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投稿者: 新米保護者 (ID:byEsJszGne6) 投稿日時:2007年 10月 08日 22:18
新米保護者ですが、麻布の教育というか空気について感じてきたことを書かせてください。一番大切なことが、麻布では「主体的に生きる」ということを体験的に学んでいるのではないかという気がしています。そしてこの「主体的に生きる」ことを大切にする空気の中では、生徒は窮屈さを感じず、それがよく言われる「麻布の自由」として表されるのではないかと思うのです。また保護者はこの空気に、大事なことを学んでいることを直観的に感じ、どこかほっと安心してしまうのではないか、と思います。我が家ではそうでした。
「主体的に生きる」ということは人が自分の人生を豊かに送る上で、最も鍵となることではないかと思います。外側から当てはめられた、組織や集団などの成功の尺度から物事を判断し、行動を律することだけでは、人生は楽しく豊かに送れません。いつか「自分の人生は何のため?」と窮屈に思うことがあるのではないでしょうか。しかし、自分らしい生き方をしながら、社会貢献ができる道が探せると、経済的、社会的にどうであれ、個人的には人生に豊かさを感じることができるような気がします。
では主体的に生きる、ために必要なことは何なのか、考えてみると、「何かが起きたときに、条件反射的に物事を処理しない」つまり合間のポーズを置く、ということではないかと思います。しかしまず、ポーズを置いて、それから、何を判断尺度として考え、自分(や自分たち集団)にとりうる行動の選択肢としてどういうものがあるのか、考える。これが、主体的に生きる上で最初に必要な鍵なのだと思います。
現実には現代社会は忙しいし、組織などごとにノルムがあり、何かが起きると、条件反射的に物事を処理することが多くなっています。組織規範でものごとの処理をルール化しておいた方が、組織運営の効率は良くなり、組織が所与の目的を達するスピードは上がります。しかし、これでは、組織(小社会と言い換えても良いと思うのですが)が環境変化対応や、組織の進化が遅れ、脆弱なものとなりかねないのだと思います。
麻布の空気の中で育ちつつある者は、できごとがあったときに、まずポーズを置いて、そして皆で話し合う。何があったのか事実を確認し、事実を共有化する。そして、判断尺度、とりうる選択肢について話し合う、ということが当然のごとく行われるのだと思います。この方法はものごとの処理は非効率です。スピーディに自動処理することに慣れた者の目から見ると、理解しがたいこともあるでしょう。ですが、まずポーズを置くことをしないと、主体的に生きることを放棄し、流されて生きていくことになりかねない。これができるというのは、長い人生では武器になります。他者に勝つための武器ではなく、自分の人生を有意義に過ごす武器です。
言葉にするのは容易ではなかったのですが、我が家が息子が麻布に通っている端々から触れる空気から、感じ取ったことと、半年を経て、ますます安心している背景を改めて考えてみるとこんなところかな。
まだまだ新参者ですので、諸先輩からも学んで参りたいと思います。しかしまずはこの空気を作り、守り育ててくださっている関係者の方々に御礼を述べながらも、つたないながら学んだことを言葉にすることでお役にたてればと願い、また何らかの形で空気を理解したい方々のご参考になれば、と思います。
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【834198】 投稿者: 麻布OB (ID:.axmlM/LFXE) 投稿日時:2008年 02月 07日 12:32
「自由と規律」を書いた池田先生は、麻布で学んだOBだというお話を聞いたことがあります。三田と麻布は、案外仲良くて、小泉信三さんと清水さんも仲良くて、生徒の転校斡旋などもあったとか。
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【877917】 投稿者: 今はないよね (ID:hcQQCwvP2HQ) 投稿日時:2008年 03月 17日 12:10
麻布OB さんへ:
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> 「自由と規律」を書いた池田先生は、麻布で学んだOBだというお話を聞いたことがあります。三田と麻布は、案外仲良くて、小泉信三さんと清水さんも仲良くて、生徒の転校斡旋などもあったとか。
作家の安部譲二氏(楽しい人だよね)の頃は確かにあったみたいだね。
安部譲二(Wikipediaより)
東京都内の裕福な家庭に生まれ、麻布中学校に進学したが、中学在学中から暴力団の安藤組事務所に出入りしていた。そのため麻布高校への進学が認められず、慶應義塾高校に進学したが、暴力団との関係のため退学処分となった。
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【883005】 投稿者: 氷上先生の授業 (ID:aQ9tCAf7ngo) 投稿日時:2008年 03月 22日 21:39
「今日は天気が良いから、神宮外苑に銀杏を見に行こう!」
当時倫理を教えておられた氷上先生は、希望する生徒を連れ立って神宮に散歩に行きました。
高校2年生の秋のことです。大学受験に向けたプレッシャーを感じるようになるこの時期、生徒たちは皆、自分の進路や成績、親との関係など、それぞれの壁に直面し、悩みます。神宮に向かう道すがら、私たちは最初ふざけたりバカな会話をしていたのが、いつの間にか真面目に語り合っていました。
神宮の銀杏は見事に色づいていました。
「おー!」
私たちは子供みたいに素直に感動していました。
氷上先生の授業では、プラトンもデカルトもヘーゲルも読みました。大学に入ってから、多くの学生が哲学の古典的テキストを全然読んでいないことに驚きました。でも氷上先生は決して難しいことを教えていたわけじゃありません。生徒がいれる茶々も独特のユーモアで受け流します。
だからって別に立派な教養人になったわけじゃありません。「自由?」「主体性?」そんな難しいことは今も分かりません。
でも、自由に、そして主体的に生きるために必要なのは「のびやかな知性」と「しなやかな感性」でしょ?そう教えてくれたのが氷上先生の授業だったような気がします。
銀杏が色づくころになると、楽しかった先生の授業を思い出します。
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【883415】 投稿者: いいですね (ID:0cHJh2p5Z7E) 投稿日時:2008年 03月 23日 11:41
氷上先生の授業すばらしいですね。
息子もそんな恩恵を受けたのでしょうか。受ける側にきちんとした意識がないのかな?
私自身、生まれかわったら麻布に学んでみたいものです。
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【910568】 投稿者: ↑あれもこれも皆さん結構 (ID:XM2XV29.uSA) 投稿日時:2008年 04月 24日 14:37
ですけれど、一言で言えば、「野放図」な学校なんではないでしょうか。
「麻痺してませんか」のスレ以上の話も聞きます。
社会の中で認められない部分については、もちろん学校も処分を出しているようですが、
そうでもしなければだめなら、主体的以前の、小学生でもわかるような規則を用意して
あげないと。
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【910877】 投稿者: ざいこうせい (ID:e3dI8KCvvEM) 投稿日時:2008年 04月 24日 20:42
>そうでもしなければだめなら、主体的以前の、小学生でもわかるような規則を用意して
あげないと。
議論が持続している以上、「主体性以前」という発言は単なる断罪。更に言えば、価値判断も、完全に主観によるもの。そうした方策が一定の支持を受け、かつ合理的説明がなされている限りにおいてそうした断罪はなされるべきではない。
全ての前提となる規則の制定は本議論の根本を否定しうるものだから、安易に言い出すべきではない。一般に認められている規範こそ間違っている場合もある。そうした規範への猜疑心も主体性の一部をなすものであり、「小学生でもわかる」と形容して「規則を用意してあげないと」と言うのは、そうした議論をまったくに無視している。
加えて、いわば「感覚の違い」によってそうした発言が為されているならば、そうした言説が自らの感覚の範疇でしか通用しえないということを自覚するべき。
自由は世俗的信念からの解放でもある
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【911016】 投稿者: ↑ (ID:qbDPC3mWpZY) 投稿日時:2008年 04月 24日 23:31
自由は麻布的妄想からの解放でもある・・・とも思いますよ。
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【911022】 投稿者: ざいこうせい (ID:DK/D8XG6hhE) 投稿日時:2008年 04月 24日 23:37
>↑
もちろん。麻布というくくりで見れば、麻布の伝統(妄想?)も「世俗的信念」ですから。
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