最終更新:

239
Comment

【837918】ごめんね。合格させてあげられなくて。

投稿者: でも、楽しかったね。   (ID:QegL.Ol9So6) 投稿日時:2008年 02月 10日 01:46

 さっき、皆が寝た後に、娘の塾バッグが無造作に置かれていたので、ふと中をのぞいてみました。
2月5日、受験最終日の受験のときのままでした。
そこだけ、時間が止まったままでした。
あれほど行きたかった志望校の最終戦の帰りのままでした。表紙が破れかけているその受験校の過去問や対策ノートがそのままの状態で入っていました。飲みかけのペットボトルや使わなかった予備のホカロンや休み時間用のキットカットもそのまま入っていました。
合格票と引き換えることのできなかった受験票もそのままでした。
その受験票に貼ってある娘の写真を見たら、私は、涙が突然あふれてきて止まりませんでした。
この2年間のいろいろなことが走馬灯のようによみがえって来て、もう本当に自分の涙の制御ができませんでした。一人で男泣きをしてしまいました。
娘の前では、ここ数日は「もう済んだことだから、いつまでもクヨクヨしない。君はやれるだけやったんだから、気持ちを切り替えよう。」って、気丈に振舞っていた私でした。
我が家では娘の塾での偏差値が急降下した秋から、父の私が塾以外で時間の許す限り娘と二人で、娘の一番行きたい志望校に向かっての二人の特訓勉強をしてきました。いつもは、私との勉強は嫌がるおっとり型の娘でしたが、「合格は頂くものではなく、もぎ取るものだ」と気合をいれて、何とか目標に向かってがんばりました。偏差値も急上昇しました。久しぶりに娘とすごせた熱く楽しい時間でした。しかし、その志望校からのラブコールは最後までもらえませんでした。
実は昨晩、娘から「パパともう少し早くから一緒にやってれば、合格したと思うよ。」そして、「ありがとう。楽しかったよ。」って言われました。私は「よく、がんばったね。おつかれさん。」って言うのが精一杯でした。
でも私の本心は、自分に対して悔しくて悔しくてなりません。「本当にごめんね。合格させてあげられなくて。」
そして、今日、娘は第3希望の学校の合格者説明会に笑顔で妻と二人で行きました。

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「中学受験情報に戻る」

現在のページ: 28 / 30

  1. 【902458】 投稿者: メンデルの法則  (ID:CMJkaqgiZGY) 投稿日時:2008年 04月 15日 00:00

    とおりすがりさん

    表面的にではなく、よく考えてみましょう。
    本来、数万年に渡って、男は狩りや戦争、
    女はあなたのお母さんのような役割を
    果たしてきました。
    弥生時代になって、男は戦争や政治をする階級と農業に従事する階級が出来た。
    近代になって、家事の負担が減り、いわゆる専業主婦というものが出来ましたが、
    家庭における女性の本質的な役割は変わっていません。

  2. 【902547】 投稿者: 誤解  (ID:XsxuDzk9zUU) 投稿日時:2008年 04月 15日 02:12

    メンデルの法則 さんへ:
    メンデルの法則さんは、共働きのお母さんで中学受験を終えられたのですね。お疲れ様です。わたしのようなものの議論にかまっていると疲れるかもしれませんが、ご意見されました件、返信させていただきます。

    日本の一般のホワイトカラーの生産性は非常に低いという事実認識は一緒です。しかし、それを日本人固有のもので変わらないという主張とすれば、それは変わると思います。現に、この十年くらいで変わっている業種も多いと思います。サービス残業は告発を受けたり、企業の自助努力で、是正される方向でしょう。
    -------------------------------------------------------
    > まず、日本の男性が働きすぎという、よくある論理ですが、
    > 労働時間よりも、日本のホワイトカラーの生産性が
    > 先進国の中でも低いという点がむしろ問題点でしょう。
    > ここには、日本民族の様々な特質が反映しており、
    > あなたのように単純に欧米の論理を持ってきても
    > 何ら解決にはなりません。
    > その議論がすでに何十年も行われているにもかかわらず
    > 日本人が変わらないのはなぜかを考える必要があります。
    >

    個人のライフスタイルの選択であるという考えは一致しています。しかし、ベースケースの選択からずれるならその分の負担を覚悟するべきで社会がそういうことを義務とするほうが良いとわたしは言っているだけです。経済的には働かない(=税金を納めない)というのは今となっては古き良き時代の贅沢であり、不都合でもあります。専業主婦は家で働いていながら、経済活動の外であるので大きなアングラ経済だとも言えます。


    なお、わたしの話は欧米の論理をなぞったわけではありません。欧米の理屈そのものを借りる必要がありません。欧米でこういう実例(=男女の差別なく総合職が上級管理職などとして働き、待遇も差別されない)があるというのを上げたのは、別に欧米の文化を適用するのではないです。また欧米にはもともと女性優遇の特質があるから、このような制度が出てきたものではありません。逆に日本固有のものなどを島国の特性などに遡って見る必要がないと思う。

    > それから、男女ともに働いて、経済的に自立すべきと言う意見ですが、
    > これも日本人と欧米人の気質、文化、国民性を無視した机上の空論です。


    専業主婦という層の存在は大きな社会問題です。その議論は2009年度以降配偶者控除を見直してみれば、その後の現象を観察することでわかると思います。次に、「お金があれば、働かない」という本質とはなんでしょうか。「現代日本はモラルが崩壊しているからそれが当たりませだから改革できないので、是認すべき」と言っているように聞こえました。しかしそれは怠惰なだけで”義務の放棄”と思いますが、現在はその義務が税制上きちんと公平に機能していない。

    > そもそも、欧米人はあなたのように労働を美徳や義務とは考えていないでしょう。
    > 働くか働かないかは個人のライフスタイルの選択であって、
    > ....すべきというのは、大きなお世話としか言いようがありません。
    > まず、お金があれば働かないと言うのが大多数の人間の本質であることを、
    > きちんと認識しないといけません。
    > まして、現代の日本は欧米のような宗教的なバックボーンもなく、
    > お金以外のモラルが崩壊しています。


    下記の部分は、まさに問題なのでしょう。結局、夫の理解と支援も得られない、社会システムも仕事を持つ女性が暮らせる環境には今ひとつなっていないという実務上の問題があるような気がしてなりません。


    現に、わたしの妻はわたしが家事を手伝うことにより、毎日7時半には家をでて11時過ぎまで働いて帰ってきますが、普通の考え方では、共働きには中学受験は無謀で、家庭もつぶれるだろうと思います。そこでわたしは考え方を変えました。我が家は今でも妻の仕事への意欲はますます盛んです。既得権益なども一切主張しませんし女性への差別などの愚痴も言いません。そういう人はわたしの会社でも数多く見ます。書かれているところから察すると、メンデルの法則さんは子供が出来て仕事に情熱を失った方なのでしょうか。万一、そうであるのならば、残念です。

    > 私の周りの、キャリアウーマンたちも、
    > 全員とは言いませんが、その多くは、
    > 子供がいないときは生き生きと働いていますが、
    > 子供が産まれると、仕事に情熱を失ってお金と子育てのための
    > 既得権益だけを主張する様になります。


    現代日本の女性が家にいて夫が外で働くという分業は決して島国日本固有のものでもないし、男女の生物学的なものでもないし、進化の過程や歴史を通じての役割分担の反映でもない。現に日本の農業は、昔からすべてが女性の経済に(貢献する)労働力を前提にしています。戦争や狩が男女の肉体的な差を際立たせたから、外ではなく内の仕事を分担したのです。専業主婦という範疇は存在しません。


    戦争の実行のような部分でもなければ古墳時代、飛鳥時代を見てもわかるように女性が男性と対等に活躍しているのは当たり前です。配偶者控除が作られたのは1961年で、その精神的なバックボーンはおそらくは明治時代位にしか遡らないと思います。明らかなことは「富国強兵の時代」女性は子供を生むことが要請された。所謂「産めよ増やせよの時代」です。皆さんの祖母は4人から10人もの子供を産んではいませんか。冷蔵庫、レンジ、掃除機もなく、伝記釜も、保温ジャーもない。週100時間以上の生活のほぼすべてが育児にささげられることになったのです。今は、幸いなことにそういう時代ではありません。(為政者が、いつか戦争の危機が高まったときのために、専業主婦という仕組みを温存保持しようと考えるなら別)


    それから、昭和初期(満州事変の前)のサラリーマンの日記(祖父のものですが)などを見ると、五時には会社をでてかならず同じ路面電車に乗って帰り、奥さんと子供の迎えを停車場で受けて、父親は家で夕食までこどものお守りをする、休日は日がな1日家族と過ごすというように、父親の育児参加もありました。


    おそらく今のわたしと同じ程度の時間をかけているように見えます。(つまり、そういう時代でもできればやるということです。) その後には受験に付き添ったり、試験日に休んで雪の中で待っていたり、現在の世の中の例と似ているものも目にしました。今後のライフスタイルを考える際の参考にしています。子沢山でお手伝いさんも実家から連れてきた祖母は専業主婦でしたが、当然ながら当時の意識と家事のレベルや仕事の能率そして戦争という時代の流れ、実家の状況がそうさせたのだとわたしは理解します。


    > 思いこみの理想ではなく、人間の欲望の本質や何千年も続いてきた島国の民族性、
    > そして、男女の生物学的な差異、進化の過程や歴史を通じての役割分担といった
    > 深い部分を理解しないと、どこかから借りてきたような浅薄な平等の議論になってしまいます。


    お金があり、かなえられるのであれば専業主婦が良いというのは、個人のご意見として別に否定しません。(わたしは賛同いたしませんが) 人の趣味でいかようにもされるのはかまわない、ただ制度が整い、応分の負担をすることがポイント。応分の負担をするとなれば、そのような形でいられるひとは極く一部の人になるでしょう。それがうらやましいというか、人それぞれでしょう。


    「共働き(我が家もそうですが)は 子供の塾の費用や、住宅ローンや、車など、現代日本の中流といわれるような生活を維持するためにお金のために奴隷になっているあわれな家庭
    (社会)だと言えるのではないでしょうか。」と書かれていますが、世間一般の共働きの状況は、理想とはかけ離れて時間がない、少ないのは事実でしょう。(我が家はそういう価値観での共働きではありません。奥さんが断固仕事を続けたいからという、生粋の共働きです。お金はあまり考慮していません。)


    メンデルの法則さんがご自分が共働き家庭にも関わらず、「専業主婦を理想」に思われるのでは現実とのギャップがあり大変ですね。専業主婦を理想とするのではなく、共働き家庭のライフスタイルをいかにするか、ということもひとつの考え方かと思いますが、いかがでしょう。経済的な主体となっていない人の社会における権利/義務をどうするべきか、その上での個人の選択の自由という議論を、今の時代に即して議論するのは、大変ですが自分で考えたい課題です。


    最後に、中学受験ではないのですが、「東大受験で専業主婦が有利かどうか」というのは、わたしのひとつの引っ掛かっている興味です。合格者の40%が専業主婦というデータの意味や一方で、父親と30分以上話す子供が多数だったという注目される記事がきっかけです。(サンデー毎日4・6)


    家庭の温かな雰囲気というのは、共働きでも作らないといけないと思いますし、専業主婦が多いというのは、過去30年から現在に至るライフスタイルの継続が反映されものと理解をしています。が、父親の役割はあまり統計には出てこない。例えば週の労働時間数とか、子供と使う時間数、子供との関わりの質など。そういう部分もわからないと立体的にイメージが出てこないように思います。専業主婦のパーセンテージの年度推移も確認しない(減っているのか横ばいなのか)といけない思っています。中学受験については終わってしまって興味がなくなっていますが、「合否」と同じくらいに「どのような形で学校・塾・稽古事・そのほかの活動を含めて、6年生を終えるのか」が結局大事だなとの感想です。なぜなら、中学受験は通過点だったので。大学入学までが親の責任範囲とすると、先々考えて中学受験は専業主婦がつきっ切りの方が有利とは言い切れないと思います。共働きで結構でしょう。


    > 共働き(我が家もそうですが)は 子供の塾の費用や、住宅ローンや、車など、現代日本の>中流といわれるような生活を維持するためにお金のために奴隷になっているあわれな家庭
    >(社会)だと言えるのではないでしょうか。
    > 端的に申し上げて、叶えられるのであれば、
    > お金がたくさんあり、母親が家にいるという家庭が
    > 理想であるということを、中学受験を通じて痛感しました。

  3. 【902811】 投稿者: 通りすぎます  (ID:ly175YgV52Q) 投稿日時:2008年 04月 15日 12:31

    長すぎて読む気になりません。
    もっと簡潔にしてください。

  4. 【903329】 投稿者: メンデルの法則  (ID:CMJkaqgiZGY) 投稿日時:2008年 04月 15日 23:25

    誤解 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    個々の理屈には同意できる部分もありますが、
    ご意見の全体の構成にはちょっと無理があるのではないでしょうか。


    > メンデルの法則さんは、共働きのお母さんで中学受験を終えられたのですね。


    残念ながらNOです。私は父親ですが、妻が専業主婦でなかったら
    中学受験は出来なかったと思います。
    平日夜、休日の塾への送り迎え(これは私も大部手伝いました)
    弁当づくり、そして、学校へ出す資料(たくさんの習い事やその成果の管理と記録)
    塾との調整、入試の面接などなど、
    ある意味、特殊かもしれませんが、我が家の中学受験は共働きでは
    絶対に無理だと思いました。
    入学してからも、終業式など何度か学校の行事に参加しましたが、
    ほとんどのお母さんが専業主婦で、きちんと出席されているのを見て
    驚きました。


    > 日本の一般のホワイトカラーの生産性は非常に低いという事実認識は一緒です。しかし、それを日本人固有のもので変わらないという主張とすれば、それは変わると思います。現に、この十年くらいで変わっている業種も多いと思います。サービス残業は告発を受けたり、企業の自助努力で、是正される方向でしょう。


    的はずれな意見です。それは過去のデータを見ても無理だということがわかります。
    OA化が進んでも、労働時間は減っていません。
    理由は、日本人の気質がきまじめ、細かい、完璧主義、時間のコスト意識がない、
    和の精神、集団主義、平等主義、消費者の要求が世界一厳しいなど
    欧米と比べて特殊な気質を持っているからです。


    だから、製造業の品質では世界一ですが、
    ホワイトカラーの生産性は世界最低です。


    あなたの言うように、ホワイトカラーの生産性を上げるため
    その特殊な日本人気質を捨て去れば、
    そのときは日本の製造業がだめになるときでしょう。


    > 個人のライフスタイルの選択であるという考えは一致しています。しかし、ベースケースの選択からずれるならその分の負担を覚悟するべきで社会がそういうことを義務とするほうが良いとわたしは言っているだけです。経済的には働かない(=税金を納めない)というのは今となっては古き良き時代の贅沢であり、不都合でもあります。専業主婦は家で働いていながら、経済活動の外であるので大きなアングラ経済だとも言えます。


    > 専業主婦という層の存在は大きな社会問題です。その議論は2009年度以降配偶者控除を見直してみれば、その後の現象を観察することでわかると思います。次に、「お金があれば、働かない」という本質とはなんでしょうか。「現代日本はモラルが崩壊しているからそれが当たりませだから改革できないので、是認すべき」と言っているように聞こえました。しかしそれは怠惰なだけで”義務の放棄”と思いますが、現在はその義務が税制上きちんと公平に機能していない。


    これは偏狭な経済学から見ればその通りですが、
    それでは、働かない、働けない、ニートやホームレス、障害者や病人などの存在
    あるいは皇室の存在までも否定することになるでしょう。
    日本社会は、歴史をふまえた、多様で包容力がある社会であるべきで
    配偶者控除がけしからんというような、浅はかな理屈をもって語るべきではありません。



    あなたが、盛んに主張する、専業主婦がけしからん、
    社会のあるべき姿は共働きである、という根拠がどうしてもわかりません。
    察するに、専業主婦は、働いていないので、経済的な社会への貢献がないという点と
    配偶者控除や扶養手当が不平等ということのようですね。


    いずれもナンセンスだということが、わかりませんか。
    全ての女性が、家庭や子育てや社会貢献を犠牲にして、
    経済的に意味のあること、すなわちお金を稼ぐことを美徳とする社会が
    あなたの言うように理想の社会だとはどうしても思えません。


    配偶者控除は、実質税負担軽減額は年間数万円、
    税制から社会を議論するならもっと重要な論点がたくさんありますよ。
    経済だけから論じるのであれば、共働きの家庭は社会的な奉仕や
    地域の助け合いを前提としないため、
    保育園や学童保育など社会保障の点でもお金が余分にかかります。
    受益者負担から言えば、共働き家庭は所得額に応じた
    応分の担税をするべきです。
    保育園を増やせ、育児休暇を認めろ、児童手当をよこせと主張するのならば
    それなりの税金を支払うべきです。


    労働時間の短縮は、現在の日本人の高水準の給与を下げなくては実現しません。
    あなたはそれを受け容れられますか。
    正社員の給与を下げられないから、派遣、請負社員が増えて
    社会格差が生じている現実をどう考えますか。


    何度も言いますがライフスタイルは個人の選択であり、
    専業主婦でも共働きでも、自由でしょう。
    どちらがあるべき社会だと言うつもりはありません。
    しかし、人間の本質は、十分なお金があれば
    出来ることなら働きたくないと言う
    素朴な欲求をもつものだと思います。
    大多数の人間は、
    (もちろんあなたの奥様は違いますが....)


    欧米、日本のいわゆる超富裕層の家庭は
    はほとんど専業主婦であるという実態をご存じですか。


    最後に、個人的な感想ですが、
    私が小学4年生だとして
    疲れて夜、塾から帰ってきたときに
    せめて母親、出来れば両親がいる家庭に生まれることを希望します。
    たとえ共働きの家庭より貧しくても。

  5. 【903405】 投稿者: 共働き母  (ID:vbfA9S1edaw) 投稿日時:2008年 04月 16日 00:44

    メンデルの法則 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    原文が長すぎる(読むのも大変)ので、反論部分のみ書きます。


    ■共働き家庭の中学受験、学校行事参加に関して


     フルタイムの共働きでも中学受験はできるし(しましたし)、
     できないとしたら子供が親に甘えすぎていると思います。
     学校行事も、出席すべきものはすべてでています。


    ■以下の意見に対して
    >> 保育園や学童保育など社会保障の点でもお金が余分にかかります。
    > 受益者負担から言えば、共働き家庭は所得額に応じた
    > 応分の担税をするべきです。
    > 保育園を増やせ、育児休暇を認めろ、児童手当をよこせと主張するのならば
    > それなりの税金を支払うべきです。


     共働き家庭は夫婦でそれぞれ所得税・住民税を払っています。
     つまり専業主婦の家庭の倍額です。

  6. 【903449】 投稿者: 誤解  (ID:XsxuDzk9zUU) 投稿日時:2008年 04月 16日 02:18

    まず、家事の負担が減り、父親も労働時間が減っている部分が的外れとのご意見ですが、
    その部分の議論です。1960年の年間2400時間をピークとして、2005年付近で1800時間レベルになっています。図を見ていただければわかると思います。8時間労働、サービス残業の低減などは普及しています。


    出所:労働時間の長期推移(日本、英国)
    http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3120.html



    > 日本の一般のホワイトカラーの生産性は非常に低いという事実認識は一緒です。しかし、それを日本人固有のもので変わらないという主張とすれば、それは変わると思います。現に、この十年くらいで変わっている業種も多いと思います。サービス残業は告発を受けたり、企業の自助努力で、是正される方向でしょう。


    的はずれな意見です。それは過去のデータを見ても無理だということがわかります。
    OA化が進んでも、労働時間は減っていません。
    理由は、日本人の気質がきまじめ、細かい、完璧主義、時間のコスト意識がない、
    和の精神、集団主義、平等主義、消費者の要求が世界一厳しいなど
    欧米と比べて特殊な気質を持っているからです。


    だから、製造業の品質では世界一ですが、
    ホワイトカラーの生産性は世界最低です。


    あなたの言うように、ホワイトカラーの生産性を上げるため
    その特殊な日本人気質を捨て去れば、
    そのときは日本の製造業がだめになるときでしょう。

  7. 【903456】 投稿者: むーみん  (ID:winHP0tOU0E) 投稿日時:2008年 04月 16日 02:28

    通りすがりですが・・・
    「人間の本質は、十分なお金があれば出来ることなら働きたくないと言う素朴な欲求をもつものだと思います」というメンデルの法則さんのご意見は、私には奇異に映ります。
    私の知る働いている女性達は皆、お金のためではなく、情熱をもって仕事をしています。
    お金があれば働きたくない=専業主婦は働かなくて楽している、ということですか?専業主婦をバカにした発言のように思えますが。
    また、「欧米、日本のいわゆる超富裕層の家庭はほとんど専業主婦である」とのことですが、お金があれば働きたくないのであれば、超富裕層のご家庭は男性だって仕事をせずに遊んでくらせばいいことになりますね。でも実際はそうではないですよね。
    弥生時代の話や性差の話もされていますが、私も生物学的に男性と女性は大きく違うところがあるとは思います。ですが、その違いのかなりの部分は体力・力という点で、男性が女性より優位にたてたという歴史によって、女性自身の意思とは別に培われてきた部分も大きいと思っています。

  8. 【903460】 投稿者: 誤解  (ID:XsxuDzk9zUU) 投稿日時:2008年 04月 16日 02:41

    メンデルの法則さんへ、


    お書きになった中で、「あなたの言うように、ホワイトカラーの生産性を上げるため、その特殊な日本人気質を捨て去れば、 そのときは日本の製造業がだめになるときでしょう。」とおっしゃっておられますが、職人気質とホワイトカラーの生産性がごっちゃになっていませんか。ホワイトカラーはマネジメントですから、クオリティはシステムで保証されているので下がることはないです。


    理由として書かれた日本人の気質がきまじめ、細かい、完璧主義、和の精神、集団主義、平等主義などは、ホワイトカラーの労働時間を押し上げる要因としては関係ないです。なお、顧客の目が世界一厳しいというのは、管理レベルが高いということでコストのアップですが、労働時間に利くわけではないかと思います。時間のコスト意識がない、のは働く本人(つまり父親)の問題です。


    また、熟練技術者の存在の部分は、ホワイトカラー以外の部分では皆無ではなく必要なのは同じ考えですが、さりとて、どうしても必要な部分は、限られるというのが現在の認識。すべての製造業が、残業しなければ、日本の製造業がだめになることはないと考えます。


    ホワイトカラーが残業するのが当たり前なのが、日本の美風のような発想がその後の「専業主婦」議論に影響しています。


    この部分が思い込みで構成されているから、父親が外にいて、母親がうちにいるという前提になっているかと思います。先に出した労働時間の通り、わたしは1800時間程度の年間労働時間ですが、逆にメンデルの法則さんの議論は、何時間を想定されているのですか?おそらく、そこの時間数が平均的なものでないのではないかと思いますがいかがでしょうか。

あわせてチェックしたい関連掲示板

このスレッドには書き込めません

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す