- インターエデュPICKUP
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投稿者: 名無し (ID:RAp4IoD0NB.) 投稿日時:2008年 03月 09日 17:01
2008年がターニングポイントとなるか、
それとも・・・・?
やはり気になります。
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【1115145】 投稿者: 中学生の母 (ID:91mQ3x29orA) 投稿日時:2008年 12月 08日 14:40
ただ今息子が武蔵生活のまっただ中です。多くを語ってはくれないため、ほとんど武蔵の状況がわかりません。が、一部の独特のマニアックな授業、やたらに多いレポート、研究者を養成するのかな・・と思わされる考える授業など、武蔵らしさは感じられます。正直、この様な勉強の先に息子が何を身につけるのかは、わかりません。楽しみと不安両方ですね。とはいえ、あこがれてやっとご縁のあった学校ですから、信じて見守っています。多くの先輩方、しかも卒業年もまちまちのOBの方々がご自分のご経験や本音を書き込んで下さって、ものすごく参考になります。こういう書き込みをして下さること自体が武蔵らしさのような気がします。ご自分の学生生活をこのように書けるのは、うらやましい気もします。良いことも悪いことも、語れるだけの大きな思い出があったという事ですからね。
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【1115164】 投稿者: 在校生A (ID:LCmfJHpY2ao) 投稿日時:2008年 12月 08日 15:09
ただいま、定期試験のまっただ中。こんなマニアックな日本史、世界史、いつどこで役にたつか、教えてくれ〜〜と叫んでます。いくら知性だの豊な人生だの説いてもダメです。諸先輩方、運動部すべてのアホ武蔵生にご教示を。
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【1115231】 投稿者: 中学生の母 (ID:91mQ3x29orA) 投稿日時:2008年 12月 08日 16:22
在校生Aさまの書き込み・・・。
思わず吹き出してしまいました(笑)。
わかります~。昨日、息子が廊下に地理のプリントを落としていたので、何気なく見た夫が「なんじゃあ~、こりゃあ。こんなもん、覚えなくていい!。無駄だ~」と怒っていました(笑)(夫は公立中育ちです)。
私もそれを見て、こんなマニアックな知識、要るのかなあ・・と思い、息子に言うと、「結構、これが面白いんだ」とひょうひょうとしていました。
武蔵って昔からこんな感じなんでしょうか。
どなたか在校生Aさまや我々にご教示くださいませ。 -
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【1115503】 投稿者: 40年前の卒業生 (ID:tY98Z9WIjqk) 投稿日時:2008年 12月 08日 21:18
参考になるかどうかわかりませんが・・
私の高2の時の世界史の先生は、どこかの大学院で東洋史を学び中の若い講師で、1年かけて中国の農民反乱だけを講じていました。おかげで、農民反乱にはめっぽう詳しくなりましたが、もちろんそんな知識は今まで一度も大学受験にも仕事にも役立ったことはありません。
が、それはそれで、「歴史の勉強の仕方」みたいなことには役立つ訳で、高2のあいだは「ま、いいか」と思いつつ、農民反乱に終始しました。
さて高3になっていよいよ世界史で受験する(慶應の文学部は当時英語200点社会から1科目100点で、国語なしという受験科目でした)ことになり、さて困ったもんだとブツクサ言いながら当時中央公論社から出ていた堀米庸三編の「世界の歴史」たしか24巻を受験勉強代わりに全巻読破しました。半年くらいかかりましたが、なかなか面白かった。
それで世界史の流れは何とか理解しましたが、王様の名前や年号は覚えられないので、受験直前の1月になって代々木ゼミの「世界史一日中一週間で特訓コース」というのに通って丸暗記しました。こちらの知識は試験だけの付け焼き刃で、慶應合格とともにさっぱり頭の中から消えました。
で、思うのですが、はたして「中国の農民反乱」はマニアックな無用の授業であったのか、と。中央公論社の24巻を読破できたのも、中3高1でやたら読書とレポートを毎週宿題に科されて読書力を養ったおかげだし、農民反乱も偏った見方だったかもしれないけれど「歴史の見方」を学ぶことにはつながったような気がします。
結論として、武蔵のマニアックな授業は、「知へのアプローチ」の仕方を学ぶもので、直接には実用的でなくても、その仕方が身につけば後は自分で「自ら調べ自ら考える」を実践すればよいのだと思います。 -
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【1115525】 投稿者: 80年代の武蔵卒業生より (ID:Mhld1RUYypk) 投稿日時:2008年 12月 08日 21:45
武蔵の授業はたしかにマニアックですね。
私も中2のときの1年間授業がほとんどなく、最後にレポート用紙50枚くらいのレポートをだすなど印象に残っています。
また化学でも夏休みの宿題ですきな実験をひとつやって報告させ、その中で面白いものをくわしくそのメカニズムを分かる範囲でしらべさせて各自に発表させ、みんなで討論するというのもありました。
こういうのは、まず「重要な事はなにか」「興味がある事はなにか」ということを自分で見いだし、それについて調べ考える事の基本になると思います。
もちろん研究者ではそれは必須ですが、研究以外でもたとえば政治でも通り一遍のことをやってうまくいかないときには、自分で独自の視点で問題点を見いだしてかいけつすることは必要です。商品開発や顧客開拓などでも、ライバル会社と同じありふれた視点ではだめで、独自の視点からの取り組みが必要です。
そしてそういう風に自分の視点でとりくむ原動力は「興味」です。ひとは面白い事は苦もなく出来ますが、つまらないことはなかなかできません。
したがってむさしの生活の中で、「自分はどういうところに興味がある人間なのか」「それにはどういう仕事に将来就きたいか」「そのために今すべきことはなにか」を考えてください。
もちろんあるレベル以上の大学にいかないとなかなか夢はなかわないことも多いので、基礎学力はつけてほしいですが、それにプラスしてです。
あといえることは、武蔵の独自教育をうけてきたという「誇り」はいまでももっています。自分は一番多感な成長期をひとと違う環境ですごしてきた。だからなんらかの独自性が自分にはきっとあるに違いない、というような根拠のない自信みたいなものはありますね。 -
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【1115618】 投稿者: 中学生の母 (ID:MHVmwYKSCfA) 投稿日時:2008年 12月 08日 23:08
40年前の卒業生さまや、80年代の武蔵卒業生さま、ありがとうございました。みなさま、母校を愛されていらっしゃるのですね。そして、武蔵特有のご経験をご自分の心の糧にされているのですね。息子は小学校低学年から、すでにマニアックな知識をどんどん増やしてゆく、まさに武蔵向きの性格でした。ですから、今の、何に役立つか分からないような掘り下げる授業を実はかなり楽しんでいるようです。息子も将来、武蔵で学んだ事が誇りに思えるような日々を過ごしてほしいと思っています。
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【1116794】 投稿者: 武蔵といえども研究職は厳しい世の中 (ID:2U3PDIhVfHg) 投稿日時:2008年 12月 10日 01:03
武蔵OBです。
私も武蔵の徹底した教育のお陰?で研究というものに興味を持ち、在学中に書いた論文まがいのレポートでは、山川・山本賞を受賞しました(山川・山本の両方では無くあくまで片方ですが…、あんまり限定すると個人特定されかねないので少し誤魔化してます…)。
そんな訳で順当に大学・大学院と進み、その過程で国際誌への論文もそれなりに書き掲載させたり、海外の出版社から本を出したりしましたが、それでもなお、今の研究職不足のご時世を鑑みて、研究者の道には進めませんでした(自らの判断で一般就職しました)。正直大変悔しい思いでいます。
確かに武蔵の独特の教育は研究者育成向きであり、これまで多くのOBが大学の教職等に就かれてきた事実はありますが、それでも、最近は、事情が変わりつつあります。武蔵卒であろうが、東大・京大卒だろうが、海外留学しようが、研究職に就くのは、全く別の次元の話と考えるべきでしょう。
武蔵に対する誇りや敬意は私も当然持っていますが、武蔵に甘えてしまうこともいけません。武蔵生は昔からよく妙なプライドや自信を持ってる人が多いのですが、そういう無意味なプライドや自信は捨て、現実を直視して、自分を客観視すること、これが多くの武蔵生に欠けていることだと思います。「武蔵では研究者向きの崇高な教育を受けてきたのでは、僕は研究者になれる」という根拠の無い自信を持つことのない様に、くれぐれも注意してほしいと思います。 -
【1117622】 投稿者: 武蔵卒の研究者より (ID:Mhld1RUYypk) 投稿日時:2008年 12月 10日 22:03
40代で国立の某研究所で研究者をしている者です。
いくつかのOBの書き込みで研究者の道が厳しいということを読みました。
それは事実ですが、あまり高校生の時点で、将来ある現役生がもしこれらを目にして恐怖感をもって尻込みしてもらっても困るので書き込みます。
私は旧帝大の某大学ー大学院を出て運良く、正規の研究職につけました。
現在は40代なかばで、さほど名高い研究者の域にも達していませんが、毎日、ジーパンで通勤し、新しいことを試したり実験をできる毎日がなかなかよいと思っています。
人の一生もそんなに長くはないのだと思います。そういう中で、生を受けているわけですから、自分の人生をそれぞれの人が切り開いていってもらいたいと思います。とくに若いうちはそのくらいの気迫をもってほしいです。
研究者をめざしてまず大学院を博士課程まででて博士をとることは必須です。大学院も一流の研究者をめざすにはいい大学院をでるべきです。その時点で理系の場合30まえ。そのあとポスドクにせよ、留学にせよ33、か34歳までが勝負ですね。そこまでで自分の能力は見極められると思います。周囲の意見もきいて、もし向いてないようであれば別の人生もそこから可能と思います。
医学部にはいって医師の資格をとってから研究にトライするのもよいと思います。
そういう人の場合、研究に見切りをつけて30半ばで医者の道に戻る人もいます。
このように戻れる道があるのは人生を歩む上ではよいことと思います。