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投稿者: 失笑 (ID:UOpGQQ6Jofo) 投稿日時:2005年 07月 31日 20:11
旧聞になりますが、来年誕生する一貫校も扶桑社教科書を採用するそうですね。
なんて取り返しの付かないことを....
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【156240】 投稿者: 何気に板違い (ID:NimsFvq2VOI) 投稿日時:2005年 08月 24日 19:05
中学*受験*板なんですけどね?教科書の話は教育論板でどうぞ。
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【156320】 投稿者: 脱洗脳 (ID:SJjoOykWjB6) 投稿日時:2005年 08月 25日 03:51
>不戦の僧侶さん;
>そして、軍備を持つ(今の憲法の枠を変えること)ことが戦争を想定したものと思うからです。
ここのところがどうも理想主義者にはわからないようですね。繰り返しになりますが、民主独立国家として、自国を自分たちで守る国防というのは外交などと同じく、<あたりまえ>のことなのです。その<あたりまえ>のことが、戦前軍国主義の道を歩んだという経験のもとに日本では<あたりまえ>でなくなっているのです。
いいですか、たとえば、今の日本の法律では、日本の領海に不審船が現れても漁業法違反では相手を傷つけるような射撃は許されていないのですよ。だからこそ奄美大島沖に沈んだ工作船に海保の船長は船体をぶつける形で接近し、相手からの攻撃を受けた段階ではじめて応戦したのです。まさに先制攻撃ができないから、死ぬ覚悟で相手に近づいたのです。相手からは激しい銃撃をうけましたけど。 99年の能登半島沖の不審船事件でも、相手めがけてミサイルを発砲することは許されてないから、相手の船は傷つくこともなく、悠々と逃走したのです。
こんな理不尽なことってありますか。 国際社会の常識を理想論者はもっと知るべきです。
日本が、断固として自国の海は自分たちで守るという国家としての意志を示すことが、結果的に
平和につながるのではないですか。
理想論者は常に感情論に終始して終わりですが、(感情的には、軍隊ももたず、どの国も平和でいられるなら、こんないいことはないと思いますが。)具体的に、現実の国防の問題をどうするか、
という問いに対する回答をみたことがありません。 -
【156361】 投稿者: 不戦の僧侶 (ID:IukBEkgSFZg) 投稿日時:2005年 08月 25日 08:47
国を武力で守りたい皆様へ:
具体的に国防の問題をどうするか、今の憲法の枠組みで十分だと考えます。
枠があるからこそ宣戦布告といういいがかりを付けられずにすんでいるという恩恵をもっと考えるべきでしょう。
国際社会にあって、日本の理想を貫いた憲法を評価する国は多いのです。それがイラクへの自衛隊派遣で、再び軍国国家になった、アメリカと同じと捕らえる人は増えました。イラクで実際暮らしている日本人が報告で言っています。
まさに隣国も世界も今、日本ので方を注目しています。挑発に乗ったらそれで日本の守ってきた唯一の原爆被爆国からの平和の発信というもっとも誇るべき立場を失い、ただの軍事2,3流国になってしまうだけです。
領海内に入ってきた船をこちらから攻撃し、(相手の挑発に乗り)それを宣戦布告のようにとられて戦争の理由を与えてしまう危険より、悠々と逃走させるほうがいいではありませんか。なぜ戦いを選ぶのか、まったく理解できません。
戦う自由が与えられていないからこそ守られるものの大きさを私たちは忘れかけているのですよ。
「国際社会の常識」ってなんでしょう。
立場によって常識は正義と共に変わります。
軍縮が叫ばれている世界にあって、今脅威論が台頭する隣国を想定し、この日本が自ら軍国化することこそ、願ってもない国々があることを忘れてはいけません。
匿名の掲示板は、現在しばしばナショナリズムの台頭に利用されます。
中国の反日デモもそうやって大規模な力になりました。
北朝鮮でもメディアの力はすごいです。
まるで戦時中の日本と同じと70後半の母たちは言っています。
活字によって人はデマでも信じ、感情をエスカレートさせていきます。
知らない人が書いていることは疑ったほうがいいですよ。
「事実」と書かれていること、言われていることが本当に「事実」であるか、その確信がもてないうちは、「理想論」のほうが安全です。
隣国の脅威を煽り立てる言動にはくれぐれも注意しないと、知らずのうちに自分の中の不安が相手への戦意に変わっていくのです。
これは私の自分自身の心に沿った考えです。
本当の理想論を排除しつつ、現実主義者は自分を納得させる正当と思われる論理に結局は理由を求めているのです。その論理の真実をもう一度自分の頭で考えてみてください。
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【156403】 投稿者: 脱洗脳 (ID:nAfJFJoSyGI) 投稿日時:2005年 08月 25日 10:01
不戦の僧侶さん:
>領海内に入ってきた船をこちらから攻撃し、(相手の挑発に乗り)それを宣戦布告のようにとられて戦争の理由を与えてしまう危険より、悠々と逃走させるほうがいいではありませんか。なぜ戦いを選ぶのか、まったく理解できません。
「国際社会の常識」ってなんでしょう。
あなたは<戦争>という言葉がお好きですね。 私はあくまで防衛のみの話をしているつもりですが。 自分の国が領海侵犯されているのに、黙ってみている方がいいとは。それは国の主権を捨てることです。悠々と逃走させてきた結果、日本は何十回となく領海侵犯され、日本人が拉致されたのではないですか?
国際社会の常識とは、守るべきものを守るための基本的枠組みをきちんと持つということです。
国際慣例では工作船などには、海軍が対処し、ルールとしては、まず停船の警告を出し、停船しない場合はマストを撃つ。それでもだめな場合は船体を攻撃する。
これは国家として断固として自国を守るという意志の表れであって、戦争とは何の関係もありません。
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【156422】 投稿者: 不戦の僧侶 (ID:IukBEkgSFZg) 投稿日時:2005年 08月 25日 10:35
脱洗脳さん:
領海を侵犯してきた船が止まらなかった場合、「正当防衛」と判断できる状況があれば銃で撃てるのではありませんか?
海上保安官も銃を持っていますよね。
撃たれる脅威を与える、守るのが目的ということであれば、その「武力行使」は今でも確保されているのではありませんか?
もっと脅威を与えるためにこちらから撃つ権利を持ちたいという発想は危険だと思います。
そういうことになれば、相手はもっと威力のある武器を用意してくるでしょう。
どの国も「自国を守る」という正義、大義名分から戦争に入って行くのです。国防と戦争が別物だという現実主義者の理屈そのものに、私は危険を感じます。
もしあなた個人が本当にまともな感覚の持ち主で、どんな場合でも国防と戦争を区別できる自信があっても、「GO」の指令と共にそんなまともな理屈どこかに飛んで行ってしまうのではないでしょうか。
この問題に関しては「進む」ことは慎重にやってやりすぎることはないと思っています。
それに私は日本だけが戦争で悪いことをしたとかという、「洗脳」はされてませんけれど・・・。多くの中国じんや韓国の人々は日本のことを悪く誤解している面も多々あると思っていますよ。誤解を解く努力をすべきです。時間がかかります。安易な方向に向きたいのを我慢すべきだと思います。
情報戦には常に優位に立つべきだとも思います。要するにこれが遅れているのですよ。
武力を持っていてもしょせん抵抗できる限度があります。
また原爆や水爆を落とされるまで戦うことを望むのですか?
私の意見に賛成してくださらなくてもいいですが、非戦アレルギーから脱却して「非戦」の主張をしている多くの知識人たちの意見もそのバックグラウンドまで考えてどうぞ読んでみてください。 -
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【156442】 投稿者: 混同しないで (ID:zz/AWNaXeUQ) 投稿日時:2005年 08月 25日 11:04
北朝鮮工作船の話題で盛り上がっていますが、工作船と銃撃戦をしたのは海上保安庁
であって、海上自衛隊ではありませんよ。
海上保安庁は海の警察ですから、不審船を拿捕するのは当然の業務遂行であり、
軍備・戦争とは関係ありません。
以前、尖閣列島で香港人活動家が溺死した事故がありましたが、当時の香港の新聞は
「日本は海軍の軍艦を派遣して活動家の上陸を阻止した」などと意図的な煽動記事を書き、
その活動家の通夜には「憤慨した」10万人の香港市民が参列しました。
なんといい加減で無責任な報道かと呆れた記憶があります。
(もちろん、出動したのは自衛隊でなく海上保安庁の巡視船でした)
外国人窃盗団を警官が取り押さえようとして武器で抵抗されたら警官が発砲するのは
やむなしと思います。韓国人スリ団でナイフを振り回して逃走などと言う事件もありましたよね。
社民党の党首などは「警官の発砲は絶対に不可。犯人が武器を持っていて、
その結果、警官が殉職しても仕方ない」と発言していましたが、不戦の僧侶さんも
同じ立場でしょうか。私は陸の治安は警察に、海の治安は海上保安庁に護って欲しいと
思います。
容疑者が逃走したら逃がせばよいとは思いませんね。
私は中国の潜水艦の領海侵犯などは相手国が遺憾の意を示しているので、
あまり騒ぎ立てるのはどうかと思いますが、犯罪捜査に関しては、
横田めぐみさんのような拉致被害者も工作船で運ばれていたのですから、逃がせばいい
との意見には賛同できません。
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【156479】 投稿者: ミラボー橋 (ID:cmlMsSxLO8c) 投稿日時:2005年 08月 25日 12:36
憲法9条の意義は、国防要素としての軍事力の意義と効果を相対化したことにある。
国際社会において安定的地位を確保し(覇権を掌握するという意味ではない)、成長を続けるには、外交力、政治力、経済力、文化、民生、哲学等及びそれらを補完する実力装置としての軍事力を多面的に総合した真の「国力」である。
「国防」とは軍事力だけでできるものではない。総合的な「国力」の均衡ある充実が不可欠である。世界一の軍事力を誇る米国がなぜテロ攻撃にさらされ続け、テロリスト一人殲滅できないのか。強大な軍事力を誇った旧ソ連がなぜあっけなく消滅したのか。世界最強のM菱零式や呉・長崎で建造した超々ド級戦艦を装備していたはずの大日本帝国がなぜ一敗地にまみれたか。いずれも「国防」即ち「軍事力」という単細胞図式の結果ではなかったか。国防は国力であり、軍事力は国力の中にあって他の要素を補完する実力装置である。それ以上でも以下でもない。軍事力に偏った発想では国防は成立しない。帝国主義最盛期の砲艦外交(この言葉自体、すでに軍事力の相対化を内包していた)時代ならともかく、国家間の政治協調、経済相互依存が進展した今世紀において国力構成に占める軍事力の比重は1割程度であろう。非武装非戦の究極的理想主義が1割の実力担保装置を封印する意味において非現実的であると言われるのと同等若しくはそれ以上に、軍事力偏重主義者が1割の極大化で問題全体が解消されるような幻想を抱くことは、現代国際関係論を地方都市の中学生の喧嘩レベルの皮相な理解しかできない稚拙で矮小、非現実的な思考である。
更に、1割の軍事力も、その機能を常に100%発揮できるとは限らない。軍事力は必ずその機能を発揮するための前提条件がある。陸自戦車の前提とする運用思想は、北海道等の不正地で自慢の油圧装置で車高を落とし窪地に潜み、気づかれないようソ連軍戦車を捉え背後からドカンだが、それ以外の展開になれば喧嘩にもならないだろう。軍事的には質量とも圧倒的に優勢だったはずのミッドウェーで帝国海軍はぼろ負けし、アメリカはベトナムやイラクの、ソ連はアフガニスタンのゲリラに軍備の優位さをひっくり返されている。
いかに練度が高くとも、軍備は現場においてその設計上の実力の半分も発揮できないのが現実である。
軍事力で本気で相手の制圧を獲得するには、最低でも彼我戦力差を1対4以上の差をもって圧倒することである。対象国(中国、南北朝鮮?)の軍事力の総和の4倍以上を日本が保持することの現実性はもはや論じる気にもなれない。
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【156481】 投稿者: 不戦の僧侶 (ID:IukBEkgSFZg) 投稿日時:2005年 08月 25日 12:39
混同しないでさん:
確かに前の議論では混同していましたね。
海上保安庁が海は守っているし、そのために銃を持つことを許されているという認識ですので、そうお答えしましたが、海上自衛隊の話と混同されているというご指摘、ありがとうございます。
ご意見に賛同いたします。
工作戦、不審船、追える権利がある時に逃がせばいいとは当然思いません。
拉致被害者たちはその目をかいくぐって連れ去られてしまったのでしょうね。
それは当時の日本の不手際と呼べるのかもしれませんが、
確かにそれは海上警察というべきものの仕事ですね。
怪しい船を攻撃するための「軍隊」「攻撃権」を持つべきという話になっていたので、
それよりは逃がしたほうがと思ったのです。
横田さんがたも経済制裁はとおっしゃっていますが、戦争して取り戻せとはおっしゃっていません。
不審船に対しては相手の国の警察や指導者が少なくとも「国際的な常識」を示している限り、私も騒ぎ立てないほうがいいと考えています。
問題を整理していただいてありがとうございます。
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