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投稿者: とっくに終了組 (ID:iJp6PaX33N6) 投稿日時:2007年 04月 12日 11:05
この板にはもう中学受験というものに足を突っ込んで
しまった方々が出入りなさっていると思いますので、
今更何を…というスレかもしれませんが、一貫校に
ムスコが通って3年。
ちょっと駄スレを立ててみました。
首都圏では最難関校と言われるところに入学。
自由と放任を履き違えてんじゃないかと思う校風にも
やっと慣れてきました。
入学当初から異常な通塾率。
何になりたいかを考える前に東大目指した日々が
始まっているかのような日々に抱く焦燥感。
(特に親は…。)
そんな中、公立中学に進学した友人たちはこの数年に
思わぬ成長を遂げてICUに進んだり早慶に進んだり。
自らの意志と親の希望にうまく折り合いをつけ、ちゃんと
それぞれの道を歩んでいます。
中学受験で「一抜けた」感に浸れるのはほんの数ヶ月。
それが「成功」と言われる結果であっても!です。
中学受験に執着することはないと今、改めて感じます。
経済的に、もしくは子供の成長が今の時期の受験に
合っていないのではないかと迷っている親御さんが
いらしたら…「ここで乗り遅れたら…」なんていう
強迫観念を捨てて再考して欲しいと思います。
私のようにマスコミや一部の富裕層のお受験ブームに
踊らされるよりも、冷静にお子さんの成長過程を見守り、
熟慮していただけたらと今、思います。
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【616237】 投稿者: 元関西人 (ID:6W12hlIkFdQ) 投稿日時:2007年 04月 15日 02:13
↑
もちろん、県立トップ高から偏差値が下がった県立高校ほど、MARCH以下が多く
なり、国公立大に入れる可能性は少なくなりますが。
その場合でも、私立中高一貫→私立大より、学費が安いのは確か。私大の
理系でも、何とかなる可能性が高まりますよね。 -
【616261】 投稿者: 土筆 (ID:kxdL9XO4HXo) 投稿日時:2007年 04月 15日 07:03
> もちろん、県立トップ高から偏差値が下がった県立高校ほど、MARCH以下が多く
> なり、国公立大に入れる可能性は少なくなりますが。
重点校からどれだけランクダウンして臨むかもあると思います。
1,2ランク下程度なら国公立大・早慶は厳しくMARCHは何とか。
2,3ランク下程度ならMARCHが厳しく、日東駒専はまぁ普通とか。
浪人を容認するというご家庭でしたら、また少し変わるかも?と思います。
ただ、MARCHといっても中央大の法学部のように極めて知名度が高いものから、
法政大工学部のように、法政にも工学部があったんだと思うような場合もあり、
MARCHブランドに拘わり、学科に拘らないのであれば不人気学科を狙う方法も
あると思います。私大理系なら、理科大、芝浦工大、武蔵工大、東海大など
選択肢が広がると思います。
我家の場合は、5年後、10年後の社会情勢がどうなっているか?どのような
人材が要求されるのか?そのビジョンを常に研究して改革を少しずつでも不断に
進めている大学を探して子供に情報提供し、子供は子供で自分なりにリサーチ
したものと希望などを話してもらい、お互いにすり合わせて大学(短大・専門
学校含めて)選びをしたいと思ってます。 -
【616319】 投稿者: 環境 (ID:qvK/q/ODdIw) 投稿日時:2007年 04月 15日 10:08
横ヤリ さんへ:
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> さて、スレの原点となっている部分は大学合格をゴールと仮定するならば
> 「なんで開成や麻布etcという難関中学入学者でありながらなんで
> 過去に地元の公立を歩んだ子供と大学で同門をくぐるのか、
> もしくは地方で高校まで公立だったのに」、
> という無念さに似たものを問うていたのかと理解します。(枝葉省略)
以前、出身が難関進学校である人に、次のような質問をしたことがあります。
「そちらの学校からも東大に入った人、地方の公立高から東大に入った人、結局最後は
一緒になってしまうこともある、と思ったことはないのか?」
それに対して
「学力的には大学で一緒になることはある。けれども、高い意識を持ったいい仲間と供に
すごす6年間ということにとても価値があるのだ」
という答でした。
中高6年を一緒に過ごした仲間は結束が強く、大学、職業、道は違えど、ずっと交流を持ち続けているそうです。
「大学で結局一緒になる。高校でいいところに入ればいい環境で学べる。それなら学費が安い公立校のほうが得」と思う人もいるし
「大学で一緒になっても、有意義な6年間をすごせるから価値がある」と思う人もいる。
結局後者のように思うことが出来ない親は、中学受験には向かない親なんじゃないでしょうか?子供の方はわかりません。自分が進んでいる道をよしと思っている子も多いでしょうから。
>
フムフム さんへ:
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> スレ主さんの文章を読んでみると、
> たぶんこの奥さんは自分自身がエリート教育を受けたことが
> ないのかなという印象を受けました。
> エリート教育とは戦前からこんなものだったのです。
> 戦前は中学に入学するためには今と同様の中学入試があり、
> 旧制高等学校に入学するためにまた厳しい高校入試がありました。
> 時代は変わって私たちが受験生の頃も、そして現在も
> たいした違いはありません。
> 中学受験でエリート養成校に進学するのが無駄と言うのは
> ちょっといただけません。
> 筑駒、開成、栄光、灘、ラサールなど日本を代表する
> 進学校はそれなりに立派な教育をしてますし、
> また中学高校で多少の落ちこぼれが生ずるのも世の常です。
数日前の投稿に意見を書くことにします。
フムフムさんの書かれた通りです。中学受験は何も今に始まったことではありません。
私の父も、主人の父も、戦前、旧制中学を受験していますが、中学によってまちまちでしょうが、父の場合では、約二倍の倍率があったそうです。学力が足りなくて尋常小学校以上の教育を受けたい人は高等小学校に進学したそうです。
今から比べれば中学受験勉強などずっと楽ですけれど。希望者は小学校の放課後10日程度補習をして受験したそうです。
旧制中学ではとてもアカデミックな雰囲気に包まれていたそうです。中学には1年生から5年生までいて、先輩達の刺激を受けて、自分も上の学校を目指そうと思うようになるのです。父には何歳か上の兄がいて、兄の友人が遊びにきて学問の話をするのを興味深く聞いていたということです。大学はここを目指したいというのも、兄の部屋で蛍雪時代を見つけ、その英語の添削に投稿するのに夢中になったのがきっかけだったみたいです。父の中学の高学年のノートが出てきて見ると、哲学について思うことなど、難しいことがいっぱい書いてあって(今はただの孫好きのじいさんだから想像つかない)昔の17歳で学校に通う者が自分で勉強が出来て意識が高かったことにとても驚きました。
勉強は本人次第だともちろん思いますが、先輩や友人の刺激というのも決して無視できないものだと考えます。
スレ主さんのお子さんも周りに刺激を受けて、いろいろなことに挑戦しているようです。もし、のんびりとした学校に行けば、余裕はあるように見えるのでしょうが、これに挑戦してみようと思うことにも最初から出会わなかったかも知れませんね。
走り続けて早死にする?とんでもない。昔の16歳、17歳の中学生もすごかったですよ。
自分の身内語り、大変失礼いたしました。
ちなみに昔のシステム(私も完璧ではないので気になる人は補足よろしくお願いします)
尋常小学校→旧制中学(5年制、ただし出来る人は4年で次に行けたらしい)
→旧制高校(いわゆるナンバースクールもこれ。あと松本高校とか名門も。今の大学の
教養課程にあたる)→大学(3年制でした)
または、私大でしたら、旧制高校の位置に予科があります。旧制中学卒業後に陸軍○○学校に進学する人もいました。陸軍から帝大というのもエリートでしたね。
結局中高一貫校のよさって、アメリカから導入した6.3.3制でなく、この戦前の旧制中学によく似ていることがわかります。
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【616355】 投稿者: 肩書エリートより人間エリート (ID:2ya6dKBpPrc) 投稿日時:2007年 04月 15日 11:05
環境 さんへ:
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> 「学力的には大学で一緒になることはある。けれども、高い意識を持ったいい仲間と供に
> すごす6年間ということにとても価値があるのだ」
> という答でした。
> 中高6年を一緒に過ごした仲間は結束が強く、大学、職業、道は違えど、ずっと交流を持ち続けているそうです。
その通りだと思います。
長い人生において、東大や一流大学への進学・卒業がゴールでもないことは当然ですが、
中高一貫校を単に大学受験のための通過点として、結局東大に入れば同じと考えるのは、
私立の建学精神に立った教育の本質を見失っていると思います。
自分がその学校でこそ学び得られたものを、精神的・経験的な資産と考えれば良いと思います。
実際に、たとえ同じ大学に入ったとしても、むしろ大学での学問・経験以上に、
この中高時代の多感な少年期の勉強・思索や友人仲間との経験を通して養った人間性の方が、
その後の人生での生き方や生き様に影響するかも知れません。
息子は麻布中学ですが、深い教養性のある勉学や自由闊達な学校生活を謳歌している息子や生徒らを見ていると、
東大合格数の話などどこ吹く風で、
「こいつら、麻布が最終学歴でもいいと思ってないか?」なんて感じます。笑
(大船や三田の学校でなく麻布を選んだので、「せめてK大以上には進めよ」と言ってますが。)
> 結局中高一貫校のよさって、アメリカから導入した6.3.3制でなく、この戦前の旧制中学によく似ていることがわかります。
そういえば、田舎の父は、戦前の尋常小学校から2年飛び級で旧制中学に入ったそうですが、
(戦況の悪化で学徒動員され、学問はそれっきりでしたが)
日本は国家主義・軍国主義に傾倒した時代ではありましたが、
それでも「昔の教育は良かった」とよく言っていました。
僕は御三家でも麻布の様子しか知りませんが、何か古き良きもののような香りを感じさせてくれます。 -
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【616366】 投稿者: 環境 (ID:qvK/q/ODdIw) 投稿日時:2007年 04月 15日 11:23
肩書エリートより人間エリート さんへ:
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> 息子は麻布中学ですが、深い教養性のある勉学や自由闊達な学校生活を謳歌している息子や生徒らを見ていると、
> 東大合格数の話などどこ吹く風で、
> 「こいつら、麻布が最終学歴でもいいと思ってないか?」なんて感じます。笑
> (大船や三田の学校でなく麻布を選んだので、「せめてK大以上には進めよ」と言ってますが。)
自分の意見に賛同いただき、大変光栄に思います。
麻布もとても良い学校ですよね。先輩方も各方面で活躍し、ユニークな人(塀の中にいた人など)もいます。入試問題を拝見すると、先生方が内容を工夫し、高いレベルの授業を行っていることが想像できます。
スレ主さんのお子さんが通われている学校はおそらくT校でしょうが、随分前にTテレビでT校の総合学習の時間がとりあげられていました。そのテレビを見る前は、国立でしたので、学習指導要領にしばられておもしろみのない授業が多いのかな、と勝手に思っていました。
総合では和算のテーマで学習したそうです。江戸時代の和算には、今の大学入試問題をもはるかに超えた難しい数学の問題が含まれています。それについてみんなで研究をします。そして、最後に自分で和算の問題を作成しいます。
公立中の総合はどのようなことがテーマかは知りませんが、選ばれた子たちだけにしか出来ない高度な総合学習のあり方に、ちょっとショックを受けました。
スレ主さんは、このようなことも価値があるともっと思うべきです。
このスレが安易な「エリート難関校に合格してもそんなにいいだけではないんだ」という
寂しい流れにならないことを願っています。 -
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【616387】 投稿者: とっくに終了組 (ID:iJp6PaX33N6) 投稿日時:2007年 04月 15日 12:41
いやはや、詰るところ、わが身への後悔・反省の文に
こんなにレスが付くとは・・・。
> スレ主さんは、このようなことも価値があるともっと思うべきです。
> このスレが安易な「エリート難関校に合格してもそんなにいいだけではないんだ」という
> 寂しい流れにならないことを願っています。
確かに進学先の良さはそれなりに理解しているつもりです。
しかし、その良さについては今のお受験ブームの中にあっては
その手の雑誌だったりはたまたTVだったりで誇張表現されて
多くが伝わると思います。
今回、スレを建てたのは受験を終えた者にしか、進学した者にしか
わからないことだと単純に思ったからです。
もちろん、私の危惧することが必ずしも進学先のせいばかりで
ないことは当たり前のことですが!!
しかし、よく「環境を買う」と言われる中高一貫教育そのものも、
今となっては疑問なのです。
特待生などでなければ、おそらく多額の塾代をかけてもらって
進学してくる中高一貫校生は、必然的に恵まれた家庭の子供が
多く、経済格差も小さく、それ程他者を思いやらなくても互いが
言わんとする話も通じます。
自分と大きく違う人間が周りにいないこと。私もこれがメリット
だと勘違いして中高一貫校に入れたフシがあります。
イコールこれこそ育ちの良さだと。(笑)
しかし、社会の中には本当にいろんな人間がいるわけです。
だから他者を慮ることが必要ですし、普通ならその能力を自然と
身につけていくわけです。
そういうことが希薄な分、ムスコやその友人を見ていても実に
自分勝手。団体競技は記録を残せず、盗難も頻繁。
だからと言って「いろんな人間がいるから俺もわが道を。」とは
ならない。
中学受験と高校受験のどっちがいいとか悪いとか、そんなことでは
ありません。
子供に何を学ばせたいか、どういう感覚を身につけて欲しいか、
そこらへんのことを親が再考してその時期を焦る必要はないんじゃ
ないかと言うことです。
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【616403】 投稿者: 環境 (ID:qvK/q/ODdIw) 投稿日時:2007年 04月 15日 13:26
とっくに終了組 さんへ:
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> しかし、よく「環境を買う」と言われる中高一貫教育そのものも、
> 今となっては疑問なのです。
> 特待生などでなければ、おそらく多額の塾代をかけてもらって
> 進学してくる中高一貫校生は、必然的に恵まれた家庭の子供が
> 多く、経済格差も小さく、それ程他者を思いやらなくても互いが
> 言わんとする話も通じます。
> 自分と大きく違う人間が周りにいないこと。私もこれがメリット
> だと勘違いして中高一貫校に入れたフシがあります。
> イコールこれこそ育ちの良さだと。(笑)
> しかし、社会の中には本当にいろんな人間がいるわけです。
> だから他者を慮ることが必要ですし、普通ならその能力を自然と
> 身につけていくわけです。
> そういうことが希薄な分、ムスコやその友人を見ていても実に
> 自分勝手。団体競技は記録を残せず、盗難も頻繁。
> だからと言って「いろんな人間がいるから俺もわが道を。」とは
> ならない。
私が何故旧制中学の話を持ち出したかというと、今の人があまりにも「学ぶことの大事さ」
「学べることの喜び」を忘れてしまっているからです。昔は裕福な人ばかりではなかった。でもそういう人でも高い志を持って中学、高校と進む人もいる。そんな人たちの集団では、盗難なんて起こらないでしょうね。自分自身を下げるような行動はしないはずです。
だから、あまりにも今の子供が(特に中学受験が出来るような家庭の子供)はハングリーさに欠けていて、レベルの高いところで学べる有り難みも感じ方が少ないんでしょう。おそらく高い中学受験の塾代も出してもらって当たり前と思っている。偏差値が高いから○○中学に入れて、偏差値が高いから東大に行く。きっとそれが問題点なのでしょう。
偏差値エリートではあるけれども、人間としてのエリートになっていない部分があります。
盗難が頻繁とは。残念ながら、他のレベルが高いと思われている私立中でも盗難はあると聞きます。
これは何とかならないものなのでしょうか?ゼロにするのは簡単なことではないにしろ、中学校の先生は心から何とかしようと思わないものですか?
自分の子の通う中学では、校則が結構厳しいです。でも禁止である携帯を学校に持ってきてしまう子もいます。(始まったばかりなのでそれ以上の問題が起こるかはわかりません)でも、子供には何故校則などのルールがあり、そのルールを守らなくてはならないのか、よく言い聞かせるそうです。その理由を保護者会で教えてくれました。
私だったら盗難がある、と子供から聞いたら、先生に相談してみます。場合によっては保護者会の場などを利用して話し合いなどをしてもらうように考えます。(勇気がいることでしょうが)それは、学校の指導はもちろんのこと、盗難などの問題は、家庭内での育て方抜きには解決しないからです。
そうした場合どうなのでしょう。学校によって対応が違うと思います。
真剣に取り組んでくれる学校。
そんなことはあり得ないという学校。
あるのはうすうす知っているけれど、見て見ぬふりをする学校。
やはり、自分の子が通う学校は真剣に取り組んでくれる学校であってほしいです。もし全く解決の努力をしてくれない学校でしたら、がっかりです。そして偏差値だけでその学校に入れてしまった自分の見る目のなさを反省します。学校は学力、先生の子供の指導の仕方など、トータルで選ぶべきです。
ただ、まだまだ偏差値のみで中学を選ぶ人が多いでしょうね。「あなたは勉強だけしていればいいのよ」という勘違い母に育てられた子が、勉強は出来るのに盗みをしてしまうのだと思います。 -
【616409】 投稿者: つぶやき (ID:ocOhst9PVi.) 投稿日時:2007年 04月 15日 13:39
親業は子供を自立させることでしょうね。
そして他人に迷惑をかけず弱者に対する思いやりを忘れない心の持ち主にすること。
ノブレス・オブリージュですよね。
親は子供を信頼して見守ってやることいしかできないでしょう。
非常に大きな忍耐が要求されるのですが。
スレ主さんは、受験というより、子供に有意義な人生を送らせてあげるにはどうしたらいいかということを問題にしているのでしょう。間違っているかもしれませんが。
近視眼的な発想ではなく、大局観を持った発想で。
人間の将来は誰も予測できません。
そして、人生は長い。
受験はその長い人生に比べれば短い通過点に過ぎない。
今は情報過多なので、情報に振り回され短絡的な発想に陥りがちです。
俯瞰する目が失われているのでしょう。大局観のことです。
この俯瞰する目というのは非常に大きな知性を必要とするのですが。
かってそのような俯瞰する目をもった偉大な思想家がいました。
その思想家の著作を読んだとき、天才というものの凄さ、その洞察力に圧倒されました。
凡人と天才の違いは何か、そのとき少し分かったような気がしました。
10代の終わりの時期のことです。