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【143372】都立一貫校の教科書

投稿者: 失笑   (ID:UOpGQQ6Jofo) 投稿日時:2005年 07月 31日 20:11

旧聞になりますが、来年誕生する一貫校も扶桑社教科書を採用するそうですね。
なんて取り返しの付かないことを....

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  1. 【149762】 投稿者: 本当に・・  (ID:HY.7hJhB2/s) 投稿日時:2005年 08月 11日 18:39

    平和とは さんへ:
    -------------------------------------------------------
    >
    > では、このとき自分の子どもを殺すといわれたらどうしますか?
    >
    お分かりのように私はこの答えを書きましたが、
    全部お読みいただけたでしょうか。
    「分かりません」という答えで満足なさったのかもしれませんが、
    それが「愚かな独りよがりのリーダーに命を捧げる」ことではないことはもとより、
    「平和とは」様の先に述べておられた、
    「自分の精神に身を投ずる」という純粋な若者への矛盾を指摘しているということを
    理解していただけなかったようですね。

    敵に言われても味方に言われても、
    「子どもを殺すといわれたとき」自分がどうするかということは、究極の人間としての行動です。
    味方が言うことだってありますよね。
    戦争とはそういうものです。
    そして子供を殺す親だっていました。
    そのときの状況でそのことを非難できるものではありません。
    自分も死んで、子供も殺すか、ほかにも子どもがいるなら赤ん坊を見捨てるか、
    そういう究極の選択を民衆に強いるのが戦争ではないですか。
    子供のために敵を殺すとは限らないですよ。

    >
    > さてあなたは「自分に味方する周りの人々がみんなでそのリーダーを倒すかもしれません。」と書かれました。リーダーは一人でなく、リーダーの仲間もいます。武器も豊富です。あなたを応援してくれる仲間もいます。武器も提供してくれます。こうしてあなたも戦いに参加していくことになるのです。

    確かにこの例は調子に乗って、あなた様に都合のいい材料を提供してしまいましたね。
    わたしは集団の争いになることは想定しなかったので殺されないひとつの方法として書いたのですが。
    でもなるほどと思いましたよ。

    ただ、国同士の戦いにはその前に知恵を出し合うチャンスが約束されているのだと思います。
    独裁でない限り、知恵のあるものが阻止する方法を考える余地があるのではないかと。
    それを信じる立場で「阻止できる」戦争でありたいといっているのです。
    「阻止しようとしてもできないのが戦争だ」という立場で物事を見ていくと、
    現実がそれに近づいていく不安を感じます。
    現実を見ないのではなく、
    人間として究極の選択をさせられる戦争を何とかして阻止しなくてはならないという
    そういう理念を真っ先に出していかなければ、疑心暗鬼でお互いへの不信感から戦う方向へと世の中を導いてしまうのではありませんか?
    そしていざというときの準備が整いすぎると、
    それを試したい、試して見せつけたいという心が絶対に生まれるのです。
    他国になめられないことは必要です。
    でもそれって軍備でしかできないことなのでしょうか。
    そうだとすると、あまりに悲しい生きものですね、人間って。





    >
    > なぜ戦争が起きるのか、実に人間が人間でありたいと思う本質に根ざしたものなのです。お互いの正義の争いなのです。
    > 「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人
    > の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」
    > 私がこの文を出した理由が解ってもらえましたか?
    >
    >


  2. 【149808】 投稿者: ぬるぽ  (ID:Ni4rVziVues) 投稿日時:2005年 08月 11日 20:42

    責任をあやふやにする国と国民・本当に・・さんへ:
    -------------------------------------------------------
    ホークスさんの息子さんの件でお二人とも止めなかった先生を批判していますが、喧嘩を許可したことが何故駄目なのでしょうか?
    現在の教育現場の環境を鑑みるに先生方が子供たちの喧嘩を止めなかったとは思えません、またスポーツ等の次善策を提示しなかったとも思えません
    しかし、その上で最終的に子供たちの意見を尊重して喧嘩による解決を認め、喧嘩が行きすぎないように見守っていたのだと思います

    そもそも、今回の件は子供たちが自発的に解決策を考え、自分たちが納得できる方法を考え出したのでしょう
    その子供たちが決めた方法を横から来た先生が奪っても良いのでしょうか?
    そんなことばかりしていたら子供たちの自立心はいつまでたっても育ちませんよ
    いつもいつも先生の顔色ばかりうかがって自分たちの意見を出せなくなると思います
    それに、仮に無理矢理スポーツで決着をつけたとしても、負けた方は自分たちで考えた方法でないのですから納得できずにまた何か騒ぎがおきたと思います
    それでは根本的な解決になっていません、ただの先生の自己満足です

    今回のように問題が起こった時にもっとも先生方のしなければいけないことは無理矢理喧嘩を止めることではなく、喧嘩の原因となった物を取り除く事だと思います
    その上で、喧嘩を回避できるのであればもちろん回避するべきです
    だが、喧嘩が回避できないのであれば、大事にならないように見守りつつ喧嘩をさせれば良いではないですか
    それで子供たちもスッキリ出来るんです
    そもそも、喧嘩が何故いけないのです?
    今回の場合先生が見守っているのですから、ルールのある格闘技と一緒です
    もちろん、無制限の暴力が振るわれるのは問題ありますが、今回のようにやりすぎないように制限する人がいる上で喧嘩を解決法に用いるのに問題があるとは思えません
    それとも、格闘技は犯罪ですか?
    自分の子供時代を思い出すに、どうしても喧嘩をしなければ納得できないという時に無理矢理止められるとその方がよっぽど遺恨を残しそうでした


    話はすこしそれますが、自分はただ戦争反対と唱えてる人の考えが理解できません
    そのように言う人はただ反対と言うだけででなく、何をとち狂っているのか自衛隊がいるから戦争になる等という人までいます
    考えてみてください、自分が犯罪をおこさないからといって世間から犯罪が無くなるのですか?
    無くならないからこそ警察組織があるのでしょう
    これを戦争に拡大して考えると、国同士に絶対的な力をもった国際警察のような組織がないのですから、各国で自衛するしかありません
    そのための戦力である自衛隊を無くすなんて論外です
    現在戦争を無くす一番の方法は、相手に戦争をさせる気を無くさせるほどの軍事力を持つのが一番早いです
    冷戦の時の米ソのように互に戦争をおこせばただですまないほどの軍事力を持っていれば戦争は起こらないんです
    起こらないと言うより、起こせないんです
    起こしてしまうと自国も滅亡してしまいますからね
    ということで、自分は日本の軍事強化に賛成します
    戦争を無くしたいのであればアメリカのように誰も逆らえないように強くなればいいのです
    戦争を無くすために武力放棄のようなことをするのは、ただの馬鹿か共産主義者のような理想主義者だけです
    世の中はやっぱり弱肉強食です

  3. 【149850】 投稿者: 本当に・・  (ID:HY.7hJhB2/s) 投稿日時:2005年 08月 11日 21:49

    ぬるぽ様

    喧嘩のことについてですが・・・

    その場にいなかったので書かれたことで判断するのはお互いやむを得ませんね。
    「子供たちの意を汲んで」と確かに書かれていたので、
    先生が「やれ」と命令したとか促したというのでないことはわかります。
    でも、ぬるぽさんのおっしゃるように、その他の方法をはじめに提案したかどうか、分かりませんよね。

    ぬるぽさんも書いていらっしゃるように
    できれば喧嘩は回避すべきですよね。
    この状況において先生が見守っていたのは正解ですが、それ以前に、
    教師というものは近所のお兄ちゃんと同じ立場ではいけないということです。
    それが教師のけじめというものではと思います。

    仮にも知的な部分を受け持って子供を育てる場の学校において
    「喧嘩」ということを公に肯定してはいけないと思いますよ。
    教師と言うのは、いわば教室の中の権力を持つリーダーなのです。
    その自覚がないということが問題なのでは?
    繰り返しますが、近所のお兄ちゃんとしてやったのならいいのです。
    腹が立つなら先生を殴れ、といったのならまだいいでしょう。
    身を挺して解決を図るリーダーとして認められます。
    スッキリするからってなんでもやっていい?
    我慢ということを教え、時にはどちらが悪いかはっきり決められないこともある、ということを子供に教えるのが教師であり大人ではないのですか?

    あとのご意見で、平和を維持するのは軍備を強化するのが一番だとおっしゃっていましたが、世界のリーダーが、核抑止力の考えから脱却しようとして話し合いをしているのをご存知ですか?
    ひとつの国でも持っていたら解決になりません。
    それを手放すことこそ勇気ある決断と思います。
    手放すと言って持つ国もあるかもしれません。
    そういう国をどうやって説得するか納得させるかに、心と頭を痛めているわけでしょう。
    そういう努力をあざ笑うのですか?
    「なんだって最後は力の強いほうが勝つのさ」と、ご自分の子どもさんにも日々おっしゃっているのでしょうね。
    根本的に価値観が違うように思います。

  4. 【149906】 投稿者: 歴史への姿勢  (ID:v3cqLJ79sbo) 投稿日時:2005年 08月 11日 23:23

    先程はあまり時間が無かったので、今読み返すと、相当レスを頂いたままになっており、それに関してこちらも書きたい内容がかなりありました。
    本当に様と同じく、あまりに価値観が違う方達だと感じますし、反論を用意した詭弁で得意になるだけの事だと思われる方もいらっしゃいます。
    一つ一つ丁寧にレス、と言うわけにいかないので、今までに思った事をまとめてみたいと思います。

    教科書賛成の方達は、結局、教科書→戦争支持論に突入したままで、どなたも日本の現状を細かく改善(善のほうです)していく努力より、ご自分たちのお子さんが、例え女の子であろうと、戦争に巻き込まれる方を選ばれるようで、何か、ロード・オブ・ザ・リング(のリングを見つけるまで)の世界に入るような気分がします。

    実際戦争になれば、どなたかがおっしゃったように、リングを見つけるどころか、瞬時に核弾頭を浴びて灰の国、という凄まじさです。
    極論を言えば、教科書・戦争両方支持の方は、それまでどうするか、と言う位の「愚かな人類の終末の仕方」について論じている、ということになりますね。

    社会の現状改善に努力する事を放棄しているとしか思えません。

    どうしてこれが、大人がこれからの子ども達、私、またあなたの子ども達に用意しなければいけない世界なのでしょうか?

  5. 【149952】 投稿者: 心配性  (ID:qWQrpobDTho) 投稿日時:2005年 08月 12日 00:51

    純粋な若者は命を捧げるものを探している。これが怖いのです。
    靖国で若者の死を美化すればあこがれる若者が生まれるということです。
    尊い犠牲は同じようなことで若い命を落とさないために悲しい体験として伝えるべきです。決して神となって後から続く事を奨励すべきでは無いと思います。
    平和ボケとか言われますが、戦争止む無しが一歩でも現実に踏み出せば恐ろしいことです。特に日本人は生より死を美化したがる傾向が有ります(歴史上)。
    自分の命を粗末にする者は他人の命を奪うことを軽く考えます。
    反対の人間を暗殺する事は、国家の為に役立つと思うのは容易です。
    行け行けどんどんが勇ましくかっこよく見えるのです。
    よって安易に教科書で戦争を肯定しては将来が怖いのです。教えるべきは戦争の悲惨では無いでしょうか。そのためにも知恵を出す努力を促すべきです。
    武器を持つと人格が変わります。しかしながら、警察が犯罪者を捕らえる為の武器と軍隊の武器では意味が全然異なると思います。
    戦争の悲惨さを御存知の後藤田さん達が今の風潮を心配していらっしゃいました。
    悲惨な戦争体験を知らない人ばかりになるとこの風潮がさらに増すのでしょうね。
    あの読売の渡辺さんでさえ陸軍はひどいものだったと怒っておいでのようでした。

  6. 【149973】 投稿者: 歴史ファン  (ID:lZUkO.rkwTI) 投稿日時:2005年 08月 12日 02:56

    歴史への姿勢さん、ミラボー橋さん、他、返信をいただいているみなさま

    ちょこちょこと返信を書いていたのですが、
    スレッドの流れについていけず、今日1日でものすごく議論が発展してしまったので(^_^;)
    これから書くことで、返信に代えさせていただきたいと思います。

    どうしても気になっていることから、挙げさせていただきますね。

    まず、noblesse oblige ですが、

    高い身分には(道徳上の)義務が伴うこと.
    三省堂提供「EXCEED 英和辞典」より

    ということです。身分制度があった時代の言葉ですから、
    このまま運用は出来ませんが「責任ある立場に課せられた道徳的義務」というのが一般的な解釈でしょう。
    ホークスさんが引用しておられたウォータールーの戦いに関するウェリントン公の見解というのが
    まさに、これを指して使われた言葉かと思います。

    現代では、制度としての身分はありませんので、ひとりひとりに「道徳的義務」が課せられており、
    庶民と言えども(身分制度があった時代より)より高度に発達した人間になるべく努力することが求められています。
    そのなかで、国を左右するような決定権を持つ(責任の重い)方々の道徳的義務は当然のこととしてありますが、
    これを言い表すのにでしたら noblesse oblige は、ちょっとそぐわない表現ではないのかなと思います。

    ま、大臣たちが集まってですね、「spirit of noblesse oblige で、国民のために行動する」とでも言うのなら
    これは歓迎すべきだと思いますし、また、官僚の汚職などの際に、
    「spirit of noblesse oblige はどこへ行った?」とかいうのならわかりますが。
    比較的使用方法が限定される言葉なので、あまり拡大解釈すると違うものになってしまうかなと思います。


    > 教科書賛成の方達は、結局、教科書→戦争支持論に突入したままで、
    >どなたも日本の現状を細かく改善(善のほうです)していく努力より、ご自分たちのお子さんが、
    >例え女の子であろうと、戦争に巻き込まれる方を選ばれるようで、
    >何か、ロード・オブ・ザ・リング(のリングを見つけるまで)の世界に入るような気分がします。

    歴史への姿勢さんだけのことではありませんが、
    よくある議論の食い違いになっているかと思いますので、引用させていただきますね。

    まず、推論で話を進めるには、その根拠を書く必要があると思います。

    >戦争に巻き込まれる方を選ばれるようで、

    これは、根拠を説明されずに言われた側からすると、非常に気分のよろしくない言葉だと思います。
    このスレでは、意見はいろいろでも「戦争はイヤ」と、
    大抵の人は思っているというポイントを、確認したはずではなかったですか?
    そこで「戦争に巻き込まれる方を選ばれるようで」と言うからには、確固たる根拠(個人の考えでいいのですが)は必要でしょう。

    同じく

    >教科書→戦争支持論に突入したままで、

    これも、ここまで書くからには、解説がいるのではないでしょうか?
    十分、読み込めたかどうかはちょっと不安ですが、
    ここまでを読んできて、軍備を必要と言う方はおられても、
    戦争支持(現在、戦争やむなしということですよね?)を明確にしている方というのはなかったように思います。

    たくさんのレスに答えるのが無理なのは、私も同様ですが、
    テーマがテーマだけに、やはり、端折ってはいけないこともあると思いますよ。
    こういう流れを作ってしまっては、単なる対立にしかならないんじゃないでしょうか?

    > 実際戦争になれば、どなたかがおっしゃったように、リングを見つけるどころか、
    >瞬時に核弾頭を浴びて灰の国、という凄まじさです。
    > 極論を言えば、教科書・戦争両方支持の方は、それまでどうするか、と言う位の
    >「愚かな人類の終末の仕方」について論じている、ということになりますね。

    全体の意味がとりにくいので、部分から。
    「愚かな人類の終末の仕方」と書いてありますが、
    これでは意見の違う相手を間接的に「愚か」と言っていることにしかなりません。
    さらに全体の意味を勝手に解釈して考えれば、
    なんで「教科書・戦争両方支持の方は」であって、一緒に論じている反対意見の人は含まれないのかが疑問です。
    瞬時に灰の国になる時は、みんな一緒なんじゃないでしょうか?
    意味のはっきりとしない「区別」は、「差別」にしかつながらないと思うのですが。


    > 社会の現状改善に努力する事を放棄しているとしか思えません。
    > どうしてこれが、大人がこれからの子ども達、私、またあなたの子ども達に用意しなければいけない世界なのでしょうか?

    たとえば国内の現状改善に努力することが、
    すなわち戦争の可能性を低くするという理論のポイントくらいは書かないと
    「決めつけ」になってしまいませんか?

    このスレでは、何度も確認したと思いますが、
    茶化し行為等を除いては、根本的にはみんな良かれと思っての意見なはずです。
    本当に・・さんの「根本的な価値観が違うように思います」という発言もそうなのですが、
    それぞれの社会参加の仕方や価値観の違うところで、
    「でも」何かわかるかもしれないから話そうという試みなんですから、
    こういう書き方は、ある意味、禁じ手だと思います。

    どうしても書きたかったら「放棄してますか」とか「暴力肯定ですか」等の確認が必要でしょう。
    くだらないですけどね。
    民主主義と同様に、「人」を見ないで「意見」を見るというのは、ひどく手間のかかる作業だと思います。
    この作業を根気よく続けること、
    そして「各論賛成総論反対」ではなく、大局を見ることを忘れてはならないと思います。

  7. 【149981】 投稿者: ホークス  (ID:x6UmeJNjsMQ) 投稿日時:2005年 08月 12日 05:04

    愚息の「喧嘩」の件についての追加をさせて頂きます。(不快な方は飛ばしてね)

    説明不足だったかもしれません。失礼しました。
    先生方に知らされたのは、代表が戦い始めて暫く経ってからです。
    子供たちが自分たちで話し合って、皆で喧嘩するのではなく、代表を選ぼう、
    という事になり、双方対等と思われる体格、運動能力の代表を選択したようです。
    愚息が志願したわけではありません。相手側同様、選ばれて「お前出ろよ」と
    いう形になったようです。
    で、戦いが始まって、女の子が知らせに職員室に走ったわけです。
    戦う二人を取り囲む2クラスの子供たち。事情を聞いて、先生方は暫く見守り、
    頃合を見て、仲裁に入りました。
    日ごろは、喧嘩に非常に厳しい先生でしたし、弱いもの虐め等は決して許さない
    方でした。愚息はその先生大好きでしたよ。
    その日の内に、先生からお電話で、「今回は、叱りませんでした」というご報告を
    頂戴しました。

    私としては、いい先生に恵まれたなあと思いました。男の子が正々堂々とフェアに
    喧嘩というより、戦いを行おうとする時、その機会を全て取り上げてしまうのが、
    いい事なのか、軽く経験させておく事も大切ではないかと思ったからです。
    原因は些細な事ですから、「お話し合い」や「お相撲」できれい事にしてしまう事も
    大人の判断として、あったのかもしれませんが、先生の判断を正しく思いました。
    が、それを聞いたほかのお母様方が「暴力を許すなんて!」と大変なお怒りだった
    わけです。ご自分のお子さんがけしかけていたかもしれませんのにね。
    暴力とフェアな戦いの違いも無いのが、戦後教育なんだと思ったわけです。

    日本の自衛隊が、救助はするけど、人を誤って殺してしまうといけないから、
    オランダ軍に護ってもらいます。闘いになったら、私たち隠れます。
    というのに似ていませんか?
    日本の自衛隊の皆様が、現状を喜んでいるとは思いませんが、国民の総意が彼らに
    その様な、世界基準から鑑みると「卑怯」「偽善」と見做される様な、無様な
    「軍隊」に位置づけているのです。

    こんな事書くと、また戦争大好き人種にされてしまうかもしれませんが、そろそろ
    日本人も現実を見る時期ではありませんか?

    心配性さんからの引用部分です。

    <武器を持つと人格が変わります。しかしながら、警察が犯罪者を捕らえる為の
    <武器と軍隊の武器では意味が全然異なると思います。
    <戦争の悲惨さを御存知の後藤田さん達が今の風潮を心配していらっしゃいました。
    <悲惨な戦争体験を知らない人ばかりになるとこの風潮がさらに増すのでしょうね。
    <あの読売の渡辺さんでさえ陸軍はひどいものだったと怒っておいでのようでした。

    最初の武器の意味合いが違うという部分に、よく揶揄される「XXの核はきれい」
    という言葉を思い出して、少し皮肉に笑ってしまいました。失礼ですね、私は。
    武器は同じです。基本的に攻撃大好き人以外は、防衛のために武器使用をしますね。
    犯罪者も戦争時の敵国も国民の安全を脅かすという意味合いにおいて、同じでは?
    それの征伐に使う武器は同じでは?

    後藤田さんについての評価は分かれると思いますよ。現在の東アジアの於ける日本の
    摩訶不思議な位置づけを作るきっかけになった時の官房長官ですからね。
    国際的に決着の付いていた問題を蒸し返して、個人として謝罪するのは結構ですが、
    日本国の代表として謝罪、賠償保障、歴史的に事実として存在するかどうか疑問な
    事件の容認、などなど、これから何代にもわたって禍根を残す事をした、という
    見方もあります。(さらには、謝罪・賠償利権も存在していたという話もある)

    渡辺さんのひどいものだったですか。そうでしょうね。軍隊は全てそうです。
    だれも好んで戦争に駆り出されたわけでもなく、護国と思って出征したのだと
    思います。だからこそ、私たちはあの時の歴史事実を知る必要がありますし、
    悲劇の中からも冷静に学ぶ知性が要求されるのでしょうね。義務だと思います。
    あの方々の犠牲の上に成り立っているわけですから。

    長々と失礼しました。






  8. 【150004】 投稿者: 責任をあやふやにする国と国民  (ID:gXMaEXeRlRE) 投稿日時:2005年 08月 12日 08:56

    責任をあやふやにする国と国民・本当に・・さんへ:
    -------------------------------------------------------
    >ホークスさんの息子さんの件でお二人とも止めなかった先生を批判していますが、喧嘩を許可したことが何故駄目なのでしょうか?
    >現在の教育現場の環境を鑑みるに先生方が子供たちの喧嘩を止めなかったとは思えません、またスポーツ等の次善策を提示しなかったとも思えません
    >しかし、その上で最終的に子供たちの意見を尊重して喧嘩による解決を認め、喧嘩が行きすぎないように見守っていたのだと思います

    >そもそも、今回の件は子供たちが自発的に解決策を考え、自分たちが納得できる方法を考え出したのでしょう
    >その子供たちが決めた方法を横から来た先生が奪っても良いのでしょうか?
    >そんなことばかりしていたら子供たちの自立心はいつまでたっても育ちませんよ
    >いつもいつも先生の顔色ばかりうかがって自分たちの意見を出せなくなると思います
    >それに、仮に無理矢理スポーツで決着をつけたとしても、負けた方は自分たちで考えた方法でないのですから納得できずにまた何か騒ぎがおきたと思います
    >それでは根本的な解決になっていません、ただの先生の自己満足です

    私の書いた文章をよく読んで下さい。
    子どもが喧嘩をするのを悪いと言っているのではありません。
    先生が立ち会っていた点が問題だと言っているのです。
    子どもの喧嘩は日常で当然のことであるし、成長のためには必要であると思います。
    喧嘩を否定する必要はありませんが、仮にも先生であるならば話せばお互いのことが理解でき、立場によっていろんな正義が存在するんだということこそ教えるべきだったと思います。
    喧嘩で解決しようとするのは一見カッコよさそうに見えますが、話し合いを放棄しているのです。
    (こどもだけなら普通のことですが。)
    どこまで真剣に議論したか。
    力による喧嘩でなければ解決できない問題だとは思われません。
    子どもだけによる喧嘩であればまた別の教育的側面はあると思いますが。
    それと私なら先生がきた時点で、お互いにやめようやと言いますがね。
    先生の前でやる喧嘩なんて本当の喧嘩ではありません。

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