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【1186776】桐朋高校の入試はほぼ全入?

投稿者: 高校入試   (ID:OMTdzbJd8MY) 投稿日時:2009年 02月 14日 00:15

桐朋高校の今年の高校入試、倍率が1.28倍で過去最低の数値だったそうです。最近は繰り上げ合格者も出すようになったので、かなり全入に近い状態になりつつあるようです。
かつて都立トップ校とは一線を画す難易度だった時代とは違い、昨今の高校入試では、都立高校の押さえとなっているのが現状です。また、桐朋高校の高入の進学実績が大きく落ち込んでいるとも聞きました。
もはや桐朋高校が高校募集する意義はなくなったように感じるのですが、いかがでしょう?


桐朋小学校からの枠と桐朋高校からの枠を縮小もしくは削減して、その分を中学入試の枠にしたほうが良いような気がします。
もっとも、桐朋の中学入試での人気も落ちていますから、そちらの改革もする必要がありますが…。

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  1. 【1254430】 投稿者: 要は、  (ID:9KeUn.PxM3o) 投稿日時:2009年 04月 10日 22:39

    毎年、学校から外部受験を勧告される生徒が何人かいます。
    電車で会ったりすると何となく気まずい感じがしたものです。。
    要は・・・そういうことです。

  2. 【1254522】 投稿者: 外部受験  (ID:b5JwS0bTEQY) 投稿日時:2009年 04月 11日 00:05

    例年はそういうこともあるようですが、この学年は事情が違うのでは?
    グレードアップして、こちらの高校に来られていますが。。

  3. 【1254740】 投稿者: 会社員  (ID:At0nHbg7oCk) 投稿日時:2009年 04月 11日 09:25

    >今年高3様


    >まずは教員の数を減らす。教員の通信簿(既に幾つかの学校では実施済み)を導入し、それの評価を元にする。
    で、教員自体も半ば講師扱いし、担任以外は契約教員とする。


    教育の質を高めるには、ふつうは専任教員を増やすという方向にいくものですが。上記のような不安定な職場には、優秀な先生は来たがりません。ほかのもっと労働環境のよい学校には採用されなかった人が、やむなく桐朋に職を求めるという結果になるでしょう。単年度の給与が少々高くても、身分保障がない職場というのは、魅力的とはいえないのです。「身分を安定させるから教員がダメになる」という主張かもしれませんが、ではなぜ不安定でも高額な給与につられる教員がよい教員になれるのか、わかりません。


    >教員の組合活動も原則禁止とし、授業に専念させる。(数を減らせばその分給料を上げられるでしょう)


    これは端的に法律違反になりますから、できません。そういうことを勉強するのも社会科教育の大切な役目と思うのですが、残念なことに桐朋では機能していないのでしょうか。


    >で、無能な教員は次々に入れ替える。


    こういう労務政策をとって混乱した末に学校自体が低迷していったのが桐蔭学園ですね。「凋落」に対する問題意識はわかりますが、解決の処方箋としては決定的に間違っていると思います。

  4. 【1255155】 投稿者: 落ちこぼれ  (ID:4Dj/IESSkhA) 投稿日時:2009年 04月 11日 18:04

    >例年はそういうこともあるようですが、この学年は事情が違うのでは?
    >グレードアップして、こちらの高校に来られていますが。。

    入学式から1週間もたっていないのに、もの凄い情報伝達スピードですね。
    しかも他校の親御さんがわざわざ掲示板に書き込み。。
    その情報力と行動力なら外部受験が何人いたのかくらいご存知なのでは?

    学校名が分からないと、グレードアップなのかダウンなの判断できませんね。
    ちなみに、中学残念で別の私立中学校からグレードアップ(笑)して桐朋に
    進学してくる生徒は毎年何人かいます。

  5. 【1255168】 投稿者: 今年高3  (ID:rNmqIdYCQQs) 投稿日時:2009年 04月 11日 18:22

    会社員様
    勿論、私がいった事は実現性のないものであることは自覚しています。とはいえ、そのくらいやらなければ桐朋の状況が改善されないことは確かだと思います。
    実際中にいるとわかりますが、どう考えても(特に体育は)教員の数は過剰ですし、他の教員にしても危機意識が足りないように思われます。「所詮は他人事」という意識があるのではないか、と思います。実際、合格実績が低下しても「桐朋らしさはある」という、私から見れば言い訳に過ぎないたわごとを言ってごまかしています。
    教員の評価アンケートを以前生徒会か何かでとろうとしたところ、教員に弾かれたという話を聞いた覚えがあります。
    しかし、「桐朋らしさ」を多様性と言い換えるならば、進路指導は充実していなければならないでしょうが、そんなことはありません。
    (実際、生徒面談がないクラスもあるくらいです)
    労組にかんしては、親が教員である事を含めて少なくとも人並みの知識はあると自負しています。
    それをふまえた上で言っているのです。教員というのは以前に比べればそうではないですが、「聖職」扱いされがちですし、彼らにもその意識があると思います。
    客商売であるはずなのに高圧的態度を取れる数少ない職業ですしね。
    (まあ低姿勢に出てはいけない職業ではありますが)
    その代償として生徒の人生決定の大きな部分に責任を持つべきはずであるのに、労組に大きな時間を割いているのは果たして正しい事でしょうか。
    できるできないの問題ではなく、方向性の問題です。「できない」から勉強不足だのなんだの言われる筋合いはありませんし、本題からそれています。社会人であるならば議論のやり方くらいは心得ていただいていると期待しています。
    無能な教員にしても、上で言ったような持つべき責任を十分に果たせる人間が教員を務めるべき、と言うのが私の考えです。

    不安定な位置については、これは社会一般の通念であると思います。
    社会一般の企業では、実力勝負の所では特に仕事が出来なければ職を失いやすい、とは良く聞きます。それでも、そのようなところに勤めたいと思う人はいるでしょう。そこが魅力的な職場であれば。
    教員というのは、責任が大きいだけではなく、個人の実力が問題になります。(少なくとも授業自体は教員一人で行うものです)
    であれば、上記と同じで、学校が魅力的で、(且つ給料が実力に見合ったものであれば)勤めたいと思う人はいると思われます。(特に桐朋の場合出身者が教員になるケースは多いですし)
    勿論、推測に過ぎませんし、実際にどうなるかはやってみないと判らない事ではありますが。

  6. 【1255223】 投稿者: 在校生です。  (ID:1ieF.1yscQk) 投稿日時:2009年 04月 11日 19:38

    なるほど、辛い思いをしたということですね。
    確かにいじめに対する桐朋の教員の対応が不十分だったことは確かですね。

    ん〜、良い案だとは思いますが、実現は難しそうですね。
    ただ先生の通信簿は私も前々から必要だと思ってましたが、するとすればやはり匿名でやって欲しいです。毎日顔を合わす先生への悪い点はなかなか自分の名前を明かして言うのは難しいですから。

    高校3年生さんが言うような雇用制度はやはり理想的ではありますが、かなり厳しそうですね(汗
    もうこうなると我々は塾に行くしかないのでしょうかね?
    この学校の授業の質の低さについては桐朋に限った話ではないですし…

  7. 【1255249】 投稿者: 春日  (ID:kzsKIZ7/.rQ) 投稿日時:2009年 04月 11日 20:19

    うちの子の学校で教えてらした先生が、桐朋に転職されました。
    指導力があり生徒達からも大変慕われている先生でしたので、子どもは残念がっていましたが、先生は自分の母校桐朋で教鞭をとりたいと言う夢を実現されるためだったそうですよ。
    母校で後輩を指導したいと思える学校なんですね。

  8. 【1255372】 投稿者: 会社員  (ID:At0nHbg7oCk) 投稿日時:2009年 04月 11日 22:18

    >高校3年生様


    ちょっと上から目線でしたか? そんなつもりはなかったのですが、すいません。


    しかし、法に触れることも承知だし、実現性もないこともわかったうえで、組合活動禁止という提言をすることの意味がわかりません。改革案の提案なら「できるできないの話」をするのは当然と思いますが、ようするに「意気込み」という話でしょうか。それにしても法に触れることを意気込みとして示す<改革>には危ういものを感じます。


    また、成果主義に過大な期待をもっているようですが、日本では一般企業においてさえ、うまく機能しているとはいいがたい状況です。まして教員の場合は、「成果」の評価基準が定まっていないこともあり、多くの場合は、組織の上下関係を強化するために利用されているだけです。しかし察するに、桐朋の場合は「組合が強すぎて当局の指示にしたがわなくて困る」という状況ではなく、「学校の体制そのものが<桐朋らしさ>に安住してしまっている」ということが問題なのではないですか? たとえば郁文館のように、理事会も校長、教頭も総入れ替えしないかぎり、成果主義を導入しても意味はないでしょう。もっとも郁文館の場合は、学校の体制は劇的に変わりましたが、それが「成果」を出しているといえるかどうかは、議論のあるところです。


    進学実績を単一の尺度として評価せよ、という主張かもしれませんが、現実には「教師団」というチームの業績になりますから、それも難しいでしょう。授業は一人で行いますが、数値として現れる成果を進学実績とするなら、一人の生徒には数十人の教員の「成果」が反映されてしまいます。研究者としての業績を上げているが授業はさっぱりという教師、逆に指導は熱心だが学問レベルはお粗末という教師、教務よりもクラス運営に力を注ぐ教師、いろんなタイプの教員がいるでしょうが、チームとして機能していればそれでよいのです。企業の労務管理を単純に学校に置き換える議論は賛成できません。


    もちろんおっしゃるように「無能な教員」がいれば、それを何とかしたいというお気持ちは理解できます。しかし、桐朋の卒業生が母校の教師になりたがるとすれば、それはいわゆる<桐朋らしさ>をよしとすればこそでしょう。むしろ桐朋出身者は採用しない、という「改革案」のほうが、より高校3年生さんの意図するところに近いのではないでしょうか。

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