- インターエデュPICKUP
- 最終更新:
投稿者: 1 (ID:5i1YJx2Q/Fw) 投稿日時:2007年 03月 03日 00:03
数学オリンピック一次予選合格者の推移
開成の勢いがどんどんなくなってる。
東大合格者と比例するのが興味深い
学校| 01 02 03 04 05 06 07
==|===================
−灘| 24 19 16 17 16 19 25
筑駒| 15 16 22 13 20 21 21
栄光| -3 -4 -8 -4 -2 -4 -8
麻布| -5 -3 -2 -1 -1 -3 -7
開成| 14 11 -8 -8 -6 -8 -6
-
【1336770】 投稿者: OB (ID:oliOsnOdPOs) 投稿日時:2009年 06月 19日 22:52
「もし、」さんへ
その場合、私でしたら、逆に、積極的に武蔵をすすめるかもしれませんね。
東大が国家公務員試験や旧司法試験で頭一つ二つ飛びぬけていたのは、大学が面倒見がいいから、あるいは法学部の授業が試験向きだったからだ、とお考えでしょうか。そういう意味で開成以上にひどいですよ…。もしかすると、昨今の保護者の方々は、ご子息が東大に入ってからも、「東大は本当に面倒をみてくれない。現在、人気上昇中の大学はそうじゃない」とおっしゃるのでしょうか?
おっしゃるたとえで言うと、開成や武蔵のような、ある程度放置される環境で「ものすごく努力できる」のであれば、東大でも、社会でも、同じように努力し続けられるでしょう。しかし、現在の中学受験のような手取り足取りの環境の中で努力できるだけだとすると、少々懸念があります。その流れを中高のどこかで断ち切らない限り、東大に受かってもその先が暗いでしょう。社会でたまに囁かれる「あの人、東大はでてるけどね…」ってやつです。
したがって、私にとって、「同じくらいの偏差値で、受験指導に熱心で、進学率が倍」がウリは、むしろマイナス要素ですね。そもそも、そういう学校は、開成麻布が生き残るか否か以前に、失礼ながら、短いスパンでみても生存率が非常に低い。そういうわけで、私は、その場合、やはり積極的に武蔵をすすめると思います。
確かに、伝統ある学校は変化するのが難しいですね。そのうちに、開成も他の学校にその場所を受け渡すときがくるのでしょう。ただ、今の保護者の方が求めている安易な「変化」は、単に学校の寿命を縮めるだけだとしか思えません。ですので、開成の変化できない体質は、今のところはプラスに働いているかなと思っています。 -
【1336806】 投稿者: 開成はすごい (ID:wpTq9.yK47E) 投稿日時:2009年 06月 19日 23:25
と思います。ただし、開成に入ってくる生徒の知的能力がすごいのであって、
開成の学校としての組織や、知能の高い生徒の知的好奇心を満足させるスピード感と内容がないからこそダブルスクールするのでしょう。
開成等学校の骨組みはたいしたことはなく、すごい知的能力の高い生徒の邪魔をすることのないように、プラス作用も及ぼさず、マイナス作用も及ぼさないようにしている程度ではないかと想像しています。
また、開成にすごい生徒が集まるのは一種の都市伝説であって、
中学受験塾が偏差値表で上の学校=いい学校という暗示にかけているのだと思います。
本来なら、中学受験塾は、偏差値表でなく、よい授業を行っている・よい教育を行っているランキングを配るべきです。
また、大学受験に役立つ授業が、悪で、大学受験に関係ないようなことがアカデミックとするのは、異論があります。
大学受験の問題はアカデミックな研究をしている教授が考えた、物事を学ぶ上で大事なことを試験で出しているのであって、基本的には良問だと思います。試験に出ないような、たとえば、ガラバゴスペンギンの生態系ばっかり授業でやっていて、アカデミックでしょうか。
中学高校の勉強は大学でアカデミックな授業をやるための基礎であり、広く浅く、基本的に大事なことをやる必要があるのではないでしょうか。
開成に入るすごい知的能力のある生徒がいながら、なぜ、進度も遅いのでしょうか。
開成に入る能力のある子からすればもっともっと進度を上げられるし、知的好奇心を刺激すると思いますが。知的後期氏に印意欲性をかけているとしか思えません。
そういうのがないから、鉄緑会とか、短時間で詰め込みすぎて勉強の面白さがわからなくなってしまうような塾に通っているのでしょう。
開成のカリキュラムを見ても、知的能力の高い子が知的好奇心を刺激されるようなカリキュラムが入っているようには見えません。
授業の内容は詳細にはわかりませんが。
はたして、遠くから通って意味のある学校なのでしょうか。
12歳くらいの子供に自由といって放任するのも意見の分かれるところです。
ツバメの雛が、まだえさのとり方を覚えてないのに、300匹も放り出されて、自分でえさをとって来いといわれ、その中で生き残った雛はあらゆる手段を使って生き残ったつわものでしょうが、半数は天敵にやられて死んでしまうのではないでしょうか。
適度に親鳥が、えさのとり方を教えていれば、立派な親鳥になったかもしれないのに。
開成の自由は米国の新自由主義のように、過度の競争原理に通じるものがあるように思います。
開成がドラスティックに改革するのなら、生徒会が優秀な教師を任命し、校長を生徒会の選挙で選ぶくらいのシステムにしてほしいと思います。
開成の進学実績を見ていて、東大以外の慶応・早稲田にもいけない人たちがかなりいるように推定されます。
進学実績だけではないといいますが、開成にあって、ほかの中学・高校にないものって何でしょうか。
受験実績だけじゃないんでしょうか。思春期の子供たちが発達する上で、必要な、友情・恋愛・クラブ活動での先輩後輩の関係など
どこの中学にも多かれ少なかれあることだと思います。
OBさんは何で開成中学のどの特色がよくて受験したのでしょうか。棒倒しや運動会を自主的に生徒が運営することなど、
自慢するほどのことではなく、どこでもやっています。開成という後光効果が生み出している幻影ではないでしょうか。
開成中学に進みながら、受験実績だけじゃないというのは、逆受験至上主義だと思います。
受験実績だけじゃないというのなら、音楽の特別課外授業があってもいいし、コンピュータの課外授業があってもいいと思います。
そういうのが開成にありますか?。裁判体験などありますか。 -
【1336945】 投稿者: 横ですが (ID:E5d9x5Nu.Uo) 投稿日時:2009年 06月 20日 02:28
>開成が、ダブルスクールせず現在の進学実績を出しているのであれば、すばらしい学校だと思いますが、
現実にはそうではないでしょう。
要するに、開成の授業は、大学受験には役不足だと、生徒や親が考えているということではないですか
「役不足」の使い方が、これでは間違っている気がするのですが。 -
-
【1337179】 投稿者: 横ですが2 (ID:q8tcxRKoQd6) 投稿日時:2009年 06月 20日 11:32
「開成の授業は、大学受験には役不足」とOB様がおっしゃるのは意味が通ります。
つまり、開成の授業は、大学受験向けといった低レベルのものではないという意味で。
もしかしたら、もし、様は開成の授業のレベルを大学受験向けまでに下げてほしいとの願いで、書かれたのかもしれませんね。
ついでですが、筑駒の授業も大学受験向けではありません。
大学受験向けの授業を求めるのなら、そういう授業をする学校を選択するのが賢明と思います。 -
-
【1337301】 投稿者: CHANGE (ID:605un7Ajl2Y) 投稿日時:2009年 06月 20日 13:58
OBさま
少し誤解があるようなので。
私は学校であれ個人であれ、絶えず変化は必要だと思っています。面倒見をよくして欲しいと思ったことは1度もありません。
灘では数学は生徒が学校で教えてくれない解を板書することが多かったと思います。
息子の話を聞く限りでは、開成は面倒見は悪くはないと思っています。「変化」というのは在籍する生徒の意識を高いレベルで維持するには、刺激を与えてあげる必要はあると思います。
「自己満足の孤高」であってはいけないと言いたかっただけでございます。
ご理解ください。
「良い授業」の定義は難しく、また人によって受け止め方も異なります。それぞれの教師が自分の信念に基づいて行っていれば、私としては十分かと思います。
私は高校時代、1年間世界史は「フランス革命のみ」でした。正直、辟易しましたが教師の「学校は予備校でない!」で「まあ、いいか」と達観しました。
余談ですが、開成のコンピュータの授業(技術)はレベル高いですね。 -
-
【1337370】 投稿者: そうかな? (ID:pREVlZNM3C2) 投稿日時:2009年 06月 20日 15:48
こーやってしょっちゅうPC使ってるとそうとは思わないんだけどなあ
あんたのレベルが低いんじゃないのww -
-
【1337411】 投稿者: ばらばら (ID:DATCyydaOhY) 投稿日時:2009年 06月 20日 16:58
>息子の話を聞く限りでは、開成は面倒見は悪くはないと思っています。
この学校は学年が違えば先生の雰囲気も授業のやり方も全く違うそうです。
面倒見の良い学年とそうじゃない学年では別の学校かと驚くほど違うらしい。
自分の学年の経験だけで意見を言うと話が噛み合わないかもしれませんよ。 -
【1337673】 投稿者: 開成が大学レベルの授業を (ID:wpTq9.yK47E) 投稿日時:2009年 06月 20日 22:32
中高の基本をせずにやっているとすれば、
足し算を教えずに鶴亀算を小学生に教えるようなもので、
本当にそんなことをやっているとすれば教師のマスターベーションではないでしょうか。
お金持ちが、「お金なんかいらない」と言っても、
没落して貧乏になって初めてお金の大切さがわかるんだろうと思います。
進学実績は夕食のご飯みたいなもので、大学レベルの授業は、おかずにフォアグラを食べるということだと思います。
開成に、誇りがあるんでしょうが、
改革するほうが労力も気力も消費し、険しい道です。