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【3137964】大学入試が変われば中学受験も変わる

投稿者: 動機が大事だよね   (ID:M.zWJSL63bE) 投稿日時:2013年 10月 07日 18:08

大学入学者を学力のみで決めずに他の要素も入れるとなれば中高の教育も随分変わるでしょう。



今までは東大入試はセンター試験圧縮+2次試験440点で合計し点数の多い順に合格者を決めていた。それが学力テストは大まかに5段階ぐらいにして一点刻みをやめ、


1.面接
2.自己推薦エッセイ
3.他者の推薦状
4.課外活動や部活の記録


なども加味されるとなれば駿台模試トップの人も5000番ぐらいの人も共通試験でAゾーンなどに入っていれば学力としては全く同じ扱いになって差はつかない。


ラットレースで一点でも多くとらなければ東大理Ⅲに入れなかったのが・・・・駿台模試で学力テストは1番が他の2~4の結果で落ちることも十分あり得る。


そうなるとAゾーンが5000人ぐらいいるなら・・・・・そのなかに収まればよくなるので中高一貫の優位性(高2ですべて終わり最後の一年は受験演習)はなくなる。(公立でも5000番以内なら結構はいれるかもしれない)


当然中学受験もそういう進学校に行かずとも・・・・・他の要素を大事にしてそこで「人間力」をつくる学校に行けばよくなる。中学受験有名校が東大理Ⅲを半分も独占してしまうという現状も変わるかもしれない。


トップからの改革で加熱した中学受験をやめさせる。偏差値秀才や受験秀才を作る学校は淘汰され真の人材を造る学校だけが生き残るだろう。


この改革は中学受験動向に直結すると思う。公立高校や公立中高一貫などがぐんと有利になると予想する。

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  1. 【3225004】 投稿者: 暇人  (ID:oicElnuN5Fk) 投稿日時:2014年 01月 01日 14:15

    あけましておめでとうございます。
    何はあれ、皆さんと日本国、世界の方々とそのお子さん達のお幸せをお祈りいたします。

    現実さん失礼しました。 私も気がついたらおせちを作ってました。

  2. 【3225017】 投稿者: 自由  (ID:bxo.ztqZfaM) 投稿日時:2014年 01月 01日 14:51

    年始から手間がかかるなあ・・

    英国文化は英語の言語体系の中で規定される。英語など無くても、日本語でも英国文化を語れると錯覚するのは、まずは英語での英国文化の概念があって、それを近似値的には日本語に翻訳したものを日本語で語れると錯覚しているだけである。近似値的と書いたのは、分節の仕方が違うからである。

    当たり前の話だが、英語での英国文化の概念以前に、日本語での英国文化の概念があるはずかない。

    ちょっと考えれば分かることである。

  3. 【3225030】 投稿者: 暇人  (ID:9trfcuAIsWo) 投稿日時:2014年 01月 01日 15:12

    除夜の鐘をお寺で突き、翌日初詣を神社で行う。
    結構特有な文化でしょうね。
    近くの神社に来てますが長い列に並んで暇つぶししてます。

    皆さんが新渡戸稲造の武士道は少しおかしいと言ってるので読み始めました。
    確かに武士道というより、日本人の道徳観を外国人に紹介する観光ガイドのような感じもしますが、広く浅くそれなりに紹介してる事は評価できると思います。
    しかし、これが武士道と言われたら怒り出す日本人もいてもおかしくありません。 私は怒りはしませんが、これを武士道というのは違和感があります。

    かと言って、かつての日本人の道徳観を一言で表す言葉は見つかりませんが。
    大和魂は一面でしかありませんし。

    初詣も日本人の生活の一部になってますから、新渡戸武士道の言う道徳観はなくならずにある程度継承されてますね。

  4. 【3225044】 投稿者: 誰でもわかる  (ID:cmJssxrJgaY) 投稿日時:2014年 01月 01日 15:41

    私の意見の前半部分へのご回答ありがとうございます。

    では後半部分はどうでしょうか?
    「桜散る」と聞いた時に意味をどう取るか、これを自由さん的にはどう捉えますか?

    ついでなので少しずれますが質問です。言葉があって概念が後からついてくる、との主張でいらっしゃいますよね。
    「祟り」という言葉は平安時代の文献に初めて現れますが、
    奈良時代に無かったかと言えば、祟りを怖れているとしか思えない行動をしている例が出てきます。
    文献を重視する人はだから祟りは平安時代に出てきた概念だ、と言いますが、
    梅原猛や井沢元彦は元々あったけれども怖れから口に出す、文献に残す事が出来なかった、と主張しています。
    このような場合はどう捉える事が出来ますか?
    私は言葉以前に存在する何ががあって(この場合は怨霊そのものへの怖れや怨霊の報復への怖れ)それを「祟り」と名付けたのでは無いかと思うのですが…。
    祟りという言葉が先にあって怨霊への怖れが生まれたとは思えないのです。

  5. 【3225046】 投稿者: 自由  (ID:bxo.ztqZfaM) 投稿日時:2014年 01月 01日 15:45

    新渡戸稲造の「武士道」は、1900年にアメリカで刊行された「Bushido:The Soul of Japan」でありアメリカ人向けに作られたものである。

    これは新渡戸稲造が日本人が道徳的な民族であることPRするため、キリスト教的な教養で書き上げたものである。

    新渡戸稲造自身の家系は盛岡藩士だが、300余藩にもわたる武士の統一思想があるはずもない。

    もちろん、なんらかの武士の精神文化はあったはずであるが、新渡戸武士道はある種のシンボリックな偶像である。

  6. 【3225054】 投稿者: 自由  (ID:bxo.ztqZfaM) 投稿日時:2014年 01月 01日 16:12

    言霊信仰というのは、

    言葉には霊的な力が備わっており、言葉を発するとその言葉にまつわる霊的な力が現れる・・という信仰を言う。だからこの信仰では、ともかくはまずは言葉が存在して、その言葉を発しなかったら、霊力もくそもないのである。

    平安時代というか・・もっと以前に・・たとえば、万葉集でも「名を名乗れ」というのは求愛の表現であって、古代日本では、自分の名前を名乗ることは霊力が生じるという概念があったに違いない。

  7. 【3225064】 投稿者: 誰でもわかる  (ID:cmJssxrJgaY) 投稿日時:2014年 01月 01日 16:26

    言霊信仰と私の疑問は関係ないのですが…。
    名を名乗らない話も本名が明らかになったら悪霊がそれを利用して悪さをするかもしれないから、という意味ですよね。

    私は、既に存在している言葉を口に出さないと言っている訳ではありません。
    何かを表す言葉が存在していない時に、その何かは存在しない、という事は有り得ないのではないか、という疑問です。
    特に原初的な感情は言葉より先にあると思うのですが。

  8. 【3225065】 投稿者: 日本語大好き  (ID:gJ/.R/96VwQ) 投稿日時:2014年 01月 01日 16:28

    何で皆さん二者択一というか、黒白つけようとするのでしょうかね。
    言葉は単なる記号ではなく、言葉自体が力を持つ「言霊」の世界もあるでしょう。
    一方で、ノン・バーバルで存在し得る文化もあるでしょう。

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