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【196749】ずばり、公の教育にどう変わって欲しいか

投稿者: DOTCHの教育SHOW   (ID:Ky0UJqJcKXI) 投稿日時:2005年 10月 16日 17:52

公立の小中に限っての話とさせてください。

極端ですが、

?競争原理を取り入れ、友達はみなライバル、テスト重視で
デキル者はどんどん引っ張り上げていく塾的スパルタ教育

?個性重視のもとに、指導というものは極力行わず、
野放し状態、学力についてはみな平等に最低限しか
教えない学力最低保証教育

?学校はもはや教育の場ではないとして、情操や人間関係を
学ぶ場としてのみの役割に徹したしつけ代替教育。


で選ぶとしたら、いかがですか?
*現状は極めて?に近いのではないかと思います。

また、これ以外の選択肢も当然あるかと思います。
お書きいただければ、尚、議論は深まるかと
思いますので宜しくお願いします。

教育の今後を見つめる上で参考になる
スレにしたいと思いますのでご協力ください。

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  1. 【207550】 投稿者: まーしー  (ID:5E/FyuAR5GA) 投稿日時:2005年 10月 27日 14:57

    結局のところ、日本の大人達が一人一人自分の考えを持って自立しない限り、教育のみが良くなることはないのだな。「お受験を周りのママ友に知らせるべきかどうか?」の稚拙でばからしい質問の並ぶ小学受験掲示板・・・っと。

    私立が隆盛を極めているのも大人達が自分で考え、行動することを諦めているからだ。私には見栄えの良い看板の掛かっているところに集中しているだけに見えるが、これ如何に。

    フィンランドはバカ高い消費税によって高レベルの教育を実現している。

    しかし、現在のかの国の教育は何十年も前から伝統的に受け継いだものではない。
    やはり国家規模で大人が未来を託す子供達に心を砕いたからに他ならない。

    少人数制・徹底した補習・豊かな図書館・促成栽培ではない教師達・通知票はなく・教師の自由度を高めるために教科書は薄め(レベルの低い教師が扱うと「ゆとり教育」となる)・・・ホントにまねできるの??

  2. 【208148】 投稿者: 改革希望者  (ID:N.ccEpGhsRo) 投稿日時:2005年 10月 28日 01:02

    まじめな話、各都道府県で義務教育の毎年度の変わり目に、
    前年度までの完全実力習熟度テストを、やって欲しい。
    そして、保護者に対して。
    当該学年までのどの学年で、何%の取りこぼしが在るか
    報告して欲しい。
    そして其れより大事だが、
    担当した教員の評価を、”前年度理解出来て居なかった項目を
    担当した生徒全員がどれだけ理解出来たか。
    受け持ち生徒の、今連度新たに理解して獲得された得点の全生徒加算”で、
    評価して給与に反映するようにして欲しい。

  3. 【209503】 投稿者: DOTCHの教育SHOW  (ID:Ky0UJqJcKXI) 投稿日時:2005年 10月 29日 13:23

    みなさんのアイデアや知識は素晴らしいですね。
    みなさんが公立小中の保護者の方々だとしたら、
    さぞ、学校はしっかり気を引き締めてやっていかないと、
    という緊張感を持ってやってくれていることと思います。

    学校は何するところなんだ?という疑問がわいて、
    その次に、学校にどうあって欲しいんだ?と思って、
    そして他のみなさんの理想とする学校像を探りたく
    なってお聞きした次第です。

    すごく為になるので、是非是非、続けてください、
    お願いします!

  4. 【217521】 投稿者: 多角的な立場で日本の「教育」を見てき  (ID:9KAHGmchdJc) 投稿日時:2005年 11月 07日 01:55


    複数のわが子を通じてかかわった学校、塾
    塾 小学校受験(大手、個人)中学受験、高校受験、大学受験現役限定予備校、公文、ECC、
      ほか習い事多数、

    学校関係
      私立3年保育幼稚園2園・・一つは?と?特に?重視、一つは?を重視と?
      ?でも?でも?でもない公立小学校 
      ?と?の国立小学校(総合学習実験校)
      ?と?と基礎学力ときちんと身につけてくれた、学ぶ楽しさも気付かせてくれた
      私立女子中高
      生徒に?もさせたいが?と?になってしまう国立中学校
      学力レベルから?だけになってしまう私立女子中学、(出来ない子には?も丁寧)
      規則がほとんどない?の共学私立高校
      ?の女子大、?の共学大学
     に親としてPTA役員などで、大学以外は深く学校と関われました。

    中学以降の学校選びは、本人の希望と親から見た、本人の資質を良しとしてくれる
    校風を重んじました。

    このなかで正直最低だったのは「公立小学校」でした。

    公立小学校は1,2年の担任の女性の先生は、熱心でどの子にも自然に必要な配慮をしてくださり
    多くの親が信頼していました。多くの子どもが「大好き」な先生でクラスもまとまっていましたが
    3年のときは、子ども同士が殴る。蹴るを挨拶代わりにしていても「子どもの力ではそんなに
    ひどいことにはならないから・・」と放任
    4,5,6は自分が教師になったことも「まぐれで、小学教諭は男子がへってきている現状だから男子の自分が合格できた」と公言する20代後半の先生で、早めに反抗期に入った6年数名に感情的にしか叱れず、叱った揚句、次の日先生がショックで欠席。

    私は義務教育は特に「公立の教育こそ教育の基本」と考えているので、元教師でもあり
    保護者と先生の立場、両方を感じれるので、間に入ったり、先生を慰めたり、親の怒りを
    吸収したりしましたが、その先生は成長できませんでした。

    学校のありかたも問題で、本来、子どもにとってどのような学校を目指すかを保護者、
    教師の立場の2者が話し合うべき「学校運営委員会」の場で保護者間でうわさになっている
    ある学年の「いじめ」に関して勇気を持って「説明」を求めた親に対し「プライベートな
    ことですから」と扱い、かつその方のことを教頭先生が違う場で批判したのには
    驚かされました。
    PTAの話し合いの場で校長、教頭先生の口からでる言葉は
    「前例がありませんから」
    「前年度に添って」「教育委員会のこ意向」「近隣の学校とのバランスもあり」
    「プライベートな問題ですから」
    でした・・・子どものことより自分の保身が見え見え。
    特に停年間際の校長はここで可もなく不可もなく、減給になるようなことをせず
    年金を無事もらいたいという感じでした。
    なので、教育現場の改正など・・とてもとてもという感じで、熱意のある先生が
    居ずらそうな小学校でした。

    それに比べると、他の学校は?でも?でも?でも
    何かが起きても、保護者と先生、学校が「子どもと子どもの未来のためにどうしたら」
    と一緒に考えようとする姿勢があり
    問題は隠すのではなく、むしろ保護者会や懇談会で個人の秘密は守りつつ、オープンに
    してくれました。

    基本は、
    学校が問題を何処まで教師、保護者にオープンにすればいいのか的確に判断し、共通に理解をしあって、子ども個人、あるいは、子どもの仲間にとってその問題がこどもたちの成長の糧に出来るか
    ということだと思う。

    「立場を超えて子どものために智慧を出し合う学校運営」それが
    形骸化されたお題目ではなく、実際に実施されていた学校に
    子どもが居れたことは幸せだと思う。
    ???のかたちよりも、意思疎通が大事に思う。





      

  5. 【218081】 投稿者: DOTCHの教育SHOW  (ID:Ky0UJqJcKXI) 投稿日時:2005年 11月 07日 17:07

    多角的な立場で日本の「教育」を見てき・さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > > 複数のわが子を通じてかかわった学校、塾
    > 塾 小学校受験(大手、個人)中学受験、高校受験、大学受験現役限定予備校、公文、ECC、
    >   ほか習い事多数、
    >
    > 学校関係
    >   私立3年保育幼稚園2園・・一つは?と?特に?重視、一つは?を重視と?
    >   ?でも?でも?でもない公立小学校 
    >   ?と?の国立小学校(総合学習実験校)
    >   ?と?と基礎学力ときちんと身につけてくれた、学ぶ楽しさも気付かせてくれた
    >   私立女子中高
    >   生徒に?もさせたいが?と?になってしまう国立中学校
    >   学力レベルから?だけになってしまう私立女子中学、(出来ない子には?も丁寧)
    >   規則がほとんどない?の共学私立高校
    >   ?の女子大、?の共学大学
    >  に親としてPTA役員などで、大学以外は深く学校と関われました。


    小生の稚拙な分類にからめてお話くださり、ありがとうございます。


    > このなかで正直最低だったのは「公立小学校」でした。
    > 公立小学校は1,2年の担任の女性の先生は、熱心でどの子にも自然に必要な配慮をしてくださり多くの親が信頼していました。多くの子どもが「大好き」な先生でクラスもまとまっていましたが> 3年のときは、子ども同士が殴る。蹴るを挨拶代わりにしていても「子どもの力ではそんなに> ひどいことにはならないから・・」と放任> 4,5,6は自分が教師になったことも「まぐれで、小学教諭は男子がへってきている現状だから男子の自分が合格できた」と公言する20代後半の先生で、早めに反抗期に入った6年数名に感情的にしか叱れず、叱った揚句、次の日先生がショックで欠席。
    私は義務教育は特に「公立の教育こそ教育の基本」と考えているので、元教師でもあり
    保護者と先生の立場、両方を感じれるので、間に入ったり、先生を慰めたり、親の怒りを
    吸収したりしましたが、その先生は成長できませんでした。


    メディアでは、子供や家庭のせいばかりにしているようですが、
    (もちろん、どこに原因があるのかと求めているわけではありませんが)
    教師の側にも質の低下は認められて久しいですね。



    > 学校のありかたも問題で、本来、子どもにとってどのような学校を目指すかを保護者、
    > 教師の立場の2者が話し合うべき「学校運営委員会」の場で保護者間でうわさになっている> ある学年の「いじめ」に関して勇気を持って「説明」を求めた親に対し「プライベートなことですから」と扱い、かつその方のことを教頭先生が違う場で批判したのには
    > 驚かされました。

    エデュ板でも時折見かける、学校による大人のいじめですか。
    はあ〜、この事例は本当に後を絶ちませんね。


    > PTAの話し合いの場で校長、教頭先生の口からでる言葉は
    > 「前例がありませんから」
    > 「前年度に添って」「教育委員会のこ意向」「近隣の学校とのバランスもあり」
    > 「プライベートな問題ですから」
    > でした・・・子どものことより自分の保身が見え見え。
    > 特に停年間際の校長はここで可もなく不可もなく、減給になるようなことをせず
    > 年金を無事もらいたいという感じでした。
    > なので、教育現場の改正など・・とてもとてもという感じで、熱意のある先生が
    > 居ずらそうな小学校でした。
    > それに比べると、他の学校は?でも?でも?でも
    > 何かが起きても、保護者と先生、学校が「子どもと子どもの未来のためにどうしたら」
    > と一緒に考えようとする姿勢があり
    > 問題は隠すのではなく、むしろ保護者会や懇談会で個人の秘密は守りつつ、オープンに
    > してくれました。
    > 基本は、学校が問題を何処まで教師、保護者にオープンにすればいいのか的確に判断し、共通に理解をしあって、子ども個人、あるいは、子どもの仲間にとってその問題がこどもたちの成長の糧に出来るかということだと思う。
    >
    > 「立場を超えて子どものために智慧を出し合う学校運営」それが
    > 形骸化されたお題目ではなく、実際に実施されていた学校に
    > 子どもが居れたことは幸せだと思う。
    > ???のかたちよりも、意思疎通が大事に思う。
    >

    意思の疎通がキーワードですね。

  6. 【219370】 投稿者: バジル  (ID:zyY7eQ4dsvU) 投稿日時:2005年 11月 08日 18:31

    DOTCHの教育SHOWさま
    2人の子供が合計10年間お世話になった公立の小学校(都心で子供の数は少なく、小学校から国立私立に行かせる家庭も多い地区)のことに限って言えば、もはや学校は集団生活の訓練のためだけと思う親が大多数を占めているようです。理由は、中学受験したければ低学年から塾、というのが親の常識になってしまっていること、受験する予定がなくても、近所に遊ぶ子もいないし文部科学相が決めたのゆとり教育に不安があり、補習塾に行かせる家庭も多いです。そうなると、学校は行事を中心とした集団生活のためにのみあればいい、子供だって一日緊張もしていられないので夕方からの生活に備え、学校でほぐれていたりするようです。
    でも、私は個人的にはこんなことはおかしいと思うのです。税金を使って一体何をやっているのだろうと思います。他の方もおっしゃっていましたが、余裕のない家庭は満足な教育が受けられない国って変じゃありませんか?1のような極端な方向は問題もあると思うのですが、現状のような、勉強は塾任せというのでは、結局先生方の職業意識だって薄れてしまうし、人生の大事な時期に半日以上を過ごす場なのです。子供に知的好奇心を与え、基礎知識をつけてくれなくては意味がありません。しつけの基本は家庭でするものだと考えます。
    先生を数年ごとに転勤させるのはやめてほしい、学校と地域に定着して誇りを持って仕事をしてほしい。専科の先生を配置してほしい。
    地域の小学校はいろいろな意味で大切だと思います。親も子も近所付き合いのきっかけでもあるのです。教育方針のはっきりした私立の良さもあるとは思いますが、自分の育つ近くに自分を育ててくれた学校があって、そこで起こったことはいいこと、悪いことやはり自分の一部です。そこがなんとなく、ただ集団に慣れるための場では寂しいではないですか。
    それから【218038】是非お読み下さい。このまま公立校が沈んでいくことを望んでおられる方々もいるようですがそんなことになったら、この国だって沈んで行くと思いますよ。

  7. 【219452】 投稿者: バジルさんに同意  (ID:eOzYy1P4PU2) 投稿日時:2005年 11月 08日 20:03

    私も全くそう思います。
    教育費にこんなかかる国も珍しい。
    そもそも公立の学校離れが進んでいるから塾に言って私立に行こうとする家庭が増え、経済力のない家では母親もも働かざるを得ず、子どもと一緒にいる時間が少なくなって・・・という現象も起きているのです。
    塾の力が台頭して、みんな塾の先生に洗脳されまくり。
    学校の先生が文句を言ったところで、しょうがない。
    学校が変わらないと本当にダメ。
     
    集団生活の場と割り切る、他で習ってきたことを示す場と割り切るという子どもは増えているようです。
     
    学校を軽視する傾向は塾での勉強が進んでくるとでてきます。
    その人数が増えれば増えるほど控えめだった塾の話は堂々と語られるようになるかも。
    先生への礼儀として、他でやっていることを自慢するのはよくないと教えていますが、
    小学生の幼稚な頭では、所詮、なんでこそこそしなくちゃいけないの?なんて思うでしょう。 
     
    学校に期待する(中にはお任せばかりの)親と、もうあきらめた親、
    その板ばさみで先生たちも気の毒です。
    親たちも、個人主義のあらしの中で、子どもたちのために大人同士が仲良くしておく方法を日々考えなくてはいけない状況です。  
     
    思うのですが、公立中学で、もっと受験勉強をさせるべきだと思います。
    小学校のときはのびのびでもいいですが、中学校のカリキュラムに繋がる勉強をさせ、
    中学になったら、高校受験に向けて(就職する子どもはほとんどいないのですから)
    基本的なレベルのみでなく、難関私立を受ける子が必要としているような勉強もクラスを設けてやったらいいと思います。
    中学でそれをやってくれるとなったら、高校募集の学校も増え、
    無理に私立に入れる必然性のない人もいるでしょう。
     
    各教科の宿題も考えて出してくださるようになるでしょう。
    中学こそ、きれい事を言ってないで、求められている学力をつける場として再生されるべきではないかな。税金払ってるんだから。

  8. 【225629】 投稿者: DOTCHの教育SHOW  (ID:Ky0UJqJcKXI) 投稿日時:2005年 11月 15日 14:08

    公立に良くなってもらいたい、という前提のもとに話を
    進めたく思います。

    最初の3択は究極すぎて無意味であるとは思います。
    (しかしながら、究極にしておかないと、解りづらかろうとの
    思惑が働いています)

    塾悪説はちょっと横においておいていただけませんか。
    塾の進度が一見速いように思われますが、多分子供を選抜している分、
    成長に合わせると自然とそうなるのではないかと思うからです。

    それよりも公立の学校の改革につきものなのは、生徒がどうの
    家庭がどうのをおいておいて、とはいいませんが、着手可能なのは
    まずもってカリキュラムの見直しやら教師の質の確保やら少人数やら
    だと思いますが・・・。ここまで公立離れを引き起こした原因は
    塾ではなく、公立の質の低下でしょう。塾はそのニッチを掴んだ
    だけでしょう。どっちが先か、を見極めて考えませんか。

    税金の投入。
    これが大問題です。そうです、税金で働く公務員たる教員の
    みなさんの公僕としての働きに期待したいのですが、現状
    どうでしょう。個人の資質もありますが優秀な教員が
    働きにくい環境にあるのはなぜか。みなさんどう思われますか。

    最初の3択に即していえば、恐らく個人個人の教員のみなさんが
    のぞんでおられる方向に近いものがあるとして、それとは
    違う仕事を要求されているのだとしたら?
    ゆとり教育といっても受け取り方はさまざま、言葉の独り歩きも
    考えられます。教員のみなさんが学力をつけてやりたい、と
    思っているのにそれができないでいるのが問題の本質であったりも
    しないでしょうか。(推測です)

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