最終更新:

4683
Comment

【3137964】大学入試が変われば中学受験も変わる

投稿者: 動機が大事だよね   (ID:M.zWJSL63bE) 投稿日時:2013年 10月 07日 18:08

大学入学者を学力のみで決めずに他の要素も入れるとなれば中高の教育も随分変わるでしょう。



今までは東大入試はセンター試験圧縮+2次試験440点で合計し点数の多い順に合格者を決めていた。それが学力テストは大まかに5段階ぐらいにして一点刻みをやめ、


1.面接
2.自己推薦エッセイ
3.他者の推薦状
4.課外活動や部活の記録


なども加味されるとなれば駿台模試トップの人も5000番ぐらいの人も共通試験でAゾーンなどに入っていれば学力としては全く同じ扱いになって差はつかない。


ラットレースで一点でも多くとらなければ東大理Ⅲに入れなかったのが・・・・駿台模試で学力テストは1番が他の2~4の結果で落ちることも十分あり得る。


そうなるとAゾーンが5000人ぐらいいるなら・・・・・そのなかに収まればよくなるので中高一貫の優位性(高2ですべて終わり最後の一年は受験演習)はなくなる。(公立でも5000番以内なら結構はいれるかもしれない)


当然中学受験もそういう進学校に行かずとも・・・・・他の要素を大事にしてそこで「人間力」をつくる学校に行けばよくなる。中学受験有名校が東大理Ⅲを半分も独占してしまうという現状も変わるかもしれない。


トップからの改革で加熱した中学受験をやめさせる。偏差値秀才や受験秀才を作る学校は淘汰され真の人材を造る学校だけが生き残るだろう。


この改革は中学受験動向に直結すると思う。公立高校や公立中高一貫などがぐんと有利になると予想する。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

  1. 【3218538】 投稿者: 暇人  (ID:oLF6KCDx08g) 投稿日時:2013年 12月 25日 10:05

    >古来からのつながりで、いまの日本、日本人があるのであり、そういった経緯、さまざまな概念が日本語に溶け込んでいるのである。

    あのですね。 歴史や文化その物はそれ自体の存在が有り日本人であり、日本語とはちょっと別の物でしょう。
    日本語で記述されたもので残されているだけです。

    古来と言っても文字が無かった(有っても縄を使い残っていないらしい)時代は、日本語で残されているわけではなく中国や韓国の歴史書で事実を知っている訳です。 日本語は役割を果たしていません。

    はては文字を使い始めても時の権力者は敵対する部族の歴史書を焼き払い、自分に都合の良い歴史を作り続けてきました。
    つまり歴史の変換点で悉く文化を潰しては作り変えて来たのが日本人です。
    消えないで根強く残っている物が土着信仰でしょう。 山や木や石、太陽、雷など自然全てを敬う心は支配者が変わっても無くなりませんでした。
    寧ろ支配者は領土を支配するときにまずしたのが土着の神様を祭り上げる事でした。
    それにより(方言と言う)言葉の壁を乗り越えて支配が可能になってきました。

  2. 【3218564】 投稿者: 暇人  (ID:oLF6KCDx08g) 投稿日時:2013年 12月 25日 10:38

    土着信仰と言っても様々な物が有り、それは身の回りの物を敬い恐れると言う気持ちの表れで、言葉で言い尽くせるものでは有りません。
    「始めに言葉ありき」と言う考え方は日本人の発想には無いのでは無いでしょうか。
    「始めに野山ありき」でしょう。 国造り神話からも伺えます。

    また、本当に日本語を突き詰めて行けば方言を抜きにして語る事は出来ないでしょう。 今まで殆ど無視し潰そうとさえしてきてませんか? 様々な概念が聞いてあきれます。

  3. 【3218566】 投稿者: 赤い彗星  (ID:YDupK4bxYq.) 投稿日時:2013年 12月 25日 10:40

    暇人君。

    言葉というのは便利でなきゃ使われないのだ。時代時代でその土地に最も便利に使われ、変化する。

    日本において英語を始め、他国言語は不便極まりない。

    英語は便利に感じる者がやれはよいのである。今ここで英語で真意を書けても、伝わるのは少数であろう。

    日本語ではどうであろうか?最も便利で伝わりやすいから日本においては日本語なのである。

    自国の文化を知ってもらうためのツールが英語であると誰か書いていたが、全国民が外国に自己を知ってもらう必要があるのか?


    w

  4. 【3218598】 投稿者: 暇人  (ID:oLF6KCDx08g) 投稿日時:2013年 12月 25日 11:22

    日本語こそ日本人であると言う考え方に疑問を挟んでるだけです。
    日本語は一つの要素では有りますが、絶対的な要素ではないでしょうと言う話。

    今の標準語は半分人工語の様な物で、日本文化の代表でも何でもありません。
    いつか占領されて異国の言葉を公用語とされても従うでしょうが日本人は無くなりません。

    標準語が出来てから地方の方言をしゃべったら「方言札」をかけさせたと言う黒歴史を持っています。
    それでも方言は無くなりませんでした。 そこに根付いた文化が有るからです。
    日本が各地を占領して日本語を強制しても各地の人々は各国の人で有る事には変わりは有りませんでした。

    で私は宗教を代表とする日本文化こそが日本人として持つべき物ではないでしょうかと言ってる訳です。
    別に日本語を否定しているわけでも英語礼賛している訳でもありません。
    日本人が日本語を理解するのが望ましい事に変わりは有りません。
    日本人が英語を理解するのを否定する必要も有りません。

  5. 【3218608】 投稿者: 暇人  (ID:oLF6KCDx08g) 投稿日時:2013年 12月 25日 11:37

    言葉は便利な道具では有りますが、全てを表現できる万能の道具では有りません。
    体得して初めて解る物も有るでしょうし、驚きを目の前にしてみないと解らないものも有るでしょう。

    また一つの言葉にはその裏の文化を理解しないと解らないものも有ります。
    例えば天皇と言う言葉一つとっても外国人が正しく理解する事は難しいのではないでしょうか。
    日本の歴史、宗教等を理解して初めて解ってくる事です。 日本の文化を知って初めて解る事です。

    武道の授業の必須化。 これは日本語では有りませんが日本人として解るべき事だからこそ必須になったわけです。
    日本の文化です。

  6. 【3218632】 投稿者: ふふ・・・  (ID:YMllOb9Lji6) 投稿日時:2013年 12月 25日 12:00

    日本語も日本の文化なのではないですか?
    日本の文化が形造られる中で、共に日本語も形造られて来たと言えるのではないでしょうか。
    その意味では、日本語なしに日本の文化は形造られなかったであろうし、日本の文化なしに日本語が形造られることもなかったのあろうと、私は思います。
    つまり、それほど日本語と日本の文化は深く密接な関係にあるのだろうと感じているといことです。
    だからこそ、年代を追うごとに新たな文化が生まれ来たのと同様に、時代時代で言葉(日本語)も変遷して来たのでしょうし。


    >それでも方言は無くなりませんでした。 そこに根付いた文化が有るからです。

    暇人さんがおっしゃるように、方言もその土地に根付いた文化であったからこそ無くなることがなかったのでしょう。
    ちなみに、方言も立派な日本語です。

    私は、これまでも言葉には変遷があったことを考えれば、ことさら日本語を崇める必要はないと思っていますし、子供が授業で英語を習った程度で日本人ではなくなってしまうなどとは思いませんが、だからと言って、若者が「これからの時代は、日本語より英語の方が大事だ」などと感じてしまう日本にはなって欲しくないと思っています。

    早くから英語を勉強させるのは結構ですが、同時に日本人としての在り方、日本人としての英語との向き合い方に関してもきちんと教育していただきたいものです。
    文明の利器は便利ですが、使い方を誤れば思わぬ事故に巻き込まれてしまう危険性もはらんでいます。
    それと同様に、言葉も単に「便利だから」「必要だから」で利用してしまうと、失うものが出てくるかも知れないと思っています。

  7. 【3218661】 投稿者: 学校では無理  (ID:bAC41VhgR.k) 投稿日時:2013年 12月 25日 12:47

    方言を克服するものとして中世から候文が存在します。平安時代の口語がもとです。長い間公用語でした。幕末は京都で候文がはなされたという笑い話があります 。

  8. 【3218727】 投稿者: 現実  (ID:93X9Cwmu60Y) 投稿日時:2013年 12月 25日 14:21

    学校では無理さん

    候文が方言を克服する公用語であったというのはちょっと違うのではないでしょうか。江戸時代に公用文などに広く使われた文語体であって、口語で使われた例もありますが公用語として使われたという感覚ではないはずです。

    またちょっと前の「人民」「共和国」が日本から伝わった和製漢語であるというのもよく言われますが、「人民」も「共和」も古代中国語から使われていた古来の漢語で、人民は詩経が原典、共和は周の後(殷だったか?)、中国で初めて人民から選ばれた人物の名にちなんだ元号です。peopleの訳語としての人民、republicの訳語としての共和国という意味では、日本人の訳で、中国人留学生が持ち帰ったものということで間違いないと思いますが、日本人が漢字を組み合わせて訳語を作ったわけではなく、日本人から英語から訳す時に古来の漢語を借用した、それゆえ中国でも定着しやすかったというのが真相です。

    ちなみに「共産」は霊南坂教会の創始者、同志社2代目校長(新島襄の後)の小崎弘道の純然たる創作訳語です!。

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す