいいのです。
    ご指摘のように私にはそうではないと言う不安があるので、慎重になるのです。


    > 一生懸命、書いてるんですが、なかなかついていくのがやっとで、
    > ズレてるとこなどあったらごめんなさい。
    > でも、お話できて、とっても楽しんでます。

    いえ、いえ、とんでもない。私こそ。

    日本が、日本人が、世界で一目置かれる国や国民になるには何が必要か、周りの国の思惑を知ることも大切ですが、自分自身の国を知ることはもっと大切ですね。
    どなたか宗教のことを書いておられましたが、無理に信仰を持つことが必要なのではなく、無宗教であってもそのことを説明し納得させられる内面を持つことが大切だと思います。
    無知では自分に自信を持って語ることができませんね。
    その意味で本当に「知る」ということは大切だと思います。
    いったい何が真実か、自分で確かめるしかないのでしょうね。

  7. 【146883】 投稿者: 歴史ファン  (ID:y7/9UkozkqI) 投稿日時:2005年 08月 05日 23:02

    ミラボー橋 さんへ

    遅いレスでごめんなさいね。
    余りにたくさんの事柄があって、なんかグルグルしちゃってるので
    ピントが外れてるかもしれませんが、とりあえず。

    > >日本に限らず、戦争という究極の場面で人間のしたことには、美しさもあり、
    > >また醜さもあります。同時に存在していると思いますよ。

    > 戦争を含む圧倒的な危機に直面したときに、人間の善悪の本質が際立つことは
    > 理解できます。しかし、それは、前提として、戦争は自然災害のような無色透明の
    > 「Act of God」ではなく、人間の意志により作為的に作られた、避けられたはずの
    > 危機によることも忘れてはならないと思うのです。

    何度も書いていますが、
    「美点を際立たせるために戦争をしたわけではない」という自明の理を考えれば
    当然のことかと思います。
    「逆も真なり」が成立しない命題として捉えるべきではないでしょうか?


    > >戦争のような究極の状況下にあっても、人間らしさを失わずにいた人々の勇気を美しいものとして
    > >伝えるのは、そんなに危険なことでしょうか?

    > 学徒兵の手記等を読むと、自己の役割に懸命に誠実であり続けようと努力し、
    > 生死の意味に真摯に対峙する心のありように人間の尊厳を感じ、率直に
    > 美しいと感じますが、個々人の崇高さの文学的修辞ゆえに何かを見失うことに
    > ならないかには危険を感じます。

    ミラボー橋さんは、見失ってしまいましたか?
    まず、そんなことはないでしょう。
    だとすれば多くの人々が、同じように感じるはずです。
    美しいから戦争がしたいというような論法というのは
    よほど何かを見誤らない限りあり得ないと思いますよ。


    > >戦争「も」あって現代の我々が居るわけなので、
    > >子供に教える事柄から、「人間の不条理」のようなものを意図的に抜いてしまうのは
    > >あまり賛成できないです

    > 戦争と平和、成功と失敗を積み重ねが歴史です。
    > おそらくこれからも多くの失敗があるでしょう。
    > その中で、戦争は政治の失敗、人間の愚かさゆえの最大の失敗であり
    > 個々人の個別具体的な美しさをすべて飲み込んでも糊塗出来ない醜さが
    > あることをまずもって子供たちに理解させるべきだと考えるのです。

    子供は身近なものからしか理解できないと思います。
    大人である我々でさえ、国家とはなにか?というような質問に即答できるでしょうか?
    たとえ答えられたとしても、今度はそれを子供に理解させなければならない。

    忌み嫌うことだけを教えれば、子供たちは考えなくなるのではないでしょうか?

    戦争は嫌だ、戦争をしてはいけない、戦争は醜いといったことだけを先に教えることは
    すなわち、交戦した相手国または自国=悪という単純この上ない理論になりやすいように思います。

    敵味方であっても同じ人間で、痛みも喜びも同じように感じる→同等であるという感覚があってこそ
    では、この愚かしさは何なのかということを、見る必要があるのではないでしょうか。


    > 人間は失敗する愚かで不条理なもの。
    > しかし、人間の唯一の賢さは、失敗を失敗として総括することを通じて、
    > 失敗を情緒的でなく冷静に分析し、同様の失敗を管理する知恵を身につけ
    > 同世代と共有し、次世代に託すことが(たぶん)できる点でしょう。
    > 人間はいつになれば本当の知恵をもって危機管理の術を手にすることが
    > できるのか、今の子供たちの世代でしょうか。

    語るということがなければ、共有も託すこともあり得ないですよね。
    近代以前の戦争、現代の戦争を通じて、その目的の変化や形の変化を知り(違いを知る)、
    さらに共通項である愚かさ、醜さを知ること。
    数千年の歴史の中で進歩してきたありとあらゆる事柄と、
    いまだにまったく同じところに留まっている人間の業と言ってもよい部分を対比させるさせるためには、
    とにもかくにも知ることしかないように思っています。

    伝えることに制限や加工を加えるのは、この場合、大きな誤りなんじゃないかと。
    基本的にはどのようなこともそうなんですが、
    とくに戦争については、大人の意見がまとまらないこともあって、
    結果として伝えるべき量が少なくなりすぎていると考えています。

    私自身、高校までの歴史というのは、文系でかなり多量の選択授業(社会科)を取っていたにもかかわらず、
    結局、時間がなくて、近代〜現代というのは、まともな授業がほとんどありませんでした。
    フツーの公立だったんで、授業の設定上、どうしても3学期の最後に駆け足になってしまうからなんですけどね。

    私自身は好きな教科でしたから、参考書や百科事典で基礎的なことは知ってましたが、
    義務教育が中学までであることを考えると、戦争に関する教育などはほとんど受けなかったと言ってよいと思います。
    まぁ、かわりに手塚治虫や赤塚不二夫、水木しげるなんて方々の作品があったんですけどね。

    個人的には、教科書云々も大事かもしれませんが、ちゃんと授業が行われているのかって結構大事だと思ってます。
    せっかくよい教材があっても、授業がないんじゃ、国民の共通認識ってことになりませんからね。


    > 私は教科書の採択は冷静な市場の選択に任せるべきと考えます。
    > 特定の意思を持って押し広げることも排除することも、そこには
    > ためにする卑しさがついてまわります。
    > この教科書が公器として知の世界に受け入れられ成長していくか、
    > キワモノのまま消えていくか、もう暫く時間をかけて見届けること
    > が必要でしょう。

    先にも書きましたが、教科書だけが問題ではないと思います。
    つくる会の教科書はちゃんと読んだことがないので、論じることはできませんが、
    過去の歴史教科書に問題がなかったかといえば、それはまた違うでしょう。
    どこかで話題になってましたが、ナポレオンやキリストがでていたとしても
    さほど詳しいわけではないですし、名前だけといってよい程度しか記述はなかったように思います。

    仰るとおり、時間をかけて見る必要があると思います。
    できれば、反対するだけでなく、他社の教科書も含め、育てていく方向に持っていきたいものですね。


    > 教科書や学校がどうあれ、私が子供に教え続けているのは、多様性を
    > 受け入れる寛容さと他者を尊重する想像力を失わないことです。
    > また、ぶれてはならない普遍的な価値観を持つことと、独善や異質な
    > ものを排除する偏狭な自己陶酔の違いを自覚すること、何が正しいのか
    > を外部に求めて安心するのではなく、正しいことを見極めるために考え続け、
    > そのような努力に畏敬の念を抱くことも、常に教えているつもりです。
    > 個々の人間模様の美醜にかかわらず、人間の愚かさすばらしさの両面に
    > ついて常に内省的であり続けたいものです。

    やはり基本は親でしょうし、子供を見守る社会の視線なのでしょうね。
    我々は社会を作る生き物なので、学校という集団教育の場を持っているわけですが、
    なにも歴史教科書に限らず、いろいろな面で構造的な限界が来ているように思います。

    関川夏央さんだったか、北朝鮮に関する記述の中で(「退屈な迷宮」だったかな?)、
    「20歳のバイブル――北朝鮮の200日」(高野生/情報センター出版局)という本に触れ、
    「青年たちは学校に行っても悲惨だが、
    行かなくてもやはり悲惨であるという、現代日本をはからずも体現している本」といった趣旨のことを書いているのですが、
    学校の構造を変えていくと共に、社会の子供であるという認識を持たなくてはと思います。
    よその子に話しかけたり、注意するのは勇気が要りますけどね(^^ゞ
    でも、いろいろな大人に揉まれることもいい経験なのではないかと。

    失敗を恐れて前進を躊躇するよりは、やってみてどうだったかを考えたいなと思います。

  8. 【146887】 投稿者: 哄笑  (ID:d0n4jtd.gxY) 投稿日時:2005年 08月 05日 23:09

    いや1日空けただけでたいへんな活況ですね。流れについていけないくらい。とりあえず自分に関して書かれたことにこたえときますね。あの、「杉並区民」さん。

    > っていうか、貴方本当は受験生の親ではないでしょう?
    > あまりにも、言っていることが的はずれで、中学受験を知らなさすぎですよ。

    って言われてもねえ…。困ったなあ。こういう妄想を育んでしまった方にはなにをいっても無駄かも。
    どこらへんで、そう判断されたんです?いくら匿名掲示板とはいえ、他人を「騙り」よばわりするからには、何か根拠があってのことでしょう?誰かを嘘つき扱いするって、重大なことですよ(私は前の書き込みで、「平気で嘘をつく人」を批判しましたけど、それはその人が、「つくる会」のホームページをひらけば2秒でわかるような事実にかんしてそれをねじまげて書いた上、親切にもやんわりとそれを指摘してくれた書き込みがあっても訂正もおわびもせずに、平気な顔でなおその後も書き込みを続けているからです。これは意図的にデマを書いているのだなと私は判断しました)。

    私が「受験生の親」でないという根拠ってなんです?自分のイメージする「受験生の親」像」みたいなものに合わないからって、そんな思いこみだけで人を嘘つきよばわりするんですか?この人は自分の思いこみで平気で他人を誹謗中傷するという意味で、よくいって軽率、ふつうにいえば無礼で傲岸で無知、ということになるでしょうか。

    あいにくなんですが、私の上の子は現に中高一貫の私立に通っています。ラグビー部の合宿から昨日帰ってきました。「中学受験を知らなさすぎ」でも、とりあえずはなんとかなりましたよ。ひょっとして「これが証拠です」とかいって個人情報を開示させる作戦?もっともこういう方なら、たとえ実名や学校名をさらしても、「本人である証拠がない」とかいうんでしょうねえ…。

    > 全落ちした後の教科書を心配するより、志望校に合格できる学力をつけるかについて心配した方が良いと思いますよ。


    ご心配いただかなくても、子どもの勉強はちゃんと見てます。まんなかの子は6年生でこないだの四谷の合判予備をうけて、第1志望に80%以上の判定をもらいました。国語の得点は104点で偏差値が64.2、6480人中542番、とか書けば少しは信じてもらえますか。この数字があってるかどうか、どこかで確認してみてください。


    > なんか、貴方の言ってることって、どれも詭弁を弄した屁理屈ばっかりで、あきれるんですけど、一点だけ。

    短く書けば捨てぜりふといわれるし、長く書けば屁理屈だからなあ…。結局どう言ってもお気にめさないんでしょ。せめてどこが屁理屈かくらいは指摘してくれればまだ、事実に即した議論もできるんですが、それをやる気はもともとないらしいですね。


    > 全落ちする人って、たまにいますけど、ほとんどは背伸びをした高すぎる受験計画を立てた方なんですよ。

    だって「校風」とか考えたら、私立ならどこでもいい、ってわけにはいかないじゃないですか?「校風が大事」ってお書きになった方とも思えない。そりゃ偏差値でいえば、どこか入れるところに入れるというのは可能ですが、それでいいんですか?合判の志望校記入だって、6つ埋めるのに苦心しましたよ…。本当に入れたい学校なんて、そうはありませんから。

    私とて偏差値60の子に47くらいまでの併願プランはたててますよ。でもそれだって絶対ってわけじゃない。6年間不本意入学の学校に通わせるより、高校受験で再チャレンジって考えることがそんなに非常識なんですか。「全落ち」はもちろん子どもにショックですが、本人が「ここ以外なら行かない。受かっても通わない学校は受けない」という納得づくなら、「どこでもいいから合格をとればいい」とは限らないでしょう?上の子の受験では1日の第1志望を落ちて3日校を受けにいくだけで、「受かってないって辛いなあ」って味わいましたよ。その上での判断です。あなたにとってはおかしいと思っても、それ以外の判断をする家庭もあるってことを少しは学んだらどうなんです?

    それよりもここまで断固として「公立中学には行かない」と確言されてる方が、「都立一貫校の教科書」なんていうスレにわざわざやってきて見ず知らずの人を思いこみで中傷する、ってその熱意、政治的理由でないとしたら何なんです???

    じぶんの思いこみで、なんの根拠もなくストーリーをつくりあげ、それに反する事実は「なかったことにする」。ある種の人々の思考パターンなんでしょうか。ほんとうに「卑陋で安っぽい」人たちなんですね。少なくとも私は「杉並区民」さんの書き込みからそれを学びました。最近はこのスレ自体、ネットで聞きかじったような謀略史観のコピペ大会に堕しつつあるようで。どんな謀略を信じようと勝手ですけど、それを教科書に載せるかどうか、という話は自ずから別ですよ。


    なんだかものすごーく徒労なことをしてきたような気がします。それでも何人かの方が、私の前回の書き込みを読んでいわんとすることを理解してくださったようです。ありがとうございました。長文の書き込みもまったくの無駄ではなかったということで自分を慰めたいと思います。

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