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【143372】都立一貫校の教科書

投稿者: 失笑   (ID:UOpGQQ6Jofo) 投稿日時:2005年 07月 31日 20:11

旧聞になりますが、来年誕生する一貫校も扶桑社教科書を採用するそうですね。
なんて取り返しの付かないことを....

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  1. 【148823】 投稿者: ミラボー橋  (ID:cmlMsSxLO8c) 投稿日時:2005年 08月 09日 20:48

    歴史ファンさん

    レベルの高い投稿にいつも感服しております。
    先刻は貴台の知に触れてつい調子に乗り、整理もせずに駄文長文を書きなぐり
    皆様にご迷惑かけましたこと、この場を借りて改めてお詫び致します。 
    #といいながら、また長文になるかも・・ (^_^;)    

    かつて、「俺がルールブックだ!」と一喝したプロ野球の名物審判がいたそう
    ですが、スポーツやゲームの予定調和の世界ならともかく、生の人間の営みに
    これを持ち込むわけにはいきませんね。

    私は基本的に、どんな組織であれ、その組織の意思決定システムは属人的で
    あってはならないと思います。リーダーとはいえ人の子、大きな権力を手中
    にしたとき、何かとんでもない勘違いをしないとも限りません。悲しいかな、
    現実には勘違い裸の王様になる例も少なくないようです。最近読んだ元ITT
    最高経営責任者のハロルドジェニーン氏の著作に「アメリカの産業に最大の
    厄災をもたらしているのは経営者のエゴチズムだ」という記述がありました。
    小泉先生もその轍を踏まないようお祈りいたします。

    リーダー論は星の数ほどありますが、リーダーの大切な役割の一つに、ルールの
    守護者の面があると思います。その組織の基本理念を守るルール、メンバーの
    利益を守るルール、そして、自らが暴走しないためのルール。リーダーの人格
    とは、チャレンジングな状況の中で、恣意的な権力行使の誘惑に対し、ルールの
    前でいかに抑制的でいられるかで測れるようにも思います。

    かの勝海舟が咸臨丸での米国視察から帰国し、幕閣の前で帰朝報告をしたさい、
    「米国とわが国の最も大きな違いを一言で述べよ」と求められ、「かの国では、
    身分役職高き者ほど徳高く勤勉で、よく働きまする」と答えたそうです。当時の
    米国のリーダー達は、ピューリタニズムで厳しく自己を律していたのでしょう。

    また、ルールの前に抑制的であるべきとはリーダーだけではないはずです。
    二人以上の人間がいるとき、当然そこには他社との関係性の場があり、コミュ
    ニケーションのルールが存在するべきでしょう。ディベート以前の、普通の議論
    さえ難しいのは、この初歩的なコミュニケーションのルールが未熟な人間には
    容易に破られてしまうからでしょう。

    日本の学校教育でディベートを取り入れる予定はないのでしょうか。
    どうも議論となると、相手の人格攻撃や、本論とは全く関係ない問題の持ち出し、
    聞くに堪えない悪口雑言、売り言葉に買い言葉の泥仕合を見せられ、しばしば
    心淋しい思いをします。
    #まあ、国会からして汚い野次や乱闘をやっているのだから仕方ない?

    ルールある知的スポーツともいえるディベートで、せめてこれからの日本の
    若い世代の頭脳と感性を研ぎ澄ませてもらいたいものです。

  2. 【148833】 投稿者: …  (ID:XrawacC6eS2) 投稿日時:2005年 08月 09日 21:00

    こわい・・さんへ

    こわいですか?
    私が??
    なんで?
    かきこんでる内容が怖い?

    これって、ネット上のあちこちに落ちてる話題ですよ。
    それを拾ってきたんだけど・・・

    恐いのは私じゃなくて、
    今の現実社会で起きていること、
    もしくは起きようとしていること。
    それを知らない人たちが大勢いること。
    わざと一般人には知らせないようにしている人たちがいること。
    捏造した情報を流している人たちがいること。

    こっちのほうが恐いですよ。

  3. 【148845】 投稿者: 本当に・・  (ID:TCJwUz5YqO2) 投稿日時:2005年 08月 09日 21:08

    ミラボー橋 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > リーダー論は星の数ほどありますが、リーダーの大切な役割の一つに、ルールの
    > 守護者の面があると思います。その組織の基本理念を守るルール、メンバーの
    > 利益を守るルール、そして、自らが暴走しないためのルール。リーダーの人格
    > とは、チャレンジングな状況の中で、恣意的な権力行使の誘惑に対し、ルールの
    > 前でいかに抑制的でいられるかで測れるようにも思います。
    >

    横からすみません。
    興味あるお話でしたので・・。
    ご意見に賛同いたします。


    > かの勝海舟が咸臨丸での米国視察から帰国し、幕閣の前で帰朝報告をしたさい、
    > 「米国とわが国の最も大きな違いを一言で述べよ」と求められ、「かの国では、
    > 身分役職高き者ほど徳高く勤勉で、よく働きまする」と答えたそうです。当時の
    > 米国のリーダー達は、ピューリタニズムで厳しく自己を律していたのでしょう。

    イギリスにも、“noblesse oblige”という言葉がありますよね。
    権力と影響力を持つものは他の人を助けるためにその力を使うべきだということですが、
    最近、折に触れてこのことを思い出します。

    > また、ルールの前に抑制的であるべきとはリーダーだけではないはずです。
    > 二人以上の人間がいるとき、当然そこには他社との関係性の場があり、コミュ
    > ニケーションのルールが存在するべきでしょう。ディベート以前の、普通の議論
    > さえ難しいのは、この初歩的なコミュニケーションのルールが未熟な人間には
    > 容易に破られてしまうからでしょう。
    >
    > 日本の学校教育でディベートを取り入れる予定はないのでしょうか。
    ・・・・・・・・・・・・・・・
    > ルールある知的スポーツともいえるディベートで、せめてこれからの日本の
    > 若い世代の頭脳と感性を研ぎ澄ませてもらいたいものです。

    最近、学校でも取り入れられてきているようです。
    うちの子供の小学校でも、国語教育の1つとして、5年生と6年生でディベートをやっていました。
    ノウハウ的なところが主でしたが、参観したところ、結構子供でもできるものだと思いました。でも「むずかすぎるわよねー」と言っているお母さん方も多かったです。

    でも最近100歳近くで亡くなった国語教師として有名な大村はまさんも、「話し合い」を学校で教えなくなった、と嘆いていらしたようです。
    子供たちに自由に話し合いをさせるだけではダメで、タイミングよく、教師が中に入って模範をさりげなく示しつつ子どもたちの力を引き出さないと、と書いていらっしゃいましたが、本当にそうだと思いました。

    「社会」や「歴史」だけでなく、そういう勉強も、ますます必要になりますね。
    ただそれにもまず、模範を示す大人がいないといけないのですが・・・・。

  4. 【148890】 投稿者: ぬるぽ  (ID:vdEq3xcNGC2) 投稿日時:2005年 08月 09日 22:35

    歴史ファン さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > 「人治」か「法治」か、これが問題になっているように思います。
    >
    > 施政者なりが人格者であるに越したことはないと思いますが、
    > やはり、根本的な意味で人間は「変わる」ことがあるし、
    > さまざまな状況の中で「意にそぐわない選択をする(させられる)」こともあると思います。
    >
    > 民主主義国家・日本であるからには、やはり「法治」に信頼を置き、
    > どこかで間違った選択がなされた時には、
    > システムがこれを押し返すような仕組みが必要なのでしょうね。
    > もちろん、システムを運営するのは、他でもない人間ですから、
    > 個々の「ルール」に対する姿勢、ルールを尊守する人への社会的な協力などが不可欠なんじゃないかと思います。
    > (今の日本はこのあたりが非常に弱いと思います)

    自分もほぼ同意見です
    人を見るのも確かに大事ですが、何かあっても最悪の事態が起きないように、また出来ればより良い方向に自動的に修正されるシステムを作ることのほうが大事だと思います
    自分は性悪説を信望しているので、個々人にすべてを任せるシステムは危険だと考えています


    > ディベートが難しいというのも、「意見」より「人」を見てしまうからなのかなと思います。
    > そうだとすれば、儒教的な思考が、まだ色濃く残っているからでしょうか?
    > ご意見をお伺いできたら嬉しいです。

    さすがに日本では儒教の影響はあまりないと思いますが・・・
    むしろ、小さいころから討論をあまりしていないがために討論の方法が判らないからだと思います
    討論にもやはり方法論とルールがありそれにしたがってやらないとスムーズな討論をすることは難しいと思います
    今の人はその方法論等を学校で学ぶ機会がないので、自分で作り出すか勉強するしかないから難しく感じるのだと思います
    また、先入観を捨てるのが難しいことも原因だと思います
    慣れないととどうしても人を見て、それによる先入観に支配されるのが人間ですから、相手の情報を元から持っているとどうしてもその情報に引きずられることになります
    ちょうど狼少年の話がいい例ですね
    普段の印象に引きずられて正しい意見を述べてたとしても周りは先入観から間違ってると思うことは仕方がないと思われます
    正直自分も完全に先入観をなくして討論をする自身なんてありません

  5. 【148958】 投稿者: 歴史への姿勢  (ID:v3cqLJ79sbo) 投稿日時:2005年 08月 10日 01:15

    歴史ファン様

    ご指名(?)頂いていたのですね。何だか光栄です。 今回歴史ファン様のご意見もずっと拝見していましたが、何しろ400以上のレスは凄いですね。
    一つ一つどう言うご意見だったか拝見したいのですが、もしかすると今まで仰った事をまた繰り返して頂くようになるかも知れませんが、その節はお許し頂けますでしょうか。

    正直申し上げますと、今のところ私が言いたいことは、ミラボー橋様と、本当に様のお二人が、それぞれのレスで、私の考えをはるかに上回る、優れたご意見を書いていらっしゃるので、今の時点では、これ以上付け加えるような事は、何もないように思います。

    特に、ミラボー橋様の、
    >リーダー論は星の数ほどありますが、リーダーの大切な役割の一つに、ルールの
    守護者の面があると思います。その組織の基本理念を守るルール、メンバーの
    利益を守るルール、そして、自らが暴走しないためのルール。リーダーの人格
    とは、チャレンジングな状況の中で、恣意的な権力行使の誘惑に対し、ルールの
    前でいかに抑制的でいられるかで測れるようにも思います。

    というくだりは、私が一言で人格者とか、人徳、と言った事を具体的に述べて下さっているのだと思いました。

    子どもは黙って大人の言う事を聴き、国会などでは大人が罵り合っている、これが小学生の時私が感じた、この世界の不思議だった覚えがあります。 
    アメリカに住み始めて、始めて授業でディベートを体験し、成程こうすれば、子どもから大人まで、相手を尊重しつつ、理論を展開(ここが最重要で、ゲームのようにチームでポイントを競い合う、相手を罵るなどルール違反は大きくポイントを失う)し合って、お互いを理解することができるのだな、と思いました。

    申し上げるまでもなく島国なせいか、日本の常識が相手国の常識ではない(逆もまた真)ということで、余計な誤解を招くこともあるのかも知れませんが、それより、こう言う議論(意見の交換)の仕方(日本で議論というと、口論と同義語だったりしますので)や理解の仕方があると言うのを皆が知れば、社会のコミュニケーションも円滑になり、また外交・国際関係で戦争を未然に防ぐ上でも重要なポイントだと思います。 

    私も是非、将来を担う子供たちの教育に取り入れていって欲しいと思います。





  6. 【148969】 投稿者: 歴史への姿勢  (ID:v3cqLJ79sbo) 投稿日時:2005年 08月 10日 01:33

    すみません、追記です。
    遠い記憶で、是非どなたかに補足や修正して頂きたいのですが、よろしくお願い致します。

    ディベートでは、クラスの前で2チーム(複数)で1つのテーマについて自分の意見と関係なく賛成側、反対側に分かれて行います。
    論理的でない罵倒中傷の意見は最大の減点、それが意見に対してでなく、相手のパーソナリティー(人格)や人種、外見などに対しての場合、当然、全て失点(そのメンバー側のチームはそこで負け、終了、退場)だったと思います。 
    リーグ、総渡り戦、勝ち抜き戦などがあります(大体2〜3回の授業で終了)。

  7. 【149033】 投稿者: 責任をあやふやにする国と国民  (ID:gXMaEXeRlRE) 投稿日時:2005年 08月 10日 09:04

    リーダーについて
    敗戦後の引き揚げを経験した父がしみじみと言っていました。
    普通は学歴、経験等で組織のリーダーが決められるが、人の集まるところには必ずリーダーが必要になり、敗戦等の非常時にはリーダーになる人は学歴、経験などに関係なく選ばれる。
    抑留時、引き揚げ時には自然にそれなりの人がリーダーが選ばれたそうです。
    自分たちの命が懸かっているので当然ですね。

    雑談ですが今回の郵政ドラマは大変面白かった。
    自民党の造反組みは手続き不備等を反対の理由に挙げているが、本音は民営化に反対か、役職に個人的に不満を抱いている人が反対したのだと思う。
    賛成なら手続き等を問題にしないだろうし、大した問題ではないと思っているならわざわざ造反をしないと思う。
    ただストレートに民営化に反対だとは言いたくない。(改革反対と言われたくない。)

    これは何にでも当てはまることで、ある考え方に反対であれば反対するために些細な問題でもあげつらおうとする。
    基本的な態度が決まっていない人は、是々非々で考えようとするから賛成の人の意見を聞けば成る程と思い、反対の人の意見を聞けばまた成る程と思う。
    だから自分のスタンスを決めないと個々の行動の是非の判断はできないと思う。
    どうしてもスタンスを決められない人は少なくとも自分のスタンスが定まっていないのを自覚をする必要はある。

  8. 【149053】 投稿者: 歴史ファン  (ID:lZUkO.rkwTI) 投稿日時:2005年 08月 10日 10:02

    ミラボー橋 さんへ

    > レベルの高い投稿にいつも感服しております。
    > 先刻は貴台の知に触れてつい調子に乗り、整理もせずに駄文長文を書きなぐり
    > 皆様にご迷惑かけましたこと、この場を借りて改めてお詫び致します。 
    > #といいながら、また長文になるかも・・ (^_^;)

    いえいえ、私が長文投稿の元をつくりましたんで(>_<)
    書いて投稿するので精一杯で、そこまで頭がまわりませんでした。
    でも、結構、いくつかのポイントはでてきてますね。
    解説的なことは多少、省きながら、お話を続けられたらと思ってます。

       

    > かの勝海舟が咸臨丸での米国視察から帰国し、幕閣の前で帰朝報告をしたさい、
    > 「米国とわが国の最も大きな違いを一言で述べよ」と求められ、「かの国では、
    > 身分役職高き者ほど徳高く勤勉で、よく働きまする」と答えたそうです。当時の
    > 米国のリーダー達は、ピューリタニズムで厳しく自己を律していたのでしょう。

    江戸時代の官僚というのは「士」(本来は士大夫ですが、日本では武士がこれに当たります)ですから、
    中途半端な礼教体制の結果、身分が高ければ高いほど、額に汗する労働とは無縁だったのでしょうね。
    そういう日本の常識では測れない、プロテスタント国家に触れて勝海舟も驚いたことでしょう。
    上杉鷹山公の藩改革が難航したのも、労働を厭う「士」の抵抗がことのほか強かったからだと聞いたことがあります。

    今でもアメリカの中〜上流といわれる家庭には、こういった勤勉さが色濃く残されていると思います。
    残念ながら、広く一般にとは言い難いのが現状ですけれど。
    それでもアメリカが凄いと思うのは、ルールに対しての姿勢というんでしょうか、
    とくに公共面では、日本より数段、うるさいと思います。
    悪ガキやトンデモは確かに居るけど、
    これに対する社会の見方が一致している安心感(連帯感)が「まだ」あります。
    小さなルールを守ることが、すなわち自分を守ることになるという実感があるのでしょうね。

    これまではともかく、ここから先の世界では、
    やはり「人」にだけ頼るわけにはいかないように思います。
    優れたシステムとルールによる監視があってこそ、人の能力が生きるのではないかと思います。

    小泉ライオンハート首相にあまり未練はないのですが、
    猪瀬直樹氏には、どこかに残ってもらいたいなぁと思ってます(笑)。
    実際にお会いすれば、きっと癖のある方なんでしょうけれど、お仕事はとっても素晴らしいので。


    > また、ルールの前に抑制的であるべきとはリーダーだけではないはずです。
    > 二人以上の人間がいるとき、当然そこには他社との関係性の場があり、コミュ
    > ニケーションのルールが存在するべきでしょう。ディベート以前の、普通の議論
    > さえ難しいのは、この初歩的なコミュニケーションのルールが未熟な人間には
    > 容易に破られてしまうからでしょう。
    >
    > 日本の学校教育でディベートを取り入れる予定はないのでしょうか。
    > どうも議論となると、相手の人格攻撃や、本論とは全く関係ない問題の持ち出し、
    > 聞くに堪えない悪口雑言、売り言葉に買い言葉の泥仕合を見せられ、しばしば
    > 心淋しい思いをします。
    > #まあ、国会からして汚い野次や乱闘をやっているのだから仕方ない?

    「和をもって尊しとなす」があまり正しく運用されていないですよね。
    ただ、言わないだけだったりして。
    そこにボーカル・マイノリティ(声の大きな少数派)が居ると、事はどんどんあらぬ方向に流れてしまう。
    でも、みんな何も言わないんですね。結局、何を言われるかわからない、後が恐いということなんでしょうけど。
    私自身、何度も経験がありますが、このボーカル・マイノリティに対抗するのは、本当に難しいことです。
    最近では年の功か、静かにグサッと一突きできるようになりましたが(笑)。
    問題は、議事進行の手順がまったく徹底していないために、起きるのですね。
    議長は「意見」ではないものを排除しなくてはならないのに、それができないし、
    参加者は参加者で、全体の力(民主であること)を信用していないので、様子見に終始してしまって…。
    運用してこそのルールなのに、使えないのは、日本人はのぼせやすいんでしょうかね?

    これからの子供たちには、ぜひディベートをと思いますが、
    その前にともかく国語教育の充実が考えられるべきでしょうね。
    外国ばかりが良いとは思っていませんが、フランスの徹底した国語教育を見ると
    (すべてのはじまりに国語ありきといった感じです)
    日本にしかない日本語なのだから、もっともっと大事にしなくてはと思いますね。

    数学では能力を競う大会などがあるようですが、
    国語能力が高くても、ちっとも目立てない(いいことがない)のが今の日本じゃないでしょうか。
    漢検や作文コンクールだけじゃ総合的な国語能力とはいえないですしね。
    小学生〜高校生くらいまでを対象にした論文&弁論コンクールとか、
    各市町村単位くらいで、優秀な子供たちを抜き出して行うハイレベルな国語講座があってもいいと思ってます。

    他、お返事をいただいておりますみなさん、ありがとうございます。
    少しずつになってしまいますが、お返事させていただきますので
    ごめんなさい、今少しお時間をくださいね。

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