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投稿者: 都内区部 (ID:QFM/.bBMLxc) 投稿日時:2020年 03月 23日 00:22
我が家は、とにかく公立中が嫌で中学受験をさせました。
理不尽な内申点、授業のレベルの低さ、生徒同士の過剰な同調圧力等、自分自身がウンザリしましたので、子供は絶対私立と考えていました。大人になっても、中学が公立で良かったことなどありません。幸い、息子は最難関の一つに合格したのですが、そのことよりは、公立中に行かせずに済むことの方がうれしかったです。
とにかく公立中が嫌という方、どんなところが嫌か、お考えをお聞かせ願えますか。
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【5904549】 投稿者: 一長一短 (ID:lnIGSTnZZIY) 投稿日時:2020年 06月 08日 17:06
青いねえ。
客先のお偉いさんや会社の上司にとって何が決め手になるのか君が決めることじゃないんだよ。相手が決めるんだよ。相手がゴマすりが好きならゴマすりで対応するし、論理が好きなら論理で対応する。自分のやり方に固執していたら、いつまでたっても結果は出ないし、出世もできんよ。周りの環境にうまく適応させた人が一番強いんだよ。(って誰か言ってなかったか?) -
【5904567】 投稿者: 狭すぎる (ID:Y6P5UGVmUAI) 投稿日時:2020年 06月 08日 17:34
そういう「昭和の営業職のサラリーマン」のような職場は、現実に絶滅に向かっているんですよ。
コミュニケーション能力の大部分は数学と語学に依存するので、その部分の「学習」に有効に寄与できない「学校」が有害だというのは素直な見方じゃないのかな。 -
【5904587】 投稿者: 一長一短 (ID:lnIGSTnZZIY) 投稿日時:2020年 06月 08日 17:58
> コミュニケーション能力の大部分は数学と語学に依存するので、その部分の「学習」に有効に寄与できない「学校」が有害だというのは素直な見方じゃないのかな。
周回遅れだね。数学と語学に依存したのはMBAが流行っていたころで、いまは直観とかアートとか右脳とかを重視する方向に変わってきているんだよ。近くの本屋にでも行ってごらん。 -
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【5904678】 投稿者: 狭すぎる (ID:Y6P5UGVmUAI) 投稿日時:2020年 06月 08日 20:26
本屋さんで意味のある本を選ぶためには基本的な教養が必要です。
認識論の深化は現代物理学の歴史をみるとわかりやすいですが、その局面のひとつひとつは「数学」がベースになっています。
安直な解説本でわかった気になっているようでは「仕事にならない」分野は多いですし、今後も増え続けていきます。
これまでそういう浅い知識で通用していたとしても、今後はそうはなりません。
そう言う水準で「自分が」通用していたとしたら不幸なことですね。
ただその種のムラ意識は一代限りとして、未来のある青少年に押しつけないでくださいね。 -
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【5904683】 投稿者: 狭すぎる (ID:Y6P5UGVmUAI) 投稿日時:2020年 06月 08日 20:33
大切なのは、「空気を読むな本を読め」ということにつきます。
空気を読むことを強要し、本を読んで知性の涵養を進めることを軽視する環境は、愚者にとっては楽園かもしれませんが有為の人材を育てるには不適切です。
どう詭弁を弄しても、それに対して真摯に向き合わない駄弁を相手にするつもりはありません。 -
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【5904746】 投稿者: 一長一短 (ID:edY66nYSiJs) 投稿日時:2020年 06月 08日 21:41
> 本屋さんで意味のある本を選ぶためには基本的な教養が必要です。
本屋さんで意味ある本って誰が決めるんだい?課題図書みたいに読まなきゃいけない本が決められているのかい?俺はそんな堅苦しい読書はごめんだよ。
> 認識論の深化は現代物理学の歴史をみるとわかりやすいですが、その局面のひとつひとつは「数学」がベースになっています。
実社会で、ぐらでぃえんと、ろーてーしょん、だいばーじぇんすを頻繁に使う人はそんなにいないだろ。物事を深く考えるには数学的な素養があったほうがいいが、それは強制されるものではない。世の中には数学が苦手な人もいるのだから万人にそのアプローチは通用するとは限らない。
人はかくあるべきだと思い込んで、本から得た知識だけで世間を渡っていこうとするのはあまりにも危険だね。あるときは空気を読み、あるときは論理で押し、あるときは感情に訴え、あるときは徒党を組む。相手や環境に応じてしたたかに振る舞うのが最も賢いと思うね。 -
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【5904777】 投稿者: 法の支配 (ID:cZMFEXq90Es) 投稿日時:2020年 06月 08日 22:06
もちろん、一長一短は本を読まずに我流で生きて行ってもいいんだが、一長一短がこの世に生を受ける前に、何億もの人が人生を生き、中には一長一短よりIQが50ぐらい高かった人も大勢いたってことなんだよ。
ところが、我々はソクラテスや孔子のように一長一短より格段にIQが高かった人が何十年もかかって得た知恵を瞬時に手に入れるチャンスがある。これが本を読むということだよ。
で、一長一短は富士山の麓から富士山の頂上に向かっている人々に、「おーい!そんな苦労して山に登ることなんかないよ。麓の公立中学茶屋でゆっくりお茶飲もうよ!」と叫んでいる。しかし、富士山の七合目にいる我々からすれば、麓と七合目じゃ景色は全然違うし、頂上にはもっと異なる景色がある。そこでは、ゴマすりの処世術やら、やってる感で内申点上げるとか、くだらないとしか思えないんだが、麓の一長一短にはそれが全てだから分からない。
魯迅の阿Q正伝には無知無学で利用され、騙される貧農が描かれている。我々から見れば、阿Qの貧しさも哀れだが、それよりも無知無学無教養で何が起きているか何も分からないその無知がたまらなく哀れなわけ。一長一短もそうなんだが。 -
【5904944】 投稿者: 一長一短 (ID:wcpMNh.Jsn2) 投稿日時:2020年 06月 09日 06:17
人里離れた山奥で朝から晩まで本を読むのが君の生きがいなら俺は止めんよ。相当高い教養は身につくだろうね。でも、誰かと喜怒哀楽をともにしたり、誰かと共通の目標を達成したりする機会のない人生は俺はお断りだね。本を読んで教養を身に付けるのは悪いことではないが、インプットばかりでアウトプットがないと独りよがりになるだけ。頭でっかちは人を遠ざける。もちろん対人スキルだけ磨けばいいというものでもない。
だから、人生でうまくやっていくには両方が必要なんだよ。
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